社会における大学生観と大学観のギャップ

 先日、職場の友人を食事をしていた際の話です。最近の大学関係の事柄にも話が及び、千葉大学の件など、大学と社会との関係性も改めて考えると多様な論点があるよねと話していました。その時に、ふと思ったのが、世間のイメージと大学の実態に齟齬があるというのは従前から言われていることですが、多くの人が持っている大学生に対するイメージ(大学生観)と大学に対するイメージ(大学観)も必ずしもマッチしていないのではないかということです。

 社会の多くの人が持っている大学生のイメージというと遊んでいるとか、チャラいとかそういったものだと推測できます。若干変化はあるのかもしれませんが、このイメージって随分前から大筋では変わっていないように感じます。

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(出典:統計局ホームページ/国勢調査からわかったこと

 平成22年度の国勢調査の結果では、15歳以上人口に占める最終卒業学校が大学・大学院の者の割合は約20%です。多くの方は自身が大学生になったことはなく、大学生観には実感というよりはイメージで語っていることが多く反映されていると推測されます。特に、一時期は”大学のレジャーランド化”と言われるような状況であったとも聞きますし、一度ついた悪いイメージはなかなか払拭できないのかもしれません。(余談ですが、大卒者が20%しかないことに改めて驚きました。大学にいると周りが大卒者ばかりであるため、このあたりのギャップは留意していきたいですね。)

 一方、社会の大学に対するイメージは教育機関や研究機関と色々ありますが、特に教育機関としては学校として捉えられることが多いと考えられます。その際、この学校とは小中高等学校と同じような”学生を管理・指導する機関”として捉えられることが多いのかもしれないと思っています。

 学校教育法第1条にもある通り、確かに大学は学校です。ただ、学習指導要領の有無など、その性質は小中高等学校と大きく異なります。にも関わらず、前述の通り、多くの人が大学の教育機関としての性質を実感していませんので、学校と言えば小中高等学校のイメージが大きく影響すると推測できます。概ね悪いことの方がよく覚えてるということで、小中高等学校の教育で感じた管理的側面を大学観に投影しているのかもしれません。

 社会の大学に対するイメージの中には、(良くも悪くも)自由な存在としての大学生観と管理的な学校としての大学観が同時に存在し、その都度都合の良い方が打ち出されているのかもしれません。この二つは明らかに矛盾するものであり、大学と社会との思いのすれ違いなど色々と不幸なことを生じやすい一因となりうるとぼんやりと考えています。だからどうだとか、だからどうするということもないのですが。

 また、ここまで書いてきてなんですが、一口に「社会」とか「世間」と言い切ることは慎重にならないといけないということも改めて感じました。”おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ”ではありませんが、社会が大学が誤解すると同時に大学もまた社会を誤解している可能性があることに気をつけないといけませんね。