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業務コストの削減による弊害と職員の専門性との関係

 前回、弊BLOG記事(会議の事務局としての裏方ファシリテーションの手法 - 大学職員の書き散らかしBLOG)にて、事務局としてどうすれば会議を円滑に裏方から運営できるかについて述べました。特に今携わっている業務においては、カウンターパートの会議コスト(労力)やそれに関連する業務コストをどのように下げるかということを念頭において、会議運営や業務依頼を行っているつもりです。

 ただ、会議時間の短縮等得られた成果もあるのですが、同時に弊害も発生しており、その対応に頭を悩ましているところです。どんな弊害が発生していて、どのように対応しようとしているのでしょうか。

1.会議メンバーの知識経験の差から生じる認識のギャップ

 会議のメンバーは、任期をずらしたり任期2期目を設けるなど、全員が経験0の者にならないようにしています。つまり、以前からの知識経験がある者と知識経験の乏しい者が議場で共存することになります。進め方はどうしても初任者に配慮した進行速度等になりますので、経験者によっては進行が遅いと感じる者もいるようです(パーソナリティによるのだと思いますが。。。)。一方、初任者もなかなか議事全容を把握することが難しいということも聞いています。このように、会議メンバーの知識経験の差から認識のギャップが生じていると考えます。

 コストを削減するためある程度焦点を絞った議事を行うと、それ自体が業務の文脈から切り離されがちになります。つまり、「何が目的なのか」「何を大切にするのか」「過去からの経緯はどうか」ということがわからないまま、Aという入力に対してBを出力するのみの「作業」になりがちだと考えます。特に1,2年で任期が終わるような会議については、このような状況になりがちです。

 現状では、当該業務の全容や国・大学の動向の経緯、今後の見通しなど説明する機会を設けるとともに、当該業務の説明の際に全体の流れの中での位置づけを明らかにする、必要に応じて会議メンバーと事務局で意見交換をすることで対応しています。正直、時間が経てば解決する部分もあるかなと思っているため、会議各回の質を上げつつ様子を見ているところです。

2.業務の背景にある文化風土の不浸透

 各部局に対し業務依頼等を行う際も、極力焦点を絞ったりガイドを付けたりしています。場合によっては、あらかた当方で作成してから事実誤認等のみ確認することもあります。この場合、前述のとおり文脈が損なわれ、その業務が担っていた良い点が損なわれる可能性があります。大きく言えば、その業務の文化風土が損なわれる可能性があるということでしょうか。

 1.と同様に、説明会等の開催や各業務依頼の際のフォロー、学内資料の等を行い、このリスクを回避しようとしているところです。まぁ、この点については、当該業務の内容や重要度、今後の展開にもよるところが大きいと思います。ですが、コストを削減することが一因となり学内意識を醸成できていないのではないか、ということは私個人としては最近特に恐れています。

 

 両者とも、コストの削減に合わせて、それまでその業務が担っていたものも損なわれるということが影響しています。だからといって、すべて今のままで良いというわけではなく、業務総体の中でバランスをとっていくものなのでしょう。あくまで私の印象ですが、複数のカウンターパートのコストを下げた分こちらのコストが若干上がったとしても、大学全体としては良い効果が上げられるのではないかと思っています。

 個人の業務レベルで見ると、理想的には、上司や先輩が部下や後輩に能力等を身につけさせる際は、自分が掛けてきたコスト(時間、費用など)よりも少ないコストで身につけられるように工夫して指導等するものだと考えています。そうして、能力等を身につけた後輩達は、浮いた時間等で新たな学習ができるということですね。そうしなければ、同じ苦労を味合わせるといった非合理的な対応になり、能力等が向上した後輩が育成しにくくなります。この場合は、個人の意欲に加え、上司や先輩のコーチングや指導方法等が大切なのでしょう。

 会議や関連業務にしても、ある意味で、担当者からその他の者(会議メンバー、大学構成員等)への当該業務に関する「教育」という面をはらんでいます。もちろんそのためには、担当者がその業務の背景や理論等について、学内で最も詳しくならなければなりません。以前弊BLOG(大学職員の職能開発に思う 〜あるいは「専門性」の胡散臭さ〜 - 大学職員の書き散らかしBLOG)でも言及したとおり、職員の専門性とは学術的にも耐えられる能力等の獲得だと思っていますので、その知識や経験を持って学内構成員に業務の本質や歴史、勤務校の文脈にあった業務方法などを伝えていかなければなりません。特に、当該業務に関連する専門分野を持つ教員がいない場合はなおのことです。

 ここまで言うと少し言いすぎかもしれませんが、それにしても担当者の能力はその大学の運営に直接的に影響します。高等教育を専門とする教員が学内にいない場合、高等教育を学んだ職員がその役割を担い、大学を良い方向へもっていくことができると言っても過言ではないのかもしれないと思っています。

 なんにせよ、教員のみでなく職員も一人一人が得意分野を持って大学運営に参画していくことで、各人の果たすことができる役割が見え、大学の活力に繋がっていくのではないかと思っています。会議運営など日常業務においても、それを発露することができる場はたくさんありそうですね。