国立大学は職員を育てる必要がなかった。

masterpiece0924.hatenablog.com

 少し前に、こちらのブログ記事が話題になっていました。書かれていることはわかりますし、ブコメを見ても概ね賛同意見といったところでしょうか。私は、そもそも国立大学は職員を育てる必要がなかったのではないかと思っています。

 何度か弊ブログでも言及していますが、業務上の必要がなければ能力を育てましょう、人を育てましょうということを組織的に行う必然性は低下します。私は法人化以前の様子を知りませんが、噂話に聞くような言われたことだけやればいいような業務内容だったら、能力開発・人財育成を行う必要性は下がります。正しく言えば、特別なことをせずとも、同じ業務を数年繰り返す中で学ぶこと(もしくは慣れること)で十分に対応出来る程度の業務が求められていたと推測します。

 少し古い話ですが、東京大学大学経営・政策研究センターが2010年に実施した全国大学事務職員調査では、国立大学職員の回答として、仕事の内容でウエイトを占めていることの「パターンが決まった職務の実施」が大きいと回答した者が50%、少しあるが41%でした。これだけで何かを言えませんが、いわゆるルーチンワークが多くを占めていた可能性が示唆されます。

 仮にこれまではそうだったとしても、これからは少子化や国際化などの状況変化があるため、職員としても積極的に取り組んでいきましょうとはよく聞かれる話です。だからといって、すぐにそれにあった職員育成をしましょうとはなかなかなりません。少子化や国際化などの課題に対応できる職員としての働き方、特に育成対象となりやすい係長級以下の職員がどのように業務に向き合いどのように働くべきか、具体的な像が示されにくいからです。組織的な人材育成とは、現状の働き方と組織が理想とする働き方のギャップを埋めることです。組織が理想とする働き方が具体的に示されない以上は、組織的な人材育成はやりにくいでしょうね。

 簡単な推測ではありますが、以上から、国立大学職員には職員育成が組織的に必要とされるほどの業務が求められていなかったこと、外部の状況変化に対応した組織的な人材育成もすぐには実施できないであろうことを考えています。

 ただ、大学を取り巻く状況が急速に変化していることは事実ですし、それに伴う業務量の増加や新たな要請にも職員として対応していかなれければなりません。人財育成には様々な方法があると思いますし、SPODなど優れた取組も実践されているところですが、私としては個人的な取組と組織的な取組を良い感じのサイクルで回すことで働き方を開拓し他者へも波及できる人材育成につなげられないかなと思っています。

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 かなりざっくりとした図ではありますが、個人と組織の関係性はそれぞれ能力開発と働き方の開拓を介してスパイラルアップするようなことが理想だと思っています。個人が様々学んだことを業務に活かし、しかもそれを組織的な取組(自分だけではなく後任者等にまでつながる取組など)に昇華させることで、組織としての働き方を開拓して組織的な能力開発・人材育成につなげられれば良いですね。理想的すぎるサイクルですので簡単に実現できるとは思っていないのですが、これを頭に入れつつ、個人と組織の良い関係を築いていきたいです。