文部科学省出身の国立大学法人幹部に思う 〜異動官職の是非〜

東京新聞:国立大9割に 文科省「天下り」 理事ら幹部77人出向:政治(TOKYO Web)

 全国の国立大学法人八十六校のうち約九割にあたる七十六校で、計七十七人の文部科学省出身者が理事や副学長、事務局長などの幹部として在籍していることが分かった。事実上の「天下り」を通じ、国立大の運営に文科省の意向が反映されている恐れがある。文科省自民党の無駄撲滅プロジェクトチーム(PT)に提出した資料で明らかになった。PTでは、文科省と国立大との人事交流を若手職員に限るなどの改善を提起する方針だ。

 国立大学の文部科学省出身者幹部職員に関する記事が出ていました。無駄撲滅プロジェクトチームへ提出された資料は明らかではありませんが、文部科学省から各国立大学法人へ出向等している所謂異動官職のことだと思います。異動官職については、弊BLOGでもたびたび言及してきました。

 今回の記事では、地域ブロック内の国立大学法人等を巡っている部課長級等職員を含むのかは明らかではありません。おそらく文部科学省での勤務期間が長く、その後国立大学法人の課長部長理事等へ出向しまた文科省へ戻るもしくは他法人へ移るという職員を指すのではないかと推測します。そのようなポジションの職員は、果たして事実上の「天下り」と言えるのでしょうか。結論から言うと、冒頭記事中にもあるとおり、所謂天下りではなく、出向であり人事異動の一環と考えた方が妥当ではないでしょうか。(ただし、天下りの定義は社会的に定まっておらず、時の政権によっても左右されるため、ちょっと言いにくい部分もありますが。。。)

 国家公務員の天下りについては、様々な書籍や言説がありますが、主観的にならずに網羅的に調べられているのは、「国家公務員の天下り根絶に向けた近年の取組」(レファレンス平成24年8月号)だろうと思います。そこでは、国家公務員の天下りの問題として、以下のとおり整理しています。

  1. 税金の無駄遣いということ。具体的には、OB のいる組織や将来の再就職の可能性がある組織を本来の必要性とは別に温存したり、新設したり、公費で助成すること、あるいは市場原理や必要性に反した事業に税金が投入されること
  2. 天下りの見返りとしての規制の維持に伴う社会的な不利益
  3. 天下りを受け入れる側の活力が低下したり組織としての競争力がそがれること
  4. 数年勤めた後に再就職を繰り返し(いわゆる「渡り」)高額の退職金を受け取ること
  5. 天下りを中心とした政官業癒着が生じた場合に、最も社会的損失が生じやすい
  6. 各府省庁が再就職のあっせんを行う仕組みの下では、公務員が出身府省庁への帰属意識を強め、国益よりも省益を重視し縦割り行政の弊害をもたらす

 主に国を退職し関連法人や民間企業への就職を想定したものですので、国立大学法人への出向にはあてはまりにくいものもあります。1については、異動官職がいるからこそ国立大学法人の雇用や労働条件が守られているところはたしかにあるかもしれないなと感じました。4については、国立大学法人が退職手当通算法人に指定されているため、異動官職としては渡りは発生しないと理解しています。

国家公務員法

第百六条の二 3  前項第二号の「退職手当通算法人」とは、独立行政法人独立行政法人通則法第二条第一項に規定する独立行政法人をいう。以下同じ。)その他特別の法律により設立された法人でその業務が国の事務又は事業と密接な関連を有するもののうち政令で定めるもの(退職手当(これに相当する給付を含む。)に関する規程において、職員が任命権者又はその委任を受けた者の要請に応じ、引き続いて当該法人の役員又は当該法人に使用される者となつた場合に、職員としての勤続期間を当該法人の役員又は当該法人に使用される者としての勤続期間に通算することと定めている法人に限る。)をいう。 

職員の退職管理に関する政令

(退職手当通算法人) 

第二条  法第百六条の二第三項 の政令で定める法人は、独立行政法人のほか、次に掲げる法人とする。

四十四  国立大学法人

 また、現役出向については、再就職あっせん規制の適応除外として、論文中に以下の言及があります。

( 2 ) 適用除外

官民人材交流センターの職員がその職務として行う場合のほか、②職業安定法(昭和22年法律第141号)その他の法令の定める職業の安定に関する事務として行う場合及び③特殊法人等に人事交流として職員を出向させることを目的として行う場合(「退職手当通算予定職員を退職手当通算法人の地位に就かせることを目的として行う場合」)、すなわち、いわゆる「現役出向」(※47)の場合には、再就職のあっせんを行うことができることとされている(法第106条の2第2項)。

※47 職員は、特殊法人等の役職員となるためにいったん退職するものの、国の職員として復帰することが前提とされ、当該退職時に退職手当は支給されず、復帰した場合には特殊法人等における在職期間が国家公務員としての在職期間に通算されることから、「現役出向」と呼ばれることが多い。なお、現役出向の場合をあっせん規制の適用除外とする理由については、それが本来の意味での離職ではなく、人事異動の一環として行われ、公務への復帰を前提としており、また、当該場合をあっせん規制の対象とすると、職員の退職手当通算法人における職務経験を公務にいかすという現役出向の目的を果たすことが困難となるためと説明されている(行政改革推進本部事務局(公務員制度改革等担当)ほか「職員の退職管理に関する政令案及び特定独立行政法人の役員の退職管理に関する政令案」008.11.18, p.2.)

 私個人が考える天下りの弊害もいくつかありますが、主には以下の3つです。この3点について、異動官職の存在が当てはまるのかを考えてみます。

  1. 渡りが発生する可能性がある。
  2. 公正な許認可行政の妨げになる可能性がある。
  3. 優秀な人材の適材適所が妨げられる可能性がある。

 1について、国立大学法人の異動官職については適応されないことはすでに述べたとおりです。

 2について、大学と文科省との間の許認可事項と言えば真っ先に思い浮かぶのが学部設置等の設置認可です。本来ならば基準を満たさないにも関わらず、異動官職の口利きにより許認可を与えている可能性があるのかどうかですね。結論から言うと、そのような事態は全く考えられません。国立大学の学部等設置認可は、審議会の場での一発勝負なのではなく、何年も前から文科省との相談を重ねて書類が提出されるものです。しかも、大学設置審議会は文科省から独立した機関ですし、ひととおり書類を確認されますので、仮に文科省のチェックをくぐったとしても何らか不備がある場合はほぼ確実に訂正指示等が来ます。さらに、もし許認可されたとしても、その後の履行状況調査もありますので、異動官職個人の口利きだけではこれら状況を突破することはほぼ不可能だと考えます。(そもそも国立大学の学部等設置は既存の学生定員や教員数を配分して行われることがほとんどであり、授業料収入増といった直接的な経済利益はほとんどないといって良いでしょう。そんな状況でリスクの高い不正的な手法をとることは全く合理的ではありません。)

 また、許認可行政に類似したところでは、競争的資金等の審査があります。こちらも、基本的には申請書やヒアリングを基にした審査委員会による審査により決定されるものですので、申請書を書く際の観点や学内のシーズをまとめるなどノウハウの共有などはできたとしても、異動官職個人で審査をコントロールすると言うことは困難だと考えます。ただし、国立大学法人には一般運営費交付金とは別に選定・配分される特別運営費交付金という予算があり、その選定に影響を与える可能性は否定できません。ただ、そもそも特別運営費交付金自体が国策に資するという前提で文科省にて恣意的に選定されているものですので、異動官職の影響については計り知ることができません。(おそらくは影響を与えないのではないかと思いますが。。。)

 3について、より能力のある者である所謂プロパー職員がその職階に付けずに能力が劣る異動官職が付くということですね。これはありえそうな気がします。冒頭記事中

文科省は「各学長から要望があった際、該当する人がいれば協力をする」(人事課)と要請に応じた人事交流と説明している。

とあり、手続き的にはこれは正しいのでしょう。ただ、実質的に候補者として提示された者を役員が面接等して選考しているわけではないと思います。管理職になる者がどのような能力や意欲などを持っているかを明確にわからず、せいぜい経歴等しか確認できないということは、以前弊BLOGでも指摘したとおり、人材の質のばらつきにつながります。「外れ」を引いた大学や部署は大変なことになるということですし、私の身近でも良く聞く話です。「外れ」を引くということは、以前弊BLOGでも指摘したとおり、今大学が求められている人材が来ず、下手をしたら大学が停滞することになりかねません。この「質」という点が、異動官職や出向を巡る問題で最もネックになっているところだと考えています。

 とは言いつつも、異動官職を今すぐ退場させプロパー職員にその職を充てることが上手くいくとも思えません。異動してきたことでこれまでのしがらみなく事業に取り組めることが期待できるなど色々と理由もあるのですが、「質」の問題はあるとは言え、総じて見ると少なくとも現時点において同世代の異動官職とプロパー職員ではプレイヤーとしての能力に大きく差がある傾向にあると感じています。(以降、明確な定義をせずに「能力」という言葉を使っていますので、あまり意味を追求せずに空気感で読んでください。)

 それほど多くの人を見てきた訳ではない私の私感と言う前提条件がありますが、文科省国立大学法人の職員のプレイヤーとしての能力を比べると、もちろん個人により差はありますが、全体では係長クラス(特に比較的若い世代)まではそれほど違いは大きくない傾向にあると思っています。ただし、課長補佐クラスになると能力の差は大きくなる傾向にあると思いますし、その後、その能力差は基本的には広まることになります。

 このような前提に立つと、文科省から異動官職を受け入れるというのは、残念な思いもありますが、知識や経験のある優秀な人員を確保したいという意味では合理的な選択であるとも考えます。なぜ課長補佐クラスで能力差が広まるのかという点は、当人がこれまでどのような働き方をしてきたかということに影響を受けるのではないかと考えており、現在課長補佐クラスになっている者が係員、係長クラスだった頃の働き方の違いが能力の差を生んでいるのでしょう。(本来、管理職であればマネージャーとして能力が大切になるところですが、国立大学法人のマネージャーに必要な能力が明らかではない以上、プレイヤーとしての能力の高低で判断するしかないですね。)

 以上は私の少ない経験に立ったものであり直ちに一般化できるものではありませんが、大きく外れているというわけでもないと思っています。(余談ですが、この課長補佐クラスというのが良くも悪くも国立大学法人の運営を左右する重要な要素の一つだと感じています。そのくらい国立大学法人の中でも課長補佐クラスの能力・意欲の差が大きい傾向にあるのではないでしょうか。)

 さて、異動官職について現状としては致し方ない選択をしていると思いますが、それが将来にわたって是であるとは思っていません。以前弊BLOGでも指摘したとおり、文科省国立大学法人の業務の視点や目指すところが少しずつ異なってきており、機能強化や特色化などその大学固有の方向へ舵を切るなか、当該国立大学法人の職員が活躍できる場所を増やした方が良いと考えています。つまり、異動官職を少しづつ減らし、プロパー職員の管理職登用を増やすということですね。(とは言え、各国立大学法人の総務、人事、財務などの主要ポストを異動官職が占める中でどれほどそれが実現できるかは未知数なところがありますが。。。)その意味では、無駄撲滅プロジェクトチームが一体何を目的としてこの議題を取り上げたのかはわかりませんが、「文科省と国立大との人事交流を若手職員に限る」という改善提案はそれほど悪いものではないと考えています。

 前述のような将来を実現するためには、組織的な能力開発、特に管理職や管理職手前の職員を対象とした取組が必要でしょう。ただ、このような取組のみならず、私としてはもっと個人的な取組も大切なのではないかと思っています。以前弊BLOGでも書いたとおり、教員の個人的な信頼を得て業務依頼を受けるといったことをし、職務能力を磨くとともに(もしかしたら将来理事等になるかもしれない)教員に対ししっかり業務ができるということをアピールしていくような地道なことも進めていきたいですね。

 最後に、冒頭記事中には、

六月に国会で成立し、来年四月から施行される改正学校教育法は教授会の権限を限定し、学長主導の大学改革を促す。同法の改正では、学長を補佐する副学長の職務範囲を拡大した。副学長への出向を通じ、国立大への文科省の影響力が一層強まる可能性がある。

とありますが、ここで言う「文科省の影響力」とは何を指すかが明らかではなく、何が言いたいのかよくわからないと感じました。異動官職については、人数の変化はあるとは言え、法人化前から変わらない状況ですのでその意味では影響力が以前から変わらずにあったというべきでしょうし、法改正による副学長の職務範囲拡大については、手続き上は変化するでしょうが、実質的な役員間の議論と言う意味ではあまり変わらないのではないかと考えています。もっと言えば、国からの出資により設立された国立大学法人において、文科省の影響力を排除することは不可能でしょう。国立大学に対する文科省の影響力が増加しているとするならば、主な要因は一般運営費交付金の削減であり、異動官職は関係性が薄いと考えていることを申し添えておきます。

PS 「天下り」という言葉が持つマイナスエネルギーはとても大きいなと本記事を書いていて改めて感じました。