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組織の課題=個人の課題ではない。

※何かを批判する意図があるエントリーではありません。

第9回コクダイパン会議、終了しました! | コクダイパン会議スタッフのBlog

第9回コクダイパン会議、無事に終了いたしました。ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。また、ご協力をいただいた会場校、関係の皆さま方、心より御礼申し上げます。

 こないだは第9回国立大学一般職員会議に出席していました。実行委員の皆さん、参加者の皆さん、お疲れ様でした。また、皆さんとともにすばらしい場をともに作れたことを嬉しく思います。今回も様々な内容で構成されていたわけですが、特に2日目では、各グループにて国立大学法人職員募集要項を作りつつ最終的には個人の行動目標に落とし込みましょうというワークがありました。正直言うと、これがかなり難しかったです。募集要項を作る前に国立大学を取り巻く課題を整理しつつ求められている職員像を同定したのですが、私の頭が固いせいだと思いますが、どうもこれを個人の行動目標にリンクさせることが自分が納得できる程度にうまくできませんでした。

 組織の課題(多くの場合は大学を取り巻く課題)から個人の課題を探りましょうというのは、一般的に見ても職員研修や研究会などにおいては常套手段であり、私自身の企画でもよく用いる手法です。組織の課題を考えること自体は、今までそのようなことを考えたことのない方に認識してもらうことや変化の激しい時代において改めて再確認することにおいて、とても意義深いと考えています。ただ、いつも私が慎重になるのは、組織の課題そのものが参加者にとって直ちにどうにかしないといけないとは限らないという思いです。つまり、必ずしも「組織の課題=個人の課題」ではないということですね。

 個人の課題って極めて個人的なものなんだろうと思います。上司との距離間がわからない、カウンターパートがアホだからイヤになる、ルーティンワークばかりで退屈、モチベーションを保てないなど、それは直接「大学の存続」や「学生への支援」につながるものではありません。過去のエントリーでは、私はそれを「やった方が良いと考えること」と言ってきました。また、組織と個人の関係についても、過去のエントリーで、「組織の目標達成のために個人の力の一部分を貸すという姿勢が健全」としてきたところです。基本的には各人の活動が組織としての取り組みになるため、個人の課題を解決することは組織のためになるはずです。けれども、組織の課題を提示されてじゃあ出来ることを考えましょうって、なかなか出来ることじゃないでしょうね。

 もしかしたら「課題」という言葉がシリアス過ぎるのかもしれないとも考えています。各人がやってみたいこと、やった方が良いと考えること、できること、できるようになりたいことを少しづつ広げていく先に、組織の発展なり職員の能力開発があるのでしょう。それを考える場こそが、コクダイパン会議であり、JUAM研究会であり、その他SDに関連する場なのだろうと思っています。