教員養成・人文社会科学系学部・大学院への要請に思う 〜何が問われているのか〜

国立大学法人評価委員会(第48回) 配付資料:文部科学省

国立大学法人評価委員会(第48回) 配付資料

資料2-1 「国立大学法人の組織及び業務全般の見直しに関する視点」について(案) 

 先般行われた国立大学法人評価委員会の資料が一部で話題になっているようです。国立大学の組織改編等にかかわっているようですが、どのような内容なのか確認するとともに、なぜそのような言説が出てきたのか考えてみます。

 当該資料を確認する前に、まず、これは国立大学法人評価委員会の資料であり、大学全般ではなく国立大学に対してのみ効果を発するものであるということを明らかにしておきます。

国立大学法人の組織及び業務全般の見直しに関する視点」について(案)

【趣旨】

 文部科学大臣は、中期目標期間終了時に組織及び業務全般にわたる検討を行い、評価委員会の意見を聴いた上で、所要の措置を講ずるものとされている。(準用通則法第35条)これに先立って、事前に国立大学法人評価委員会が有する課題意識を「組織及び業務全般の見直しに関する視点」として、各法人に示すことにより、各法人における自主的な組織及び業務全般の見直しの検討を促すことを目的。

【主な内容】

◇見直しの基本的な方向性

(略)

◇組織の見直しに関する視点

(略)

・教員養成系、人文社会科学系は、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換

2.組織の見直しに関する視点

○ 「ミッションの再定義」を踏まえた速やかな組織改革が必要ではないか。特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むべきではないか

 教員養成や人文社会科学系の学部・大学院に対し、組織見直し及びそこからの組織廃止や転換を求めるような内容ですね。俗っぽく言えば、非常にネットが荒れそうな内容であると感じましたし、実際、本件に関する大学教員と思われる方の意見はweb(国立大から教員養成系・人文社会科学系は追い出されるかもしれない)やtwitter等で散見できます。

 まず、教員養成系についてですが「教員養成系学部・大学院を国立大学からただちに廃止しろ」と言っているわけではないと考えています。

 すでに公表されているミッションの再定義結果や「大学院段階の教員養成の改革と充実等について」(報告)等においては、いわゆるゼロ免課程の廃止や修士課程の教職大学院への移行などが提言されており、本資料に書かれていることはすでに既定路線でした。国立大学はより質の高い教員養成に特化しようという趣旨であると推測できますね。

分野ごとの振興の観点(平成26年3月31日 文部科学省高等教育局、研究振興局)

 教員養成大学・学部については、今後の人口動態・教員採用需要等を踏まえ量的縮小を図りつつ、初等中等教育を担う教員の質の向上のため機能強化を図る。具体的には、学校現場での指導経験のある大学教員の採用増、実践型のカリキュラムへの転換(学校現場での実習等の実践的な学修の強化等)、組織編成の抜本的見直し・強化(小学校教員養成課程や教職大学院への重点化、いわゆる「新課程」の廃止等)を推進する。

 さて、人文社会科学系学部・大学院についてですが、今までこれほど直接的に言及されたことのない観点だと認識しています。ミッションの再定義に併せた分野ごとの振興の観点では、人文・社会科学、学際・特定分野について、以下の言及があります。

 人文・社会科学、学際・特定分野は、人間の営みや様々な社会事象省察、人間の精神生活の基盤の構築や質の向上、社会の価値観に対する省察や社会事象の正確な分析など重要な役割を担っている。また、学際・特定分野は、その学際性・個別分野の個性等に鑑み、社会構造の変化や時代の動向に対応した融合領域や新たな学問分野の進展等の役割が期待されている。

 特に、成熟社会の到来、グローバル化の急激な進展等の社会構造の変化を踏まえ、教養教育を含めた教育の質的転換の先導、理工系も含めた総合性・融合性をいかした教育研究の推進、社会人の学修需要への対応、当該分野の国際交流・発信の推進等、各分野の特徴を十分に踏まえた機能強化を図る。

 具体的には、養成する人材像のより一層の明確化、身に付ける能力の可視化に取り組む。また、既存組織における入学並びに進学・就職状況や長期的に減少する傾向にある18歳人口動態も踏まえつつ、全学的な機能強化の観点から、定員規模・組織の在り方の見直しを積極的に推進し、強み・特色を基にした教育・研究の質的充実、競争力強化を図る。

  組織見直し等には言及されているものの、柔らかい表現になっていることがわかります。

 これまでの国立大学人文社会科学系学部・研究科に対する国の支援や要請等を考えると、理系に比べ比較的手を加えてこなかったという印象があります。過去の振興方策等を確認したところ、以下の報告書が見つかりました。

人文・社会科学の振興について−21世紀に期待される役割に応えるための当面の振興方策−(報告)(2002年6月11日科学技術・学術審議会学術分科会)

3.人文・社会科学の振興方策
(1)分野間・専門間の協働による統合的研究の推進
1 課題設定型プロジェクト研究の推進
2 「地域」を対象とする総合的研究の推進
(2)若手研究者の育成
1 広い視野と知識を有する人材養成
2 海外での研究機会の拡大
(3)国際的な交流・発信の推進
1 国際共同研究の場の設定
2 外国人研究者の受入れの促進
3 研究成果の国際発信
(4)研究基盤の整備
1 図書館等の機能の充実
2 データベースの整備と流通促進
3 研究成果の発信システムの整備

リスク社会の克服と知的社会の成熟に向けた人文学及び社会科学の振興について(報告)(平成24年7月25日科学技術・学術審議会学術分科会)

3.当面講ずべき推進方策
(1)先導的な共同研究の推進
(2)大規模な研究基盤の構築
(3)グローバルに活躍する若手人材の育成
(4)デジタル手法等を活用した成果発信の強化
(5)研究評価の充実

 グローバルCOEプログラムなどでも人文社会科学系のプロジェクトが採択されていましたね。最近よく聞くのは、名古屋大学法学研究科の取組でしょうか。

 四半世紀にわたるアジア法整備支援の蓄積を踏まえ、アジア各国の大学の協力を得て、法学等のアジアキャンパスを設置。各国の専門家・政府高官に博士号を授与する環境を整備。(国立大学改革プラン参考資料より )

 ただ、これらの振興方策がどの程度成就しているのかは、よくわかりませんでした。国としても、分野が細分化されすぎていて、科研費のような個人のボトムアップ以外では手が出しにくいといったところでしょうか。そういえば、以前、中央教育審議会大学分科会大学院部会人社系ワーキンググループの審議を何度か聞きに行きましたが、結論らしい結論になかなかたどりつけていなかったことを思い出しました。

 本件に関するweb上のコメントでは、大学教員らしき方や研究者らしき方が人文社会科学系研究がいかに重要かを語ってらして、それに対してはそのとおりなんだろうなという思いをいただいています。そのような重要性に関する議論については、私自身文系オンチを自称するほどですので、別に任せます。ただ、本件については、どちらかと言えば、国費を何に使うのかという問題なんだろうなと思っています。つまり、「役に立たないから廃止」や「重要でないから廃止」ではなく、「やってきたことは知っているし重要な部分もあるのだろうけど、人文社会科学系は私立大学の方が総体としての規模が大きいし、今後使える金が少なくなっていく中で、国費を払い続ける理由はなんなのか。それが明らかにならなければ金は出さないよ。」ということだろうと推測しています(あくまで、推測です。)。

 いつぞやの事業仕訳でも、「2番じゃダメなんですか?」という質問に「科学技術を愚弄しているウンヌン」という的外れなやり取りがあったと記憶していますが、あのときと同じように人文社会科学系教育・研究という分野に対し、私費での負担ではなく、国費を投入するのはなぜなのかということが問われているのでしょう。

 もっと言うと、一般的に人文社会科学系研究分野がいかに重要であるかを問われているのではなく、あなたはどのような教育活動・研究活動をしてどのような成果を上げてきたのか、1+1が1や2ではなく3や4になるような組織的な取組を学部や研究科、大学としてどのように実施してきたのかあるいはこれから実施するのかが問われているのだと感じています。もはや、一般的に重要だから国費を投入するという段階ではないのだと思います。

 このような問いかけに答えるのはかなり大変ですね。もともと

 研究者の課題意識やテーマ設定も細分化された狭い関心のみに向く傾向が強く、個々の研究課題が社会とどのような関わりを持ち、またどのような意味があるのかについて、研究者自身、問いかけや自己省察に消極的であったという面は否めない。(人文・社会科学の振興について−21世紀に期待される役割に応えるための当面の振興方策−(報告)より)

 という中で、分野や組織一体として何かポジティブなメッセージを行動として社会に打ち出すのは容易ではないことは想像に難くありません。ある程度大学内の取組を把握しており、かつ国立大学を擁護する言説を展開したいと思っている私でも、人文社会科学系の学部研究科が「組織として」どのような点に重点を置きどのような教育研究活動を行い、またどのような成果を上げているのかを論理的に説明できるかと言われれば、あまり自信がありません。このような問いはいずれ人文社会科学系以外の分野にも強く要請されるものだろうと思います。ミッションの再定義などありましたが、より詳しく細かく厳しい問いかけがあると思っていたほうが良いのかもしれません。

 対応の切り口の一つとしては、やはり「教育」なのだろうと思います。国立大学法人評価委員会を所掌する国立大学法人支援課にて改組相談を経験した方ならばわかると思いますが、改組の際の質疑応答事項は研究のことではなく教育のことがほとんどです。それを考えると、組織としてどのような人材を養成するのか、どのように期待に応えるのかという点が最もスムーズに受け入れられる論点なのだろうと思います。

 注意しなければいけないのは、例えば教養部を解体したような学部で「学生の要望に答えるように多数の講義を準備してあります」というような場合です。個々の教員や講義等が接続していないことには、前述したような1+1が1や2にしかならず、(例え個々の教員が頑張っていたとしても)全く組織的な取組ができていないと判断される場合があります。このような話をすると「私たちはそのような安易に迎合するようなことはしない」と言われることもあります。「良い物は宣伝せずともわかってくれる人は買ってくれる」という姿勢も結構ですが、売れなかった場合のリスクを引き受けるのは自分たちであり、そしてそのリスクが顕在化しているのが今なのでしょう。

 消費税増税による税収増があるとは言え、社会保障費、地方交付税交付金等、国債費で国家予算の7割を占めておりしかも社会保障費は大きく自然増しているという状況で、以前と同様に国立大学に対し今後国費が投入され続けるわけがなく、以前弊BLOG(平成26年度予算に思う 〜運営費交付金はほんとうに増加したのか〜)でも言及した通り、一般運営費交付金は削減され続けています。そのような状況があっての問いかけなのでしょうが、結局、国家としてどのように高等教育を育てていくかという「高等教育のグランドデザイン」がないということが原因なのだろうと思います(個人的には非常につまない結論だと思いますが。。。)。

 国や行政は民間がやらないいわゆる儲からないことをやるものだと思っていますが、資金が限られた中でどの物事を選択するかというのは悩ましい問題でしょうし、支援を受ける側はその選択にどの程度影響を与えられるのでしょうか。目の前で死んでいっている人がいる中で、国立大学に金を出せとは私は言えません。両者は比較できるものではないという人もいるでしょうし私もそう思いますが、今のままではそう遠くない将来にこのような状況になるだろうと感じています。

 あまりまとまりなく書いてきましたが、国立大学法人評価委員会で本件に対しどのような議論が行われたのかはわかりませんので、最終的にどのような形で各国立大学法人へ伝達があるのかは不明です。個人的にはあまり歓迎できない状況でありますが、スポンサーの意向には逆らなえない部分もあります。そうでなくとも、法律上国立大学法人の中期目標は文部科学大臣が定めることになっていますので、大臣がやれといえばすべての国立大学法人は計画立てて検討・実施せざるを得ません。本件についてはなんとかうまく回避できないかと考える一方で、各国立大学がどのように立ち回るのか組織運営上また人事管理上からもとても気になるところではあります。