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大学職員の職能開発に思う 〜あるいは「専門性」の胡散臭さ〜

 大学職員の職能開発、つまりStaffDevelopment(SD)について初めて言及されてからずいぶん経つという印象です。平成20年に出された中央教育審議会答申「学士課程教育の構築に向けて」では、大学職員の職能開発について、以下のとおり書かれています。

  大学職員は,大学の管理運営に携わる,また,教員の教育研究活動を支援するなど, 重要な役割を担っている。職員の学内での位置付け,職員と教員の関係については,国 公私立それぞれに状況が違うが,大学経営をめぐる課題が高度化・複雑化する中,職員 の職能開発(スタッフ・ディベロップメント,SD)はますます重要となってきている。(P41)

 持続可能に学び続ける大学職員をどのように育成するかということは重要であり、私自身も学び続けていきたいと思っているところです。

  そんな中、よく出てくる言葉に「大学職員の専門性」という言葉がありますが、どうにも胡散臭く思ってしまいます。もちろん、職員として能力向上を目指すことは大切なこと、というよりも当たり前のことですが、私が感じる胡散臭さはどこに原因があるのでしょうか。

 ひとつは、「専門性」というイメージの違いです。端的に言うと、私は「専門性とは学術論文が書けること」だと思っています。そのため、「専門性」を身につけるためには関連する学会や学術集会に参加するとともに、最新の情報を収集し分析することが必要です。しかし、「専門性」という言う方の話ぶりでは、「業務体験を重ねノウハウをより集積すること」という印象を受けます。だからこそのローテーション人事の否定でしょう。

 しかし、ノウハウを集積することで専門性が身に付くのでしょうか。ノウハウを一般化モデルに変換し広く共有することにより、まだ見ぬ脅威・危機への対応ができることこそ、専門性の強みです。ノウハウのまま留まっていては、単に「物事を良く知っている人」です(それはそれで大切ですが)。執務席に座って与えられた仕事をこなしているだけで専門性が身に付くと思ったら大間違いだと断言します。

 もう一つは、知識経験の独占化への懸念です。そもそも大学職員の職能開発とは、教職恊働を目指した職員の地位向上の裏付けという意味があるという認識です。ここで大切なのは、「職員全体」の地位向上であり、つまり「職員全体」として職能をどのように開発していくかということです。

 しかし、「専門性」と言う方は、どうも「かけがえのない自分」「組織として替えのきかない自分」を目指している感じがあります。それはそれで良いのですが、しかし知識経験を独占しては、職員全体としての職能開発には繋がりません。これまでの大学職員像へのアンチテーゼとしての「専門性」ではなく、大学全体の質向上に役立つ「専門性」とは何なのか。大学院等で専門性を身につけられた方は、持続可能に学び続けるとともに、是非身に付けた知識経験を他の方に広めていってほしいと思っています。

 「○○性」と言うからには、「領域の幅」つまり知識コア領域とその周辺領域の明確化、「領域の深さ」つまりコア領域と周辺領域をどの程度・水準で身につけるかの2点を定める必要があります。これにより、大学職員が専門性を身につけるにはどのようなカリキュラムは必要なのかを設定することができます。これには、厚生労働省が定める職業能力評価基準が参考になると思っています。

職業能力評価基準について|厚生労働省

 絵に描いた餅ではなく、真に大学に貢献できる専門性の明確化に向かって、私自身も考えていきたいです。