だから、評価では物事は良くならない。

※ただの長い愚痴です。

国立大学法人評価委員会(第52回) 議事録:文部科学省

 国立大学法人評価委員会の議事録が公表されていました。ざっと読んでいたのですが、「評価者への配慮」とか言っている時点で改善につながる評価とか程遠いよなぁと思いました。

 誰かに何かを言われてじゃあその通りにしようかと思うのはどういう時かと考えると、尊敬する人とかこの人ならと思う人に言われた時なのだろうと思います。評価過程や結果をその後のアクションにつなげる場合には、指摘される内容もさることながら、評価者と被評価者との関係性も大切だということです。その意味で、日本の大学における第三者評価は、法人評価であれ機関別認証評価であれほとんどの大学関係者は評価者のことを(名前すらも)知りません。評価者も評価業務以外で評価する大学に来ることはほぼないでしょう。評価者と被評価者の関係性は断絶されたまま、非常に”第三者的”に行われているという認識です。特に法人評価は行政評価や独法評価の流れを汲んでいるので、その傾向が強いですね。別にそれはそれでとも思いますが、このままいくと形骸化するか無為にハードルを高め大学側のコストが増加するか、どちらかだろうと考えます。

 では、どのような者に評価されれば「やってやるか」という気になるのでしょうか。ちょっと考えてみたのですが、人格が高潔で、比類なき知識経験を持ち、評価する大学のことを日頃から気にかけ、構成員から信頼を得ている者から直接評価結果等を言われることかなと思います。以前、国立大学で評価を担当している教員と「神様が一人で評価をすることが一番良いが不可能である」という話になったことを思い出します。確かにこのような者は現実にはほぼいないでしょう。ただ、こういう者になれるよう努力することはできます。本来、人を評価するということはこのくらい重いことであり、評価者へ多大な努力が求められるものだと考えています。

 国立大学法人評価委員会の委員名簿は公表されていますし、各委員がどのような地位にいたのかも知ることができます。でもそれだけです。その者がどのような活動をし、どのような評価を得てきたのはわかりません。大学関係者ならば大学内でどのような取組をし成果がどの程度上がったのか、企業関係者ならば時価総額はどの程度上がったのか顧客満足度や従業員満足度はどの程度だったのか、一体何を以て、何を期待されて評価委員になったのでしょうか。そもそも片手間にできるものなのでしょうか。私自身は、評価委員のことを何も知りませんしそんな人から何か言われても事務的以上の対応をしたいとは思いません。実現可能性は置いておいて、今の状況から何かしら対応を取るとすれば、以下の3点くらいでしょうか。

  1. 評価委員が評価する大学を訪れる機会を増やす。
  2. 評価委員個人名で評価結果を公表する。
  3. 評価の際には監事の意見も聞く。

 2について、評価者の自意識向上にはもっと個人名を出していくこともあり得るかもしれません。その点、毎年度予算のポイントを個人名で公表している財務省主計官は本当にすごいと思います。3について、国立大学法人で文科大臣から任命されるのは学長と監事の2名のみです。大学により常勤非常勤など事情が異なるにしろ、法人評価の際に日頃から法人内部で第三者的に活動している監事の意見を踏まえるのも、いいかもしれません。

 ここまでいろいろ好き勝手に書き散らかしてきましたが、文科省も法人評価委員会も法に則り真っ当に業務に取り組んでいることは間違いありません。評価委員にしても、大学関係者や企業関係者などバランスよく選定した結果なのでしょう。人ひとりの判断というウェットなものを持ち込むのは行政の仕事の作法からは外れますし、評価結果をもとに改善するのは学長を始めとする大学側の仕事であると言われればまぁそうですよねーとしか言いようがありません。評価者と被評価者が近すぎるのは公正ではないという視点も理解できます。だからこそ、本エントリーはただの愚痴なのです。ただ、本当にこれでいいのか、誰のために何のために評価をしているのか、ということは思います。制度化義務化し取り組んでいくと本来の趣旨・目的が薄まっていくというのは、制度の適用を受ける側だけではなく、制度を運用する側にも言えることです。繰り返しますが、本来人を評価するということはとても重いことであり、評価者へ多大な努力が求められるものだと考えています。

 大学というのは、組織のために構成員がいるのではなく構成員のために組織がある典型的なもので、このような組織体のマネジメントとは構成員の行動確率を高めることなのかなと最近考えています。構成員は組織のためには動かず自分自身のためにのみ行動するという前提に立ち、その上で組織に良い影響を与えうる行動を取ってもらうためにはどうすれば良いのか、有り体に言えばやる気を引き出すにはどうすれば良いのか、個人と組織がともに幸せになるにはどうすれば良いのか、そういう方向でどうすれば大学をよくしていけるのか構成員の成長があり得るのかということを夢想します。そんな中で、顔も知らない誰かからお前はここがダメだと言われても、気持ちを入れて取り組もうという気が起こらないことは容易に想像ができます。

 なんども言いますが、本エントリーはただの愚痴です。ただ、自分がもし学内の誰か・何かをどのような形であれ評価する立場にある時に、被評価者や目標計画の進捗状況に良い影響を与えることができなければ、それは評価者としての存在価値を問われることにもなると考えています。大学が個々の活動の集合体である以上、最終的には「人ひとり」の話になっていきます。そのためにも、まずは自分から、日頃から幅広く学び行動し信頼関係を構築していきたいと改めて思いました。