設置計画履行状況等調査の結果に思う 〜質の変化と質保証〜

【主張】大学の質低下 文科省の責任も問われる+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

 少子化で受験人口が減る中で、大学教育の質低下が顕著になっている。文部科学省が新設大学などを対象にした調査では、英語の授業で中学程度の基本的な文法を教えている大学もあった。文科省と大学は高等教育の教育改革に真剣に対応してもらいたい。文科省は、大学設置認可後に、授業内容や教員組織の整備など運営が適切か調べる「設置計画履行状況調査」を行っている。平成25年度の調査では、対象の大学・短大や大学院528校のうち、教員数が設置基準に満たないなどとして半数が改善を要求され、改善計画の提出を求められた大学も1割近くある。

 大学教育の質に関する記事が出ていました。記事中にある「設置計画履行状況調査」とは、大学設置・学校法人審議会大学設置分科会が行う大学・学部・研究科等設置後の調査のことです。アフターケアとも呼ばれており、ACと略されることもあります。国公私問わず、基本的には、完成年度(標準修業年限)を迎えるまでの学部・研究科を対象としています。

設置計画履行状況等調査の結果等について(平成25年度):文部科学省

 設置計画履行状況等調査(以下「アフターケア」という。)は、文部科学省令及び告示に基づき、大学の設置認可時等における留意事項及び授業科目の開設状況、教員組織の整備状況、その他の設置計画の履行状況について、各大学からの報告を求め、書面、面接又は実地により調査を行い、各大学の教育水準の維持・向上及びその主体的な改善・充実に資することを目的として実施するものである。

 記事中「英語の授業で中学で教えるbe動詞など基本的な英文法を教えている大学があった。」というのは、ヤマザキ学園大学動物看護学部動物看護学科のことですね。ニュースにもなっていました。

国公私株学名学部名等開設年度留意事項
私立 ヤマザキ学園大学 動物看護学部動物看護学 22

◯入学者の状況について、受験者のほとんどが合格していることや、必修科目として配置している「イングリッシュスキルズ(基礎)」については、Be動詞や文の種類(単文から複文)から仮定法までの内容とせざるを得ない状況と推察すると、入学者選抜機能が働いているとは考えられないため、アドミッションポリシーに沿って適切な入試を行うこと。

◯「イングリッシュスキルズ(基礎)」については、大学教育にふさわしい水準となるよう内容を修正し、必要に応じ正課教育外での補習教育を整備すること。

必修でbe動詞教える大学、文科省が改善要求 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 調査は、卒業生がまだ出ていない新設の大学や短大、大学院を中心に、全国528校が対象。学生数が定員と大幅に異なったり、定年に達した教員を雇い続けたりする事例が目立ったほか、ヤマザキ学園大(東京都)では、必修科目の英語で、be動詞の使い方などを教える授業が行われており、同省は大学教育にふさわしい水準に改めるよう求めた。

 それに対し、当のヤマザキ学園大学は、プレスリリースを出しています。

「設置計画履行状況等調査の結果等」における本学の英語教育について|ニュース一覧|インフォメーション|ヤマザキ学園大学

 本学では「動物愛護の精神に則り、動物看護教育の修得に強い意欲を持つ入学者を選抜する」というアドミッションポリシーのもとに、多様な学生を受け入れています。本学受験者の中で、受験科目に「英語」を選択する者は、募集人員に対し15%程度です。 従って入学直後、新入生全員を対象に「英語学習傾向試験」を行い、個々のレベルと内容に応じて8クラス(1クラス23〜25名)に編成しています。授業には大手出版社発行の大学生向け教科書を用い、大学の教育水準を維持できるよう対応しています。特に指摘のあった「be動詞」については、基本的な意味・用法を確認後、英文で書かれた動物関係の論文要旨等を読み、そこで用いられているbe動詞とその応用を学ぶ内容となっています。さらに、本学では規定の試験に合格した者のみ厳正な単位認定を行っています。 また、正課教育外の補習教育として英語の基礎学力向上のため、リメディアル講座(中学・高校の学習内容の補習)の準備を進め、平成26年度より実施予定です。

 ACの指摘は、恐らく、同授業を正課内で行うことつまり単位を与えるのは如何なものかという趣旨だろうと思います。ただ、同授業内容を大学で教えることについては、例えばリメディアル教育などの実施もあり、禁止するものではないと理解しています。実際、同大はリメディアル講座の準備を進めているようですので、同授業の一部を同講座へ移管するということなのかなと考えます。留意事項には現れていませんが、実地調査等の際に何らかの助言等があったのでしょうか。

 このような指摘が生じる背景にあるのは、大学の質が低下しているというよりは、大学が機能別に分化し始めているためと考えています。質の低下ではなく、800近くある各大学の性質により大学全体の分布の変化、つまり質の変化が起こっているのではないでしょうか。端的に言うと、これまでの研究活動を基にした教育を中心にする大学が多勢だった時代から、大学入学時の偏差値が低くとも卒業時の偏差値(のようなものがあるとするならば)を高めその差を教育効果とする大学も出て然るべきだと思います。

 もはや各大学は一言で「大学」とまとめられる存在ではなく、大学全体に対して言われている言論は全体に対し有効に機能しない可能性が高まっているのではないでしょうか。中教審答申も、良く読めば、ターゲットとしている大学の層が透けてくると感じています。だからこそ、自らがどのような質・特性を持っており機能しているかを示すため、教育研究情報等の公表や大学の質保証が叫ばれているのでしょう。

 この前提に立つと、これまで評価の文脈で語られることの多かった質保証と言う概念は、大学評価基準にある水準判定のみではなく、自ら力を入れる取組について根拠とともに効果や改善状況を示すことも当てはまるのだと思います。なお、このような話の際、「質」とは何かということはあまり言及されません。神学論争になりそうな話題ですが、「質」が何を指すのか明らかでないことが、内部質保証が普及しない一因ではないかとも考えています。

 もちろん、各大学が教育研究活動に励むのは大前提です。一方、高校生の学力状況も一昔前に比べ異なっているのではないかとも考えています。調査結果では、高校生の家庭での学習時間は昔に比べ変化しています。

調査データクリップ!子どもと教育 - ベネッセ教育総合研究所

 高校生は、在学する高校の偏差値帯別に平均家庭学習時間が大きく異なっていて、「偏差値55以上」の高校の生徒と「偏差値45未満」の高校の生徒では、学習時間に2倍以上の開きがある。また、「偏差値50以上55未満」の高校の生徒の学習時間の減少が著しく、1990年は「偏差値55以上」とほぼ同じ112.1分であったのが、2006年には60.3分と約半分に減っている。大学や学部の新設ラッシュと少子化が相まって「大学全入時代」が始まると言われているが、大学を選ばなければ誰でも入学できることが、偏差値中位の高校生の家庭学習時間に、影響を与えていると考えられる。

 学力不足の高校生と彼らを入学させる大学とは鶏と卵の関係にあります。どこが悪い誰が悪いではなく、学校教育システムの質の問題として捉えた方が良いのだろうと思っています。このような状況を受け、桜美林大学の諸星先生は、高校4年制論を展開しています。尾木直樹先生との共著である危機の大学論 日本の大学に未来はあるか? (角川oneテーマ21)の中では、そのことについて以下のとおり言及しています。

 さまざなことを勘案した上で、学力がなくともとりあえず入学させてしまって、学力はその後で面倒見よう、(中略)これが、現在、多くの大学が抱えている「初年次教育」問題の始まりだったと思います。(中略)しかしここで、いま一度、「大学の授業を受け得る学力は、大学に入る前に身につけなければならない」という、原理原則に戻って考えてみることも必要なことではないかと思います。(中略)高校の3年に1年をプラスする。そしてその1年の間に、(中略)学力、技量、資質を身につけてもらう。指導は、高校教員の方々にお願いする。これが「高校4年制」の基本的なイメージです。(中略)いま大学がやっている「初年次教育」を高校に押し付けようというのではありません。むしろ、本来の、それぞれの教育レベルの役割をきちんと果たそうよ、という提案です。(Kindle版No.1888/2112)

 私自身高校教育政策に明るくないのですが、高校卒業時の質保証について国としてどのように取り組んでいるのか興味があるところです。法令では、高校の卒業要件について、以下のとおり言及されています。

学校教育法施行規則

学校教育法施行規則(昭和二十二年五月二十三日文部省令第十一号)

第九十六条  校長は、生徒の高等学校の全課程の修了を認めるに当たつては、高等学校学習指導要領の定めるところにより、七十四単位以上を修得した者について行わなければならない。ただし、第八十五条、第八十五条の二又は第八十六条の規定により、高等学校の教育課程に関し第八十三条又は第八十四条の規定によらない場合においては、文部科学大臣が別に定めるところにより行うものとする。 

高等学校学習指導要領(ポイント、本文、解説等):文部科学省

高等学校学習指導要領(平成21年3月 文部科学省

第1章 総 則 

第2款 各教科・科目及び単位数等 

1 卒業までに履修させる単位数等

単位については,1単位時間を50分とし,35単位時間の授業を1単位として計算することを標準とする。

 これを見る限り、学修時間ではなく履修時間に応じて単位を出しているとも読み取れます。

 高校教育の質保証については、中央教育審議会初等中等教育分科会高等学校教育部会にて、審議が行われています。最近報道のあった達成度テストも高校教育の質保証の文脈から出てきたものでしょう。

資料1 高等学校教育部会における高校教育の質の確保・向上に係る審議のポイント(案):文部科学省

中教審:達成度テストの基礎レベル案 6教科、高1から - 毎日新聞

 文部科学相の諮問機関「中央教育審議会」の高校教育部会は17日、大学入試改革として検討が進む「達成度テスト(仮称)」の基礎レベル試験について骨子案を公表した。主要6教科の希望受験型とし、高校1年から年2、3回受けることができ、高等学校卒業程度認定試験も統合する。3月末にも報告書をまとめる。

 私はこの部会の議論の流れを細かく見ているわけではありませんが、身につけさせる能力(コア)の明確化が一つの議論のポイントになっているという印象があります。大学教育における質保証は、アクティブラーニングなど教授方法に注目されることが多く、同じ「質保証」と言ってもだいぶ様相が異なるのかなと感じています。恐らく、中学校の次の段階である高等学校は「学校教育の線上」という社会的な認識が強く、大学とのニュアンスの違いが発生しているのではないかと考えます。高等学校教育と質保証については、以下の論文が総論的に整理されています。

研究紀要:国立教育政策研究所 National Institute for Educational Policy Research

国立教育政策研究所紀要』 第138集

高校教育政策と質保証

 大学の質低下(あるいは質変化)について、「そんな大学に補助金を支払うのは税金の無駄である」という言論もあります。わからないでもないですが、その者がどの程度納税しているか、どの程度税金を基にした事業の恩恵を受けているのか、その大学がどの程度税金投入されているのかがわからないことにはなんとも言えません。一銭たりともと言うのは良いですが、現代の日本でその考えが果たして有効なのかは疑問です。

 学校教育とは、基本的には積み上げ型であり、学校段階が進めば進むほど当該者の知識能力は向上するものと考えます。高次の学校段階を卒業した方が一般的には生涯賃金等は増すでしょうし、非常におおざっぱに言えば結果として納税額が高くなる可能性も増加すると思っています。雇用問題も関わってきますので直ちに単純化はできませんが、長い目で見れば、進学率を高めることは税収増加や国民への還元、ひいては国力増強にも繋がるのではないでしょうか。このあたり、門外漢ですので、あまり根拠なくイメージでお話ししています。教育収益率については数多くの論文が出ていますが、とりあえず2つ示しておきます。

平成21年度 教育改革の推進のための総合的調査研究 ~我が国の教育投資の費用対効果分析の手法に関する調査研究~報告書(平成22年3月・株式会社三菱総合研究所):文部科学省

研究紀要:国立教育政策研究所 National Institute for Educational Policy Research

国立教育政策研究所紀要』 第140集

「教育の収益率」が示す日本の高等教育の特徴と課題

 「昔はbe動詞が分からない者なんて大学に入学しなかった。そんな者は大学に入学させるな。本当に大学で学びたい者だけ入学させろ。」という言説もあります。昔に比べ大学の質が変化してきたことは前述のとおりですが、学びたい者だけを入学させろというのは全く分からない話です。というのは、「本当に学びたい」という者を外形的にどのように判断するのか、その実質的な測定手段が想像できないからです。低偏差値大学から東京大学まで、「本当に学びたい」と思って入学した者はどの程度いるのでしょうか。高倍率の入学試験を突破した者であっても、「東京大学に入りたい」という気持ちはあるかもしれませんが、直ちにその者が「本当に学びたい」と思っているとは判断できないでしょう。また、例え面接試験を導入したとしても、面接官が面接者としてのトレーニングを十分に受けていない教員だった場合(たいていそうだと思いますが)、数十分の面接のみで「本当に学びたい」を判断することは困難ではないでしょうか。このようなメンタリティに基づく判断は、大学入試の客観性公平性を損なわせ、生徒・学生の学習意欲にも影響を当たる可能性があります。非常に筋の悪い話だと感じています。

 このような言説は、たいていは学生より年上の方から出てくるという印象です。知識経験とは基本的には単純積み上げ型であり、同一人物であれば18歳の時よりも60歳の時の方が知識経験が増していると考えます。ただ、60歳現在の立場から18歳時点の知識経験量を測定するということは、非常に困難であるとも思います。つまり、0歳から18歳までの部分積分ができず、常に0歳から現時点までの積分量でしか物事を語れないのではないでしょうか。だとすると、今大学に入学しようとしている18歳に対して、60歳の者が「昔の学生(自分)よりも学力が低いから大学に入学するな」と言っているのは、どの程度客観性正当性がある言質なのか、私にはわかりません。「自分の18歳当時より頭が悪い(と思われる)者を大学に入学させることはまかり成らん。」という非常に個人的なやっかみに対し、聞き流す以外の手段はないでしょう。

 もし、「お前は大学に進学する真の意欲や適正がないから、高校卒業後は就職しろ。」という状況になれば、高校で就職活動をすることになります。平成24年度の高校・中学新卒者の求人・求職・内定状況は厚生労働省HPに公表されています。

平成24年度「高校・中学新卒者の求人・求職・内定状況」取りまとめ |報道発表資料|厚生労働省

【高校新卒者】(第1表)

○ 就職内定率  97.6%で、前年同期比0.9ポイントの増。

○ 就職内定者数 約16万2千人で、同4.4%の増。

○ 求人数    約22万7千人で、同8.8%の増。

○ 求職者数   約16万6千人で、同3.5%の増。

求人倍率   1.37倍で、同0.07ポイントの増。

 これを見ると、概ね求職者数を上回る求人数があることがわかります。ただ、一方で、大卒者よりも高卒者の方が3年以内離職率が高いということも言われています(図参照:「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」(中央教育審議会答申)」より)。また、高卒で就職する人材は、むしろ大学進学者よりも優秀であるという話もあります。

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 また、新規高校卒業者の就職活動は、大学のそれと全く異なっており、大きく制度を変えるのは難しいのかなとも思います(図参照:「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」(中央教育審議会答申)」より)。一般的に、大卒での就職の方が高卒での就職よりも条件が良いところもあり、少なくとも高卒での就職を押しつけるのは当人にとっても社会にとってもリスクがあるのではないかとも感じています。就職せずに一時的な職につく、いわゆるフリーターになるということも考えられますが、フリーターは規就職者に比べ社会的な損失が発生するとした調査結果もあります(少し古い調査ですが。。。)。

フリーター人口の長期予測とその経済的影響の試算 | 調査レポート(2005年以前) | 過去のレポート | 経済レポート | シンクタンクレポート | 三菱UFJリサーチ&コンサルティング

○そこで、フリーターの賃金、納める税金、消費額、年金を正社員と比較して、フリーター自身が被っている不利益と、フリーターが正社員になれないことにより生じている社会全体の経済的損失を試算してみた。

(中略)

【経済的損失】税収:1.2兆円減少、消費額:8.8兆円減少、貯蓄:3.5兆円減少

 高校卒業後、職に就くなどし、勉強の必要性を感じて大学・大学院に入学してから、ステップアップして再び社会にでるというような複線型が理想的だと思います。ただ、そのようなルートをたどっている実数も多くなく、モデルケースも見つけにくいというのが現実であるとも感じています。このことは、大学教育というよりは、メンバーシップ型に代表される企業の雇用形態等によるところも一定程度原因であると理解しています。

韓国政府「公共機関の高卒差別なくす」 | Joongang Ilbo | 中央日報

韓国/2012年7月/国別労働トピック/海外労働情報/独立行政法人 労働政策研究・研修機構(JILPT)

大企業や公共機関の高卒者採用、前年比1万人増!!|韓国経済.com

 韓国では、政府の働きかけにより、高卒人材の採用状況が好転しているという記事もあります。ただ、明確なエビデンスが見つけられませんでしたので、実情としてどのような状態になっているのかは、明らかではありません。大卒者が高卒者と偽って就職したというニュースも散見しました。

 私自身、進学率が高くなることには賛成の立場です。その際にまず表出するのは、大学のみならず学校教育全体の質の問題であり、大学の数や税金配分の問題は、その後に付いてくる話であり、より個別な議論になるだろうと思っています。もちろん、その重要性を軽んじるわけではありませんが。

 繰り返しになりますが、大学が目の前の学生や長期的な目的・目標達成のために教育研究に邁進するというのは大前提です。ただ、質の問題はそれだけでは解決せず、高校での教育活動や高卒・大卒・院卒などの就職状況など、就職段階も含めた学校教育全体の質の問題と捉えた方が、より適切に問題を把握できると考えます。

 そんな大きな話をされてもと言われると思いますが、大学の構成員にとっては、まずは日頃の教育研究活動をしっかりと行いより良いものにしていくとともに、その内容や教育効果を学外に対して発信していくことが肝要ではないでしょうか。また、大学に対し批判的な方におかれても、近くの大学の公開講座や公開イベントに参加いただき、少しでも今の大学や大学生に対する理解や興味・関心を持ってもらえれば幸いだと思っています。