教育活動において保証すべき”質”とは何か-質保証と多様性-

8月23日(木)、24日(金)FD・SDフォーラムを開催します | 大学コンソーシアム八王子

今回は、「教育の質保証」をテーマに各大学の取組みがより社会に認知され、実質的な成果をあげるための施策や方向性を考えるとともに、各大学がどのような取組みを行えばよいかを講師と参加者の皆さまが共に考える機会を提供します。

 大学コンソーシアム八王子が行う本年度のFD・SDフォーラムの開催テーマは、教育の質保証のようです。京都大学の松下先生やPROG関係の発表があるとの情報があり、質保証の理論や手法などについて話があるのではないかと想像しています。

 教育の質保証が叫ばれるようになって随分経つなと言う印象です。大学機関別認証評価の導入(平成16年度)からと考えると15年程度でしょうか。弊BLOGでも質保証については度々言及してきました。

 教育の質保証を巡る話でいつも不満に感じるのは、ルーブリックや調査・IRなどの手法が注目される一方、そもそも保証されるべき”質”とは何なのかという点への言及が少ないことです。満足度アンケートや就職先への調査、基礎力テストなどのツールを駆使してデータを集めても、果たしてそれは何の質をどのように保証しているのか、必ずしも明確でない場合もあります。

 教育活動において保証すべき”質”とは、ディプロマ・ポリシーの到達度・達成度なのだろうと考えています。この前提に立つと、各大学や学部研究科によってディプロマ・ポリシーが異なるため、”質”そのものの議論を総体的に展開することが難しく、方法論が主になっているのではないかと思っているところです。到達度テストや授業評価アンケート、カリキュラムマップなども、ディプロマ・ポリシーの到達度・達成度を測りその程度を向上させるための手段にすぎません。そのため、ディプロマ・ポリシー自体を到達度・達成度の検討が可能なものにしておく必要があるとともに、極論を言えば、ディプロマ・ポリシーとの関連性を明確にできないものを測定・把握しても大学全体の教育活動の質保証にはあまり関与しないとも言えるかもしれません。

 ・・・と正論を展開しましたが、最近はこの考え方もちょっといまいちだなと思っています。

f:id:samidaretaro:20180529194918p:plain ディプロマ・ポリシーの到達度・達成度を基準にすることは学位の質を担保することに繋がるのですが、学生自身の成長の多様性に十分に対応できるのでしょうか。ディプロマ・ポリシーは最低限の質保証でありその上に学生個々人の多様性が芽生えるという考え方(図に示す「花瓶モデル」)もできます。ただし、この場合も学生の多様性を確認する方法がないことや、そもそもディプロマ・ポリシーの到達度・達成度を測定すること自体が多大な労力を要するものであることなどから、結局はディプロマ・ポリシーの範囲内で質保証を展開することになり、学生の多様性まではカバーできないのではないかと考えています。せいぜい、在学時の受賞などの少数のエピソードにより担保する程度でしょうか。なお、古川(2017)*1では、質保証にも用いられるPDCAサイクルについて、"偶然性を排除することによって限りなく必然性を追求するシステムである"とし、PDCAサイクルの枠をはみだす偶然性や非合理性を含んだ様々な事象を論理的・合理的に正当化・説明することが大学における教育研究活動の質的な改善に必要であるとしています。この点も、教育の質保証に対し重要な示唆を与えてくれます。

 最近の大学改革では、各大学の特色化を進めるとともに、ディプロマ・ポリシーによる質保証を進めています。これにより、各大学ではある程度均一化された人材育成を従前に比べて進めることになるのでしょう。これは工業製品の工場分散化と同じではないかと感じています。ハンドルのみを作る工場、タイヤのみを作る工場などがあり、それら工場から製造物が出荷され集合することで車を完成させることができます。当然、この場合は工場間の流通が担保されていることが必要条件となります。翻って大学に当てはめると、流通経路とは卒業後の就職先や進路のことであり、各大学の卒業生が全国各地に分散し自らと異なる特色を有した他の大学の卒業生とともに物事をなし得るという姿が思い浮かびます。

 ・・・このような姿は人的移動コストを全く無視しており、明らかに無理があることは想像に難くありません。そもそも、政府が決定したまち・ひと・しごと創生総合戦略(2017 改訂版)では新規学卒者の同一道府県内就職の割合を高めることが示されており*2、このような全国的なジグソーはできないようになっています。また、この前提に立つと、地域社会に輩出される人材は各地に立地する大学により規定され、各大学での人材養成が均一化されることで地域社会における人材の多様性が低下するのではないかとも懸念します。

 現在の大学改革は”各大学の特色を強め全体として多様化を進めるとともに、各大学の内的装置を均一化する”ように感じられますが、”大学の内部の多様性を認め、その多様性がどの大学でも発揮されるようにする”とできないかと考えています。これにより、均一化された工場ではなく多様な商品を備えたセレクトショップが各地に作られ、各地に多様な人材を輩出することができます。

 ただ、このような多様な人材を輩出することと教育活動の質保証を両立させることは、それほど容易なことではありません。最近の私の関心は、大学の多様な教育研究等活動と質保証活動をどのように両立させていくか、という点にあります。その意味では、やはり保証すべき”質”をどのように同定していくのかということが重要だと認識しています。

 ・・・実際には、ディプロマ・ポリシーの到達度・達成度を基準として均一化された人材育成を各大学において行うことは(程度にもよりますが)ほぼ不可能であり、単純に地域の人材の均一化が進む可能性は相当に低いと思います。ただ、政策の方向性がそのようにある以上、大学内部の多様性との間で苦悩しつつ、質保証に取り組んでいくことになるのでしょう。

*1:反「大学改革」論:若手からの問題提起 第1章 PDCAサイクルは「合理的」であるか

*2:まち・ひと・しごと創生総合戦略(2017 改訂版)P62 "地方における雇用環境の改善を前提に、新規学卒者の道府県内就職の割合を平均で 80%まで高める(2015 年度道府県平均 66.1%)"