労働における成果とは何か。

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――日本企業が取り組んでいる働き方改革を見ると、その多くは残業規制のための制度作りに注力しすぎている気がします。この点はいかがですか?

 日本の働き方において何が一番悪いかといえば、言うまでもなく残業ですよ。残業手当てという制度がある限り、問題は解消されません。

 働き方改革に関しては、あながち政府が言ってることも間違ってるとは思いません。裁量労働制にしたらいい。特にオフィスで働いている人たちは、「時間」ではなく「成果」で働いているのですから。

 カルビーの松本会長に対するインタビュー記事が若干バズっているようです。内容としては、残業手当が長時間労働を誘引しているので各者の働き方に合わせて制度を再構築すべき、といったところでしょうか。

 オフィスは最も危険な場所であり、快適な場所です。危険というのは、ここにいても何も情報が入ってこないからです。製造現場やスーパーマーケットの売り場を回ったほうがはるかに勉強になります。かたや、夏は涼しく冬は暖かい、こんな快適なところはないです。だから皆そのために集まって、残業だけして帰っていくのです。

 けれども、考えてみてください。自宅を快適にするほうがいいか、オフィスを快適にするほうがいいか。家に決まっていますよね。オフィスにかかる経費を減らして、その分を社員に払えばいいと思います。

 自宅で仕事するのであれば、朝起きてひげをそらなくてもいいし、ネクタイもしなくていい。満員電車に乗らなくてもいい。その代わり求めてるのは成果だよ、成果出さなかったら何をやっても駄目だよという状況を作ってあげればいいのです。そうすれば、多くの社員は自宅で働いたほうがいいと思うでしょう。与えないと分からないのです。

など面白いところもあるのですが、何度かでてくる「成果」という言葉に違和感を覚えました。そもそも、労働における成果とはなんなのでしょうか。

 時間ではなく成果で労働基準を定める場合、当然各労働者が果たすべき「成果」が定められ、かつ、それが外部測定可能でなければなりません。そうでなければ、特に労働者に自己決定権がない時には、曖昧な「成果」という言葉のもと、労働量が無限大に増加する恐れがあります。また、果たすべき成果が明確でないまま成果による評価を導入した場合、不当な処遇や解雇の温床にもなりえます。森島(2016)*1では、従業員調査の結果等を分析することにより、

 だが,現在私たちが知っている実証研究の結果からは,労働者の自律性が失われたなかで,成果主義的な処遇制度が導入されると,労働時間が増加し,労働生活の質が劣化する可能性が見えてくるのである。また企業にとってもそれほど素晴らしい結果が生まれない可能性もある。

 したがって,成果主義的処遇制度による賃金と労働時間との切り離しは慎重に行わなくてはならない。自ら目標を設定でき,スケジューリング等を決めることができる「真の」意味での業務型の労働者に限定した適用である。または労働者を不確実性からある程度遮断する仕組みが並行して導入されないと,労働者にとっては「労働生活の質」
の低下に繫がりかねない。

と結論づけています。

 私の感覚として、正確に言えば「業務の成果が何であるか定めることができる者」が少ないのではないかと思っています。特に大学職員の業務は成果が見えにくいことが多く、それに慣れた管理職はそもそも自分や部下が果たすべき成果を決めることができない(決めるという考えすらない)ということが容易に想像できます。ある程度譲って、自分の業務についてはそれが可能であったとしても、部下の業務の成果を当該者の意思・能力や組織のミッションとバランスを取りつつ設定するということはかなりの難易度ではないでしょうか。少なくとも、私はできません。おそらく、現在の大学事務組織で管理職にいる方は、そういったトレーニングを受けてきたことも少ないかもしれません。(この点について、そもそも上司が部下の成果を設定する必要はないと言う意見もあると思いますが、管理職として管理すべきは組織としての成果である以上は部下の成果についても(全権的ではないにしろ)ある程度は制御すべきではないかと考えています。)

 成果が明確になっていないから制度を変える必要はないと言う気もありませんし、全て管理職が悪いと言うのも少し違うかなとも思っています。ただ、自分がやっている業務の成果は何か、それと組織・大学のミッションとの関係性はどういったものかは常に考えていきたいと思っているところです。