内部質保証はチェックとフィードバックの多重ループモデルである。

as-daigaku23.hateblo.jp

 id:as-daigaku23さんが内部質保証に関する記事を書かれています。以前の所掌業務であったこともあり、内部質保証については幣BLOGでも言及してきました。

内部質保証の議論をする時、個人の感覚だと大学規模と大学自身の歴史、そして持つ学問分野によって、捉え方が違うような気がしています。

というのは全くその通りで、そもそも各機関により保証すべき"質"が異なると考えられるため、その保証の体制も異なると考えるのが自然でしょう。(余談ですが、このような議論において"質"という言葉が何を指すかは非常に重要な論点です。質保証と質向上という二つの言葉には同じ"質"という単語が登場しますが、その指し示すところは果たして同じなのでしょうか。)

 そのうえで、私が考える内部質保証体制について、記述してみます。

 まずは定義を確認します。以下は、大学機関別認証評価機関を行う3つの機関において内部質保証がどのように定義されているかを整理した表です。なお、高等教育評価機構については公式ホームページ上に定義が見つけられず、事務局長が雑誌に掲載した文章から引用しています。

機関名 定義 出典
大学改革支援・学位授与機構 大学等が、自らの責任で自学の諸活動について点検・評価を行い、その結果をもとに改革・改善に努め、それによってその質を自ら保証すること。教育の内部質保証とは、大学等の教育研究活動の質や学生の学習成果の水準等を自ら継続的に保証すること 高等教育に関する質保証関係用語集(第4版)
大学基準協会 PDCAサイクル等を適切に機能させることによって、質の向上を図り、教育、学習等が適切な水準にあることを大学自らの責任で説明し証明していく学内の恒常的・継続的プロセスのこと 大学評価ハンドブック(2018(平成30)年度以降の大学評価用)
日本高等教育評価機構 学生の学修成果や各大学における成果把握と転換の取り組み リクルート カレッジマネジメント,204号

 中央教育審議会では、「大学教育の質保証に関する参考資料」において、質保証について以下の図が示されています。

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 私が内部質保証の定義を確認するうえでよく参照していたのは、ユネスコ欧州高等教育センターが作成したQuality Assurance and Accreditation:A Glossary of Basic Terms and Definitions(Revised and updated edition UNESCO‐CEPES 2007)です。

Many systems make a distinction between internal quality assurance (i.e. intrainstitutional practices in view of monitoring and improving the quality of higher education) and external quality assurance (i.e. inter‐ or supra‐institutional schemes assuring the quality of higher education institutions and programmes).

 ここでは、内部質保証とは高等教育の質を監視(モニター)し改善する視点に立った機関内部の取組であるとされています。質を監視する(チェックすると言い換えてもいいでしょう)とは、チェックする者とチェックされる者(取組)があるということです。自己点検評価と言う言葉には特定の個体の中で完結するイメージがありますが、一方でチェックとは複数の対象の間でのコミュニケーションのことであると考えられます。

 このように考えていくと、内部質保証とは以下のような多重ループモデルで表現できるのではないかと思っています。

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 ある取組について特定の者・組織がチェックとフィードバックを行う、その課程や結果をさらに別の者・組織(通常はより上位の者・組織)がチェックとフィードバックを行う、さらにその課程や結果をチェックとフィードバックを行うというように組織の内部でループを重ねていくことが、内部質保証のイメージ図となり得るのではないでしょうか。理想的には、このフィードバックの積み重ねにより、改善に取り組んでいくということがイメージできます。

 当然、ループを重ねるたびに機関内のコストが増加していきますので、無尽蔵にループを重ねることができません。そのため、どの範囲でループを形成するか、どの者・組織にどのような権限を与えるのか、誰が何をどのようにチェック・フィードバックするのかなどの体制を整備することが大切です。これこそが、内部質保証体制の構築であると考えます。当然、これらのループ構造の中で、どのように改善がなされているかもピックアップしていかなければなりませんね。さらに、これらのチェックの一助となるのがアセスメントであり、どのような方針や手法等でアセスメントを行うかを整理したものがアセスメント・ポリシーとなるのでしょう。

 かなり単純化したモデルですが、現実はこのように単純ではありません。スタートとなるループでチェックの対象となる取組は一つとは限りませんし、上位者によるチェックでは周辺の取組も含めて確認が行われることでしょう。なんにせよ、このようなモデルを踏まえた対応にどのような意味を持つか、持たせられるかは大学全体で共有していかなければならないですね。

「なお従前の例による」には要注意

 教務関係の業務を担当するようになって戸惑ったのは、年度の考え方が全然違うということです。

 例えば、平成30年度から新たなカリキュラムにしましょう(この授業は廃止しましょう、この授業を新設しましょう、履修方法を変えましょうなど)となった場合、平成30年度から全てが全く新しいものに変わるわけではありません。基本的には、カリキュラムは入学した年度により規定されるため、平成30年度入学生から新たなカリキュラム(新カリ)であっても、それより前の年度に入学した学生は以前のカリキュラム(旧カリ)にて履修を進めることになります(場合によっては、科目の読み替えるなどで対応することもあると思いますが)。平成30年度からの新カリではこの授業科目は廃止されるが、科目自体は平成32年度まで開講されるということもあり得るわけです。いわゆる「なお従前の例による」ですね。

 最初はこの考え方が全く理解できず、特に新カリ、旧カリ、旧旧カリなど多層的なカリキュラムになっているとわけがわかりませんでした。教務関係の人が言う「〇〇年度から」には「〇〇年度から」と「〇〇年度入学生から」の2つの意味があると言うことでしょう。

 特に、教職課程と心理士課程の二つを併用している場合、教育心理学などの授業科目については、再課程認定と公認心理師課程の関係で以下のようになる可能性もありますね。原級留置(いわゆる留年)が生じるとさらに複雑になるかもです。

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再課程認定質問回答集DBを10月27日最終更新版にアップデートしました。

kakichirashi.hatenadiary.jp

 各機関の教職課程担当者のお手元にはすでに届いていると思いますが、文部科学省より施行規則や再課程認定に係る様式が(ようやく)送付されましたね。ただ、施行規則は未だ公布されていませんので、厳密に言えば、送付時点でも確定版に限りなく近い暫定版という扱いになるのでしょうか。

 さて、送付されてきた添付ファイルの中にあった再課程認定質問回答集は10月27日最終更新版にアップデートされていました。そのため、以前作成した再課程認定質問回答集データベースも10月27日最終更新版に合わせアップデートしましたので、共有します。

再課程認定質問回答集DB(10月27日ver)

 以前作成したものと同様に、「掲載/最終更新日」及び「カテゴリ」にて質問回答を抽出できる他、各大学等からの質問事項を語句検索できます。検索語1のみに語句を入力すればOR検索、検索語1及び検索語2に語句を入力すればAND検索となります。なお、利用される際はマクロを有効にしてください。

財政審の図は意味不明である。

www.mof.go.jp

 10月31日開催された財政制度等審議会財政制度分科会(以下、「財政審」という。)の資料が公表されていました。同審議会は、財務省設置法第7条に基づく財政制度等審議会令により設置されている審議会であり、幅広く国の財政・予算等について審議されています。文教関係についても度々審議されており、本年度は5月10日に文教関係について審議され、また、10月4日に有識者ヒアリングとして五神東京大学総長が講演されています。

 財政審の資料はグラフや表など数値をふんだんに混じえて作成されており、原因に対する論点がずれているところもありますが、今回の資料も数値で理詰め(に見えるように)作成されています。ただし、1スライドだけ非常に違和感を抱いたのが、以下に示す37スライド目です。

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 それまでの図表に比べこの図が唐突に現れてきた感があるうえ、記載されている内容も私にとっては意味不明なことばかりです。

 図中にある3者(大学、学生、企業)を繋ぐ矢印の意味や”好循環を阻害しないように”という文言の意味、産学連携等が”採用・待遇において大学教育の成果を勘案”に接続するの意味など、どのように考えれば良いのでしょうか。また、そもそも、”大学教育・研究の成果=「稼ぐ力」”とは誰がどのように決めたのでしょうか。これらに関連して、40スライド目の「検討の方向性:高等教育の経済的負担の軽減」にある

真に支援が必要な低所得世帯への負担軽減を進めていくに当たっては、

(略)

大学経営陣、教職員が教育の質を高めようとする大学改革を阻害しないようにすること、

(略)

といった課題に配慮した制度設計が必要ではないか。

という文言もよくわかりません。国が行うことに大学人は口を出すなということでしょうか。

 資料の前後の文脈からは無償化の対象となる者を厳選するという趣旨があるようですが、37スライド目の図は普段精緻な財政審資料からは想像できないほど曖昧な印象を受けますね。 

課程認定申請担当者になって戸惑った3つのこと

 一年半ほど前に教職課程認定申請の担当者になったことを振り返ると、以下の3点に戸惑ったように記憶しています。

1.担当教員欄が空欄

 最初に作成したのが、後学期からの教育課程の変更に伴う変更届でした。過去の書類を参照した際驚愕しましたね、各授業の担当教員欄が空欄ばかりでしたので。なにこれ誰が授業をやってんのか全然わからないと動揺したことを覚えています。

 変更届では、課程認定上の専任教員のみ担当教員欄を記載し、兼担教員や兼任教員は空欄とします。この"課程認定上の専任教員"とは、設置審査における専任教員や常勤教員ではないことに注意が必要です。

 ただ、この"課程認定上の専任教員"とはどういう概念なのかは、未だに腑に落ちていません。教職課程上のコア・スタッフ、主要な授業を担当できる業績を持った教員など色々考えたのですが、申請時に非常勤を含め全ての教員が業績審査を受けるわけですし、業績の多寡や担当授業のポジションにはあまり関係がないのではないかと考えています。"課程認定上の専任教員"とは複数の教職課程を持つ際の割り当てという役割が大きいのではないか、というのが現在の所感ですね。

2.種類が多すぎる

 教員養成系学部も担当していますので、免許の種類が多すぎて最初の方は大混乱でした。中学校教諭一種免許状及び高等学校教諭一種免許状でそれぞれ10種類以上あるうえ、特別支援学校教諭免許状でも複数の領域があります。各種類によって少しづつ扱いが異なることに加え、それぞれ専修免許状の課程もあり、全く全容が把握できませんでした。

 これらを整理するうちに、科目の共通開設や専任教員数カウントのルールを覚えていきましたね。

3.どこまでこっちで決められるのか

 施行規則等で細くルールが決まってはいるのですが、当然大学側の判断で対応できる部分もあります。どこまでがルールで定まっており、どこからが大学側の裁量でできるのか、最初はかなり戸惑いました。これも、業務を進めていく中で空気感を少しつづ掴んできたと認識しています。ただし、未だに判断に迷うこともあり、なかなか難しいところです(必ずしも全てが明文化されているとは思えない部分もあります)。

 

 自分なりに考え、分からないところの理解を少しづつ進めてきているところです。今度はそれを誰でもわかる形にしなければならないと感じています。

国立大学の一法人複数大学方式とは何か

www.nikkei.com

文部科学省国立大学法人が複数の大学を経営できるように制度を改める案を25日に開かれた中央教育審議会部会に示した。現行制度では同じ法人の経営は1つの大学に限られる。少子化で経営環境が厳しくなる中、重複する学部の統一や設備共有など、経営を効率化しやすくするのが狙い。中教審で議論し、来秋の答申までに結論を出す。

 国立大学法人に関するニュースが出ていました。当該案にかかる資料は大学分科会(第138回)・将来構想部会(第9期~)(第7回)合同会議の資料4−1にて公表されています。これは大学改革実行プランで言及されていた一法人複数大学方式(アンブレラ方式)のことですね。その名を聞いたのは実に5年ぶりであり、懐かしい気持ちになりました。

1.大学改革実行プランにおけるアンブレラ方式

「大学改革実行プラン」について:文部科学省

○必要な制度改正の検討、提案

(例)

  • 多様な大学間連携の制度的選択(一法人複数大学(アンブレラ方式)等)
  • 国立大学法人の評価の在り方
  • 財務上の規制緩和
  • 国立大学のガバナンスの強化

大学の枠・学部の枠を越えた再編成等へ

(例)

  • 「リサーチユニバーシティ」群の強化
  • 機能別・地域別の大学群の形成

  当時は、以下のような図が示されていました。

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 本アンブレラ形式は、大学改革実行プランの後に公表された国立大学改革プランでは言及されませんでした。その理由として、以下のようなことが言われています。

京都大学新聞社/Kyoto University Press » 交付金重点配分で改革を誘導 文科省「国立大学改革プラン」策定(2013.12.01)

大学改革実行プランで触れられていた「アンブレラ方式」(一つの法人が複数の大学を運営)は国立大学改革プランでは言及されていない。文科省高等教育局国立大学法人支援課によると、現段階では機能強化につながるかわからないこと、国立大学の側から統合の要望がないことの二つが理由。ただし今後改めて検討される可能性はあるという。

 なお、小野(2015)*1は、アンブレラ方式を含んだ大学改革実行プランの策定について、

国家戦略会議の議事録から確認できるのは、文科省財務省に示された条件を飲んでいる様子である。加えて国家戦略会議は、財務省の意向を量った故か否かは不明だが、財務省の意向に沿った条件を設けるという流れに掉さす動きをしている。

と指摘しています。

2.現行の制度等

 現行の国立大学法人法では、同法別表第1により、国立大学法人と国立大学が1対1対応で示されています。

国立大学法人法

(定義)
第二条 この法律において「国立大学法人」とは、国立大学を設置することを目的として、この法律の定めるところにより設立される法人をいう。
2 この法律において「国立大学」とは、別表第一の第二欄に掲げる大学をいう。
別表第一

国立大学法人の名称 国立大学の名称 主たる事務所の所在地 理事の員数
国立大学法人北海道大学 北海道大学 北海道
(以下略) (以下略) (以下略) (以下略)

 また、法人化当時の国会答弁において、大学ごとに法人格を与えることについて、以下の通り文部科学省より見解が示されています。

御指摘の法人の単位でございますが、まさに、大学運営の自主性、自律性を高める、そして自己責任を高めるという意味で自然な形であると思いますし、また、各法人がそれぞれの組織戦略のもとに、それぞれ、各大学が相互に競争的な環境で、あるいは、大学の個性化を図っていくという意味では、そういうことが期待できるのではないかということで、各大学ごとに独立した法人格を与えるというふうなことを原則として考えているわけでございます。

清水潔文部科学大臣官房審議官 - 衆 - 厚生労働委員会 - 平成14年11月20日)

 これを変更し、一法人で複数大学を設置できるようにするか検討しましょうというのが今回の趣旨でしょう。

 一法人複数大学と言えば、公立大学法人においていくつかの先例があります。

公立大学法人一覧:文部科学省

法人名 設置大学等名※四年制大学を複数設置する法人のみ抜粋
愛知県公立大学法人 愛知県立大学
愛知県立芸術大学
京都府公立大学法人 京都府立医科大学
京都府立大学
石川県公立大学法人 石川県立大学
石川県立看護大学
高知県公立大学法人 高知県立大学
高知短期大学
高知工科大学

  また、国立大学協会が作成した「国立大学の多様な大学間連携に関する調査研究」では、アンブレラ方式に関する調査が行われたようです(web上に公表されていないので内容は不明ですが)。そのほか、文献等で一法人複数大学に関する研究がありそうですので、公立大学法人の先行事例も含め、検討材料はある程度揃っていると見るべきでしょうか。

3.想定されうるパターン

 一法人複数大学設置において、パッと考えられるのは以下の3パターンでしょうか。

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  1と3は現実性が薄いと思われるため、もし実現するとすれば2が近しいのではないかと思っています。地方支分部局のようなイメージでしょうか。どのような業務や役割が上位法人に担うのか、気になるところではあります。

4.一法人複数大学によるメリットとその所感

 冒頭の記事では、一法人複数大学によるメリットとして、スケールメリットを活かした活動ということが挙げられています。ただし、現行の制度下において、単位互換や共同調達、共同資産運用、機器の共同利用はすでに一部国立大学で行われています。そもそも国立大学法人は単独の法人において収支均衡となるように会計制度が設計されており、少なくとも現行法下においては複数法人が合併したとしても経営的なメリットは言うほど大きくないような気がするのですが。。。

 私が危惧しているのは、学生(あるいは将来的に学生になるであろう潜在的な志願者)への影響です。例えば、東海3県にある国立大学で法人を組織した場合、三重大学岐阜大学に共に工学部機械工学科と同電気電子工学科・情報工学科があるため、機械工学科は三重大学に、電気電子工学科・情報工学科は岐阜大学に集約しましょうと言うことになるかもしれません。100%の平等は不可能だとは言え、生まれた場所により受けられる教育の差がより広がる可能性があると思っています。

 なお、このような話ではe-Learningなどによる遠隔授業の利用が推奨されるわけですが、対面授業に比べ、モチベーションの維持など難しい部分があると感じています。それらの問題点を攻略する方法も日々生まれているわけですが、すぐにそれを教育活動に適用し効果をあげるのはなかなか困難ではないかと思っています。

 

 どうにも解せないのは、数年前にミッションの再定義をさせ各大学ごとの特色を明確にしようとしていたにも関わらず、今度は経営を統一化しようとしていることです。国立大学行政のチグハグ感を覚えます。本件についてはまだ検討の始まった段階ですし、議論の推移に留意していきたいですね。

遠藤功著「現場論」を読んで その2

現場論: 「非凡な現場」をつくる論理と実践

現場論: 「非凡な現場」をつくる論理と実践

 

  前回に引き続き、遠藤功さんの現場論を読んだ感想等です。

活動を組織能力に昇華する

 改善活動は比較的どこの職場でもやられていますがなぜ改善活動を行なっても非凡な現場にならないのか、それは単なる活動が組織能力に昇華できていないからだと書かれています。組織能力とは戦略を実行する力であり、単なる活動に取り組むだけでは組織能力の向上に繋がらないということですね。では、活動を組織能力に昇華するためには何を行えば良いのか、筆者は以下のように整理しています。

愚直に、とことんやり抜くこと

合理的な必然性(戦略的必然性と信条的必然性)が担保されていること

特に後者については、

  1. 戦略的必然性:何のためにその活動を行うか
  2. 信条的必然性:何にこだわってその活動を行うか

とし、

「戦略」が重要なのではない。策定された戦略が現場に展開され、一人ひとりが戦略の方向性を理解し、納得し、行動することが重要なのである。同様に、「信条」が存在することが重要なのではない。それが現場の一人ひとりに浸透し、共感し、実践することが重要なのである。

としています。

 この点は感銘を受けました。私も常日頃から「思い」が大切だと思ってきましたが、それを「信条」「何にこだわるか」と明確に言語化してもらった気分です。組織的に業務改善等に取り組んでいますが、なぜそれが定着しないのか、それは戦略的必然性はあったのも信条的必然性はなかったためかもしれないと思っています。特に、年度計画に書かれているからと上から言われて行う活動には、信条的必然性はなかなか見出しにくいかもしれません。

 なお、

信条とは、それぞれの企業が大切にし、拠り所とする「仕事上の心構え・規範」を意味する。「共通の価値観」と表現してもよいだろう。(略)こだわりは「勝手な思い込み」では意味がない。「それにこだわることが自社を成功へ導く最も合理的なやり方を示すものだ」と現場が理解し、納得しなければならない。信条とはけっして情緒的、精神的なものではなく、活動の合理的な理由付けを与えるものである。

とされています。自分の職場にはこのような信条があるのか、まずは探して作るところから始まるかもしれません。一時期に各企業で「クレド」を作るということが流行りましたが、あれはラテン語のCredo(志、約束)を意味しています。カトリックのミサ通常文にもCredoという部分があり、信仰宣言とも訳されます。

Credo in unum deum, (われは唯一の神を信ず)

 まさに「信条」ですね。なお、この信条を皆に普及させるような同質性は、多様性は排除しないものとされています。基盤を共有し、あとは個々の創造性などを活かすということですね。

いかにして非凡な現場を作るか

 このような組織能力(現場力)が高い現場、つまり非凡な現場を作るためには、以下の4点に留意しなければならないとしています。

  1. 自律分散組織の構築には手間暇がかかる
  2. 「保つ能力」と「よりよくする能力」は全く異なる能力である
  3. 「最低でも10年」のつもりで時間軸を長くとる
  4. まずは本社が変わる 

 これらを踏まえたうえで、自ら膨張する性質のある業務に対応するため、業務にメスを入れ「よりよくする能力」を獲得しなければならないとのことです。

 特に、「保つ能力」と「よりよくする能力」は全く異なるという点は盲点でした。基礎的な能力を十分に身につければ自然と高次の能力に繋がると考えがちですが、必ずしもそうではないということですね。「保つ能力」に長けた人も、「よりよくする能力」に長けた人もいるでしょうから、組織としてそれぞれの能力を確立する際には、様々な人に活躍してもらえることができるかもしれません。これが同質性のうえでの多様性ということでしょう。

合理的な仕組みを確立する

 現場力を高めるためには、合理的な必然性に加え、合理的な仕組みが必要だとしています。ここで言う合理的な仕組みとはよりよくする循環のことであり、よりよくする循環とは

「標準→気づき→知恵→改善」というステップを踏んで循環する

ことだと定義されています。

 さらに、この循環を支える土台として、

  1. 阻害要因の除去
  2. 報酬
  3. 競争
  4. 学習

の4つの要素が必要であるとしています。

 これらで気になったのは、阻害要因の除去という点です。どうしても現場から自然に改善が出てくると思いがちですが、改善を考えられるような環境を整えるということも重要であると指摘し、具体例として時間の工夫や改善提案に対する迅速なフィードバックが挙げられています。また、これらを用いて、現場が自らの意思でやらざるを得ない、やるしかない状況に追い込む(追い詰めるのではない)ことが大切であると記されています。

ナレッジワーカーを育成する

現場力という組織能力の進化は、ナレッジワーカーが存在しなければ成立しない。現場で業務に従事する一人ひとりが業務遂行に留まらず、知識創造に取り組むことが組織能力の高度化につながる。

 現場力を高めるには、一人ひとりがマニュアルワーカーからナレッジワーカーに変容することが必要だとしています。具体例の一つとしては、

「コストダウンや品質改良など改善による目先の効果も大事だが、もっと大事なのは改善をやろうとする人間、改善ができる人間を育てることだ。」

と記載されています。

 これはまさにその通りだと感じています。取り組みではなく人をみるという点は、まさにヒューマン・リソース・マネジメントですね。逆に言えば、自分の職場にこのような方はどれほどいるのか、何より自分自身がこのような存在になれているのか、考えてしまいます。

「もっとよいやり方はないか」「もっと工夫できないか」を常に考え、業務のあり方、設備のあり方、仕組みのあり方、管理のあり方を研究し、自分たちで分析し、創意工夫する。トヨタの競争力の本質は、現場にナレッジワーカーという「研究者兼実務者」が存在することにある。

 現場での実務上の研究とは、まさにここに書かれたことでしょう。例えば大学院等で学ぶ学術上の研究とは少し方向性が異なるようにも見えますが、しかしその根底にある方法論などは共通だと考えます。つまり、研究の対象や当事者性こそが、両者を分かつポイントの一つだと考えます。

 ナレッジワーカーを育ているためには、条件を付与すること、環境を整えることの合わせて8つの鍵が示されています。ここでは触れませんが、いずれも「現場を信じる」ことの大切さが根底にあるように感じました。

トップダウンの役割とは

「トップが興味がないことは現場は絶対に根付かない。何もいわれなかったら、現場は『このままでいいんだ・・・』と思う」(略)現場主導のボトムアップの動きを生み出し、持続的な組織能力へと高めようと思えば、経営者自らの強烈なシーダーシップで引っ張るしかない。ボトムアップトップダウンからしか生まれない。

 ボトムアップトップダウンは対比的に語られることが多いですが、そうではないとしています。おそらく、トップダウンにより組織の戦略と信条を各人にきい届かせなければ、組織に合ったボトムアップは生まれてこないということでしょう。トップダウンを行う経営者が理解しておかなければならないこととして、

  1. 現場は理詰めでなければ動かない
  2. 現場は理詰めだけでは動かない

の2点を挙げています。ここで言う「理詰め」とは何を指すか明確ではありませんが、おそらく合理的な説明を尽くし納得させるよう説得するということでしょう。

 また、大切なことは理詰めだけではないとし、熱のある対話で組織密度を高めることで、現場は動くとしています。特に、経営者と現場のダイレクトコミュニケーションがとても重要であると述べています。併せて、このような経営者の覚悟を現場はよく見ているとし、覚悟や本気さを伝えることが現場力を高めるために非常に有効であるとしています。

 

 2回にわたり「現場論」をまとめてきました。ここに書いた以外にも、様々な示唆を得ることができました。