奨学金問題に思う 〜あるいは国費支出の妥当性について〜
中日新聞:「奨学金」世代間で見方に差 経済状況、大きく変化:暮らし(CHUNICHI Web)
大学生の奨学金について、いくつかのメディアで取り上げられていました。
一口に奨学金と言っても、国から出資されているものから民間団体が支給しているものまで様々あります。最も規模が大きく、記事中言及されているものは、独立行政法人日本学生支援機構が出資する第1種奨学金(無利子)と第2種奨学金(有利子)でしょう。前者は大学生に対し26万人程度、後者は73万人程度に支給されています(平成23年度実績)。第2種の支給人数はこの5年間で2倍程度になっているようですね。
なお、国立大学法人運営費交付金の中には、一定割合の学生への授業料免除用に予算が組み込まれ、各国立大学ではその割合に従い授業料免除枠を設けています。奨学金とは少し違いますが、これも学生への支援と言えます。
さて、そんな奨学金については、様々な意見をweb上で見かけます。
過去とは全く違う奨学金の今と未来を考える(10/12シンポまとめ) - Togetter
やっぱり、奨学金問題は自己責任ではない:ご意見に反論いたします
これらで言及のあることについては、基本的には賛成です。長期的には給付型を増やしていくのが良いのでしょうね。
これらの問題は、単に奨学金問題というよりは、国家として高等教育の費用をどのように負担していくのか、ということにたどり着くと思います。高等教育の費用問題と言えば、国連人権規約です。日本は、平成24年に社会権規約13条2(b)及び(c)の留保を撤回し、高等教育の無償化の方向へ舵を切りました。
外務省: 経済的,社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)第13条2(b)及び(c)の規定に係る留保の撤回(国連への通告)について
第13条2
(b)種々の形態の中等教育(技術的及び職業的中等教育を含む。)は,すべての適当な方法により,特に,無償教育の漸進的な導入により,一般的に利用可能であり,かつ,すべての者に対して機会が与えられるものとすること。
(c)高等教育は,すべての適当な方法により,特に,無償教育の漸進的な導入により,能力に応じ,すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること。
「無償教育の漸進的な導入」ですので、直ちに無償化されるわけではありませんが、留保の撤回は大きな一歩です。
一方、財政健全化に向け、政府は中期財政フレームを策定し、公債発行額を抑制しています。また、高齢化の進展により、社会保障費は毎年1兆円程度で増加傾向です。
このような状況の中、給付型奨学金など高等教育の予算をどのように確保していくかは、とても難しい問題です。極論を言えば、高等教育の予算とは「来年から毎年10人死ぬが、10年後に200人救うから、予算をくれ。」と言っているようなものかもしれません。もちろん、教育とは将来社会への投資であり、長い目で見れば国家存亡に関わることです。しかし、目の前で死にそうな人がいる状況におかれたとき、高等教育に金をくれと言うことはできないと思います、少なくとも私は。また、国家も同じなのかもしれません。
このような観点からも、今後大学に対する所謂「説明責任」はもっとシビアになっていくことが予想できます。今、政策として予算付けされているCOC事業など大学改革に対する予算は、真に国家に役立つ大学を選別する始まりなのかもしれません。もちろん、「役に立つ」とは、大学自身がその根拠とともに示していく必要があります。ただし、それが「役に立つ」と判断されるかどうかは国家次第ですが。
これらの背景をふまえ、国立大学としては、収入の自立性を高めていくことが大切になってきます。ただし、これには国立大学法人運営費交付金の仕組みも考慮に入れる必要があります。そのお話しはまた今度。