「仕事が好き」という気持ち 〜社畜にならないために〜

 先の記事にはたくさんのアクセスをいただいたようでありがとうございました。さて、今回は、大学のお話というよりは、仕事への心の持ちようのお話。

 私は今の仕事が好きです。依頼されたことは依頼者の想定以上のものを作り上げようと思いますし、依頼されていない資料を作って新しい方針を上司に相談したりします。いろいろな情報を集めて整理するとともに、他部署に提供したりもします。もちろん、これらを平常業務時間内に行おうと努めているところです。業務時間外でも、必要と思える能力や情報を得られる取組を行い、同僚や同業者と分かち合えればと思っています。

 一方で、「社畜」という言葉があります。

社畜 - Wikipedia

 社畜(しゃちく)とは、主に日本で、勤めている会社に飼い慣らされてしまい自分の意思と良心を放棄し奴隷(家畜)と化したサラリーマンの状態を揶揄したものである。

 私も、結果的に長時間勤務になることがあり、自虐的にこの言葉を使ったりすることもあります。しかし、少なくとも自分はそうなりたいとは思っていません。つまり、「社畜」化するかしないかの違いの要素があると考えており、私自身それを意識しています。

 それは、「価値判断を他人に渡さない」ということです。何が大切なのか自分で考え、自分で決めるということです。これは、仕事と私事のバランスにおいても同様です。もちろん、仕事をしていく上で、上司の決定が必ずしも私の判断と同じではない場合もたくさんあります。その場合でも、事前事後であれ極力、自分自身の考えをきちんと伝えること、あるいは伝える場を持とうとしています。少なくとも、自分自身の思いを発進し、相手の考えを聞くことで、双方に影響が発生し、今後より良い意思決定がなされると思っているからです。「まず、自分が決める」ということであり、「自分より先に会社を去ることがほぼ確実な相手に舵を全てあずけるのは止めた方が良い」という考えです。

 私には「職員としてこうなりたい。大学をこうしたい。」という姿があり、基本的にはそれを達成できるように意思決定をしています。ただ、職務において「〜〜したい」という意思を持っている職員ばかりではないということも気付いています。今興味があるのは、一体なぜ「〜〜したい」という意思が生まれるのかということです。もちろん、他者にこのような思いを押し付けることはいけませんし、意思の発生が自律的である必要があります。他者との交流がきっかけなのか、モデル人材が周りにいるためか、職場環境がそうさせるのか、どのような要因があるのか、引き続き考えていきます。