「「大学に文系は要らない」は本当か?」は本当か?(後編)

前編から続く)

国立大学と私立大学との改組の違い

さらに言えば、国立大学の文系においてなかなか組織改革が進まない中、実は私立大学においては、通知が指摘しているところの「18歳人口の減少や人材需要等を踏まえた組織見直しを計画し、社会的要請の高い分野への積極的な対応」がかなり進み、様々な文系学部の再定義・再編が行われています。もちろん、そのなかには、奇を衒いすぎて、少し首をかしげるものもありますが、しかし私立大学が社会の動向、学生の志向を踏まえながら、大学の文系教育が担うべき分野や内容について不断の見直しを続けていることは事実です。

 「私立大学はちゃんとやってるから国立大学もちゃんとやれよ」と言っています。さも私立大学と国立大学の改組が同じであり国立大学がサボっているようにも書かれていますが、そもそも私立大学と国立大学では改組に対する考え方が大きく異なります。

 私は国立大学の人間ですのであくまで想像ですが、私立大学にとっての改組とは学生募集の手段でもあり、つまり直接収入につながるというとても強いインセンティブが発生していると考えられます。また、既存学部の改組や定員入れ替えのみではなく、定員や教員を追加した新しい学部等の設置も盛んに行われているという印象です。

 一方、国立大学にとっての改組とは従前の定員や教員を入れ替えて、つまり旧来の枠の中で組織体を再編する形で新しい学部等を設置することが大半であり、私立大学ほどインセンティブが高くありません(特別経費や改革補助金に採択されやすくなるかも?といった程度かもしれません)。また、学年進行や文科省への相談など制限も大きく、これまであまり頻繁に改組をしてこなかったのも事実でしょう。

 このように、国立大学と私立大学では改組に対する考え方が全く異なるため、一概に比較するのはつらいところがあります。しかし、それらを乗り越えてなお国立大学は社会にあった改組を行う必要があると言われれば、まぁそれはそうなんだろうなとも思います。もちろん、国立大学だろうが私立大学だろうが学生のことを第一に考えて改組を行うのは当然ですし、そのような観点で組織体を考えていかないといかないのでしょう。

 なお、現状では国立大学の改組は枠を維持しつつの中身の組み替えであり、学部の改組であっても今いる教員をクビにしてその分新たな教員を雇用することはできません。これは単純に労務管理上の問題です。そのため、あくまで既存の教員ベースで新しいプログラムを考えないといけません。ここから、「転換」とは組織の転換のみならず既存教員の意識の転換も含まないといけないのだろうなと思っています。

教員養成課程への影響

このことは、教員養成系学部や教育学そのものを軽視するものでは、全くありません。現在、教員養成系学部の教員養成課程の定員1万0700名はきちんと維持します。新課程を廃止した財源・定員をもって、新たな組織をつくってくださいということです。新たな組織は、教育の高度化が求められる国立大学にあっては、学部ではなく修士課程の充実かもしれませんし、特に教員の修士化の促進が国際的に遅れているなかで、こうした大学院増員の財源に新課程廃止分を用いていただくことになるでしょう。

 この部分、あれ?って思った点が2点あります。1点目は、既存の教員養成課程の定員を維持するということです。18歳人口の減少に合わせ、ゼロ免課程以外の教員養成課程についても定員の検討を要請されていると風の噂で聞いていたのですが、ここまで断言されるということは私の認識が誤りだったのでしょう。ちょっと安心したというのが本音です。

 2点目は、ゼロ免課程の廃止分を修士課程に回すということです。教職大学院の拡充が規定路線と思っていたのですが、この場合の「修士課程」は専門職学位課程の書き間違いなのか、それとも本当に修士課程(あるいは博士前期課程)の充実を意図しているのか、ちょっとわかりません。おそらく前者だと思いますが。。。

ST比の現状と改善

そうした観点で、私が非常に重要視している指標があります。それは教員と学生の比率(ST比:Student-Teacher-Ratio)です。教育も、一種の社会サービスですので、教員がどれだけ一人ひとりの学生の教育研究を熱心に支援できるかという点は、非常に重要です。その意味で、たとえば私立文系に見られがちな、大教室でたった1人の教授が100名を超える学生の前で授業を行うという姿は、高等教育機関として望ましいものではありません。

 後編の一番最後のページにST比の話が出てきますが、かなり唐突な話題出しだなと感じます。また、話の展開の仕方も、これまでの細かい場合分けと異なり、国立大学や私立大学(アイビーリーグも全て私立大学です)、養成分野の話が整理されないまま展開されている印象を受けます。さらに、科研費等で出された細かい数値ではなく、ST比は「言われており」程度に留まっており、非常に違和感を抱きます。どのような思いや考えが整理されているのかはわかりませんが、個人的にはこのベージは蛇足だったと思います。

 各分野のST比の推移を明らかにしようと思ったのですが、なかなか納得のいく数値が得られませんでした。厳密性に疑念が残りますが、学校基本調査学校教員統計調査を用いたST比を参考に示します。Sは学校基本調査の学校調査 学校調査 大学・大学院 表番号10「関係学科別学生数」、Tは学校教員統計調査の第2部 大学等の部 教員個人調査 大学 表番号180「年齢区分別 専門分野別本務教員数」を当てはめています。学部のST比を算出したかったのですが、分母には大学院の本務教員を含むため、若干低めに算出されている可能性があります。また、学校教員統計調査は3年ごとに実施されているため、H7からH25までの3年間づつの推移を示します。

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 設置者や分野により、ST比の傾向が異なります。保健系のST比が公立大学と私立大学で上昇しているのは、福祉や看護系学部の設置が増えているからでしょう。全体的にST比は国立<公立<私立の傾向がありますが、国立大学の教育系のST比が高いのはどのような要因なのか気になりますね。

 さて、鈴木氏の言う「人文・社会科学系のST比は、国立大学全体で見ても15~20と言われており、」については、H25のST比で人文科学系5.82、社会科学系13.87であり、数値が合いません。国立大学の人文科学・社会科学系でまとめても、H25のST比は9.67になります。鈴木氏の言う人文・社会科学系のST比15~20はどのような算出根拠なのか知りたいですね。このままでは、人文科学系が社会科学系の問題に巻き込まれたことになりかねません。

 ST比を改善するということは、ST比を下げるつまり教員一人当たりの学生数を下げるということです。このためには、Sを下げる(学生数を減らす)かTを上げる(教員数を増やす)必要があります。国立大学の教員数は基本的には運営費交付金により左右されます。理工系では外部資金による雇用も発生しますが、人文社会科学系ではそれも難しいでしょう。ST比の改善を妨げてきた一因は運営費交付金の継続的削減であることは間違いありません。あるいは、18歳人口の動向を考慮して定員を削減せよということなのかもしれませんが。。。(一番手っ取り早いのは設置基準の専任教員数を増加することですがまぁ無理でしょう)

 なお、財務省は全く異なる考えがありそうですので、ST比を改善するために文科省が頑張って欲しいところです。

予算執行調査資料 総括調査票 : 財務省

平成24年度予算執行調査 予算執行調査資料(総括調査票)
(16)[文部科学省]国立大学法人の教員数調査(国立大学法人運営費交付金
4今後の改善点・検討の方向性

  • 設置基準上の必要教員数と配置されている教員数との比較結果から、大学では必要教員数以上の教員が配置されている。今後の学部学科の再編等においては教員数の現況を踏まえた検討が必要となる。
  • 分野別にみると、設置基準上の必要教員数と教員数の対比では、いずれの分野においても設置基準以上であり、最大で約4.7倍(常勤・非常勤教員数では約3.7倍)となる分野がみられる。特に、個々の分野の特性を勘案しても、教員数が過大となっている分野では教員数の抑制を図るなど、教員の適正配置の観点からの検討が必要となる。 

論文の被引用数の比較

たとえば、論文引用数で東大の物理は世界で3位、京大の化学は4位、阪大の免疫は4位、東北大学の材料工学は5位。一方、日本の文系で100位に入る学部学科は存在しません

 論文の被引用数を分野ごとに比較しています。文中「引用数」とあるのはおそらく「被引用数」の誤りでしょう。これはトムソン・ロイター社の調査結果を引用しているものと推測できます。

 研究分野の優位性の違いを被引用数という単一の指標でどの程度表現できているのか、ちょっと難しいなと思います。ドメステッィクな良さ(及び悪さ)もあるわけですし、乱暴な比較だとも感じます。例えば、QS World University Rankings by Subject 2015では、人文社会科学分野に日本の大学がランクインしています。このようなランキングや指標を用いた評価の話はイタチごっこになるためあまり深入りしませんが、特に研究分野という大きな区分を被引用数のみを以って比較するのはあまり適切ではないでしょうね。

総じて

 総じて批判的に言説を展開してきました。読み込んでいくと、結局大学教員は文科省の言葉を額面通り受け取れない程度には文科省のことを信用しているんだろうなと思います。文科省の方は大学教員のことをどの程度信用しているのかはわかりませんが。

 生産性なく批判的に書いてきましたが、人文社会科学系はこのままで良いとは全く思っていません。国の方針ということもあり、国立大学はやはり応えないといけない事項だと思いますし、その方が良いと思っています。ただし、それは各国立大学と文科省の両者が協力して対応すべき事項でしょう。大学はなかなか自分の姿を顧みることが難しい組織です。やはり文科省は、教育行政を担う組織、教育系非営利組織の元締めとして、情報漏洩や研究費不正など誰でも指摘できることではなく、’専門的見地’から各大学に対し具体的な助言を行わなければ大学からは信用されないでしょうし、政策を効果的に実施する上でも必要なことでしょう。根拠と専門性を介した意見交換こそが政策遂行に必要だと感じています。(文科省にそのような専門性があるかどうかも意見が分かれるところかもしれませんが、私はそれを信じています。)

 今回の件でよく分からないのが、文科省がちょこちょこ言っている「人文社会科学系の教育には問題があることも聞いている」とは一体何を指すのかということです。「〜〜大学の〜〜学部には〜〜〜という理由で〜〜〜という問題がある」程度まで具体化してもらわないと、大学側としてはそもそも問題意識を共有できているのかわかりませんし、文科省は飲み屋のおっさんと同じような感覚的にものを言っているだけではないかという疑念も生じます。また、一方的な通告にならないよう、その問題意識を検証・反証可能な状態に留め置いておくことも必要です。

 大学の自治への配慮という距離の置き方により、今まであまり文科省から国立大学へ具体的な問題点の提示は行われてこなかったのかもしれませんが、人の雇用にも関わるような組織改廃の方針ですし、文科省の持つ問題意識をもっと具体的に国立大学に伝えていくべきでしょう。そうしなければ、今回の件を効果的に活かすことは困難になる可能性があります。日本学術会議には是非文科省の問題意識の掘り起こしを行ってほしいと思っています。

 人文社会科学系にしても、これまで組織としての大きな方向性や個人の組織への貢献が共有できていなかったことを踏まえ、まずプロのファシリテーターを入れて教授会でワークショップでもすればいいんじゃないですかね、と無責任に適当なことを考えています。