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ベネッセのオピニオン「大学再編への期待」に思う

ベネッセのオピニオン 「大学再編への期待」 ベネッセ教育総合研究所

 ベネッセ教育総合研究所のwebサイトは、幼児教育から大学教育まで幅広く情報をカバーしているサイトであるため、よくチェックしています。その中にベネッセのオピニオン(以下、本オピニオン)として、「大学再編への期待−地域の高等教育を実りあるものにするため−」が掲載されていましたので、少し批判的に中身を見ていきたいと思います。

 本オピニオンは、国の高等教育政策の現状から始まり、地域における大学改革の在り方について言及されています。ただ、地域における大学再編への言及について、どうにも腑に落ちないところがありましたので、引用しながら私なりの考えを記していきます。

 歴史を振り返ると、戦後多くの地方国立大学には、人文、社会科学、理工学、農学、医学、教員養成など「フルセット型」の学部が編成された。それは、各地域の社会・産業と結びついて、そこで指導的・中心的立場に立つ人材を輩出し、我が国の均衡ある発展に大いに貢献したといってよい。しかし今日、地方人口の減少と産業の空洞化の進展、さらには財政効率化等の厳しい要請もあり、もはや国立大学が行う教育機能を大胆に精選・集約し、全体として再編成が余儀なくされる状況である。地域産業・社会からのニーズ、雇用吸収力を備えた学部・学科に再編し、集中的に資源投下することは、個々の大学単体で見ても、研究・教育の質、学習成果、就職等の点で向上が望める。

 この部分は理解できます。論考の前提として、地方国立大学の学部・学科再編は「地域産業・社会からのニーズ、雇用吸収力」を基に行われると述べています。これ以降、地方国立大学の再編への提言(?)が行われますが、理解できないのが次の部分です。 

 地方国立大学の学部・学科の再編は、ひとり国立大学だけの問題にとどまらないということだ。ことは周辺の公立・私立大学にも大きな影響を及ぼす可能性を秘めている。(中略)「個別最適」を追求し、国・公・私立大学の公正な競争基盤(イコールフッティング)が崩れる状況は避けなければならない。いわば地域の高等教育資源を俯瞰した「全体最適」からの再編成が不可欠だ。 

  地方国立大学の再編が同地域の大学に影響を与えるというのは、当然のこととして理解できます。ただし、後段がよくわかりません。

 「国・公・私立大学の公正な競争基盤が崩れる状況は避けなければならない」の「公正な競争基盤」とは何でしょうか。成り立ちや目的どころか、予算規模や入学偏差値等も全く異なる状況で、そもそも「公正な競争基盤」は存在しないと思います。「公正な競争基盤」と言うのならば、私立大学も国立大学並みの情報公開を行っていないとおかしいです。

 さらに、「全体最適」とは一体誰がどのように決めるのか、「地域」とはどの範囲を指すのかも不明です。地方国立大学の学部・学科再編は「地域産業・社会からのニーズ、雇用吸収力」を基に行われるとしながらも、全体最適のために再編をよく考えろというのは、大学を生き残させるために地域産業・ニーズを軽視しているようにも捉えられます。

 この「全体最適」とは、インプットに対してのアウトプット・アウトカムが同程度である大学が複数あり、それぞれ得意分野が異なる場合に最も効果を発揮するものでしょう。しかし、都市圏以外の地域では、状況は全く異なります。大抵の場合、その県の国立大学と2番手3番手の私立大学は、規模や学生の質が全く異なります。端的に言うと、地方においては国立大学と私立大学の量的質的差が大きい場合が多いということです。この場合、「全体最適」と言っても、単純に現在の各大学の活力の総和が最も効果が高いと言う訳ではなく、役割を委譲した方が効果が高くなることも考えられます。各大学の力を合わせて地域を盛り上げていきましょうという趣旨は分かりますが、本オピニオンの主張を正当化するならば、シンクタンクらしく「個別最適」よりも「全体最適」にした方が地域の経済効果が上がるなどの根拠を打ち出す必要があるでしょう。

 また、「全体最適」を目指す場合、その範囲である「地域」という範囲も検討しないといけません。単純に都道府県や市町村で分けることは適切なのでしょうか。例えば、県境付近に存在し隣県からの入学者が最も多い大学にとって、所在地都道府県の範囲で物事を語られることはその大学の役割を最も発揮できないでしょう。都道府県などの「地域」があってその中に大学があるのではなく、メインターゲットとなる「地域」を大学自身が決めるのです。その上で、同様の「地域」感を持つ大学が集まって、コンソーシアムなどを形成し連携するということが考えられます。

 さらに、「全体最適」を導きだす「全体構想」を誰がどのように決めるのかということについては、全く想像ができません。そもそも設置者が異なるわけですし、目標目的も全く異なるなかで、現状追認がせいぜいではないでしょうか。

 ひどく被害妄想的に考えると、本オピニオンを書いた方は日本や都道府県をチェス盤、大学をチェスの駒と考え、駒を右や左に動かすように大学の再編を考えているかもしれませんが、それは全く正しくないと断言します。都市圏と地方では、教育の体制や在り方、人々の意識が全く異なり、そしてそれは東京からは見えてきません。願わくば、主務官庁である文部科学省の中ではこのような考え方は少数派でありますように。

  どうも今日は愚痴っぽくなってしまいました。まぁ、こういう日もあるということで。