人事異動での担当業務変更に思う 〜専門性を連続させる〜

 色々な国立大学法人の状況を聞いていると、意外と人事異動の時期が異なることに気付きます。4月はもちろんですが、7月や8月、10月などという話も聞きますね。そろそろ7月異動でしょうか。

 「異動先が希望の部署とは違った」という相談を受けるたび、「同じ大学内なら業務が繋がっているから」という話をしてきたのですが、どうも自分で言っていてずっと違和感がありました。人事異動やそれをきっかけとした環境の変化、習得する知識・能力の関係をどのように考えれば良いのでしょうか。幾つかの書籍を紹介しながら、特に業務範囲、専門領域の変化について考えてみます。

 異動になれば、大抵は担当業務も変わり、それまで身につけたスキルでは適応できない状況も往々にして発生します。このような、謂わば専門領域が変化する際に意識したいことは何なのでしょうか。東京大学大学院教育学研究科教授の本田由紀は「教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)」の中で、特定の専門分野から広く展開していける能力である「柔軟な専門性」という概念を提唱しています。

 しかしそこで重要なのは、教育の外部社会の変化や流動性を鑑みるならば、そうした特定の専門分野に関する教育は、過度に狭い範囲に固定的に限定されたものではあってはならないということである。特定の専門分野の学習を端緒・入り口・足場として、隣接する分野、より広い分野に応用・発展・展開してゆく可能性を組み込んだ教育課程のデザインが必要である。

  筆者は、このような膨らみをもつ専門性を「柔軟な専門性(flexpeciality)」と呼んでいる。(略)まず何らかの専門性を選択し、そこからまずは関係の深い隣接領域へと徐々に拡張し、さらにより一般的・共通的・普遍性の高い知識の獲得へと進んでいくプロセスが有効である(略)初発の専門性は、個人にとって、先述した「暫定的な輪郭」として機能する。(略)以後の展開可能性がすでに予期的に組み込まれたものである。(P193)

 徐々に専門的な知識を広めていき、他の領域を含みながら、より普遍的な能力獲得を目指すというようなイメージでしょうか。ここでは、義務教育以降の後期中等教育における教育課程を前提とした記述ですが、著者によれはこの考え方は個人のキャリアパスにも適応できるとしています。

 実のところ、「柔軟な専門性」と合致するような職業経路は、現実社会のいたるところにおいて実際に観察される。(略)いずれも、初発の専門知識を核としつつ、それに関連するさまざまな事柄へと、認識や行動を広げてゆくというプロセスであり、むしろ世の中の動きの全般においてそうしたプロセスこそが常態と言ってもよいだろう。(P195)

 知識の広がりもそうですが、意欲・関心の広がりも柔軟な専門性の獲得に大きな影響を持ちそうだということが推測できます。同書の中では、専門分野の有用性を感じている生徒ほど、学習意欲や社会的意識が高いという調査結果も示されています。

 「柔軟な専門性」という概念について、何となく感覚的には理解できるところですが、少し分かりにくく抽象的だとも感じます。また、「柔軟な専門性」と言いつつも、その中身は個別の専門性ではなく、専門性をどのように獲得していくかという方法論に近いものなのでしょう。初発の専門知識から他の専門性へジャンプする方法も気になります。

 異なる専門性を繋ぐ考え方については、働き方の変化や転職にどのように対応するのかということにも関連しています。ロンドンビジネススクール教授のリンダ・グラットンは「ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉」の中で、未来の仕事の要因を予想するとともに、ゼネラリストから連続スペシャリストへの脱却と「連続した専門性」という考え方を提唱しています。

 まず、自分が選んだ専門分野の技能と知識を深める必要がある。そしてその後も、自分の能力を高めたり、新しい人的ネットワークを気付いたりすることを通じて、ほかの専門分野に移動したり、脱皮したりすることを繰り返さなければならない。

・専門技能の連続的習得:未来の聖亜紀ではニーズが高まりそうなジャンルと職種を選び、浅い知識や技能ではなく、高度な専門知識と技能を身につける。その後も必要に応じて、ほかの分野の専門知識と技能の習得を進める。(P237)

 転職や起業を前提した話でもあるため、同一機関内における異動とは必ずしも合わない部分もありますが、専門分野の移動や知識習得という点では学べることも多いと思います。特に、「連続的」「脱皮を繰り返す」という言葉は、意識したいところです。

 同書では、高度な専門技能を身につける方法も記載されていますが、それと併せて専門分野を広げる方法も記載されています。

 専門技能に習熟することについて回る落とし穴は、専門専門分野に特化するあまり、広い視野を失いかねないことだ。(略)この落とし穴にはまらず、複数の分野の高度な専門知識と技能を組み合わせることが欠かせない。それを成し遂げる方法は、大きく分けて2つある。

 一つは、特定の専門分野の枠を超えた幅広い人的ネットワークを築き、そのなかで複数の専門技能を組み合わせるという方法。大勢の多様な人たちと接点をもつことにより、さまざまなアイデアや発想に触れるのである。(略)
 もう一つは、自分自身で複数の専門技能を身につけるという方法。現在の専門分野の隣接分野に移動したり、まったく新しい分野に脱皮したりすれば、守備範囲が狭くなりすぎる危険を回避できる。(P273)

 特定の分野の周辺領域が大切であると認識しました。立教大学の全学共通カリキュラム所謂全カリを作った寺崎昌男先生に話を伺った際、カリキュラムとは深み(どれほど専門的に追求するか)と幅(どれほど周辺領域を含めるか)を決めることだという旨を聞きました。カリキュラムで幅を設定するということは、つまり習得する知識能力にも幅が発生することになります。ここから、学校教育のカリキュラムで習得した知識能力以外に習得した知識能力にも、基本的には幅が発生するのではないかと思っています。その幅が、次の専門分野専門技能の習得に関連してくるのでしょう。

 専門技能の連続的習得の論点で大切なことは、新たな専門分野等に移動した後に、これまで習得した知識技能は無関係になるのではなく、新たに習得した知識技能と組み合わせるという点ですね。時間と能力・スキルが軸に設定された2次元のキャリアマップでは、分野を移動すると移動前の能力・スキルの継続性が表現されず、ポンポンと飛び石状に能力・スキルを習得しているイメージをどうしてもいただきがちです。そうではなく、深みと幅を考慮した3次元のキャリアマッピングを意識することが必要ですね。

 同書には、専門技能の連続的習得等のための人的ネットワークの形成についても紹介されています。そのなかでは、「ポッセ(同じ志を持つ仲間)」と「自己再生のコミュニティ(情緒面の支えと安らぎを与えてくれる人間関係)」の概念とその作り方が提示されています。近年では、大学職員の勉強会が各地で開かれ、ネットワーク形成が行われています。国立大学法人の職員を対象とした最も規模が大きいものの一つは、弊BLOGでも紹介した国立大学一般職員会議でしょうか(国立大学一般職員会議に思う 〜変化し続けるコクダイパン会議〜 - 大学職員の書き散らかしBLOG)。

 このようなネットワーク形成にどのような意味があるのか、以前ある先輩職員の講演を伺った際、その方は以下の3点を効用として挙げていました。

  1. 情報共有・情報取得
  2. ロールモデル発見
  3. セーフティネット

 1、2はまだわかりますが、3のセーフティネットとはどのような意味でしょうか。例えば、何か新しいことや変わったことを学内で始めようとした際、様々な理由により上手くいかないことがあります。そんな時に直接関係ない立場として解決策や愚痴などを話せる者がいることで、ネットワークがモチベーションのセーフティネットとして働くといった旨のお話しをされたと記憶しています。上記のポッセと近しい考えかなと思います。

 WORK SHIFTに書かれた考えでは、ネットワークとはただ現状を良くするための手段なだけではなく、次のステージに向けた準備の場であるとも言えます。WORK SHIFTは主に転職等を主眼に置いたものであるため主体的な転身が背景となっていますが、受動的な異動においても担当業務が変わることによる新たなネットワーク構築や既存のネットワークにいる同様の業務者との改めての関係構築が考えられます。また、それは、例え受動的な異動であったとしても当該者を新たなステージに導くものだと思います。

 ただし、ただ異動し席に座っただけでは、ネットワークを形成できずその効用を得ることができないのは言うまでもありません。そこには、意欲やモチベーションなど、個人の思いが必ず介在します。教育関係で意欲と言えば、オックスフォード大学教授の苅谷剛彦が著書「学力と階層 (朝日文庫)」で唱えた学習意欲の格差(インセンティブ・ディバイド)が思い当たります。インセンティブ・ディバイドは親の社会的地位等と子の学習意欲の関係を述べたものですが、意欲を持った者の偏在化と言う意味では非常に興味深い説です。職員として学ぶことへの意欲の格差を再生産しないためには、どのような手段が取れるでしょうか。

 今回は、異動による知識能力の習得をベースとして、幾つかの書籍の内容を紹介しました。複数回言及したWORK SHIFTは、一部に無理のある言説や矛盾を感じる点はあるものの、働くことへの考え方やそれを基にした働き方やを示した良書だと思います。機会があれば、是非ご一読ください。