「「大学に文系は要らない」は本当か?」は本当か?(前編)

「大学に文系は要らない」は本当か?下村大臣通達に対する誤解を解く(上)|鈴木寛「混沌社会を生き抜くためのインテリジェンス」|ダイヤモンド・オンライン

「大学に文系は要らない」は本当か?下村大臣通達に対する誤解を解く(下)|鈴木寛「混沌社会を生き抜くためのインテリジェンス」|ダイヤモンド・オンライン

下村文部科学大臣が6月8日に国立大学法人の学長などに発出した組織・業務見直しの通知が、波紋を広げています。全10ページにわたる、多岐にわたる項目を含む通知文の一部に、「教員養成系と人文社会学系の学部・大学院について、18歳人口の減少や人材需要等を踏まえた組織見直しを計画し、社会的要請の高い分野へ積極的に取り組むこと」を求めた内容が含まれていたために、マスコミやそれを読んだ一部の大学関係者に「人文・社会科学系のいわゆる『文系』の学部はもう要らないのか? 」と、受け止められ、波紋を広げています。

 元文部科学副大臣・現文部科学大臣補佐官で東京大学慶応義塾大学教授である鈴木寛氏が、ここ何ヶ月間か話題の国立大学の人文系学部の件について言及しています。この件については弊BLOGも1年ほど前から言及しており、つい最近も日本学術会議のシンポジウムに参加してきたところです。(改めて振り返ると、一年も前から同じ問題を言い続けているのだなと我ながらイヤになりますが。。。)

 鈴木氏の記事は前後編に分かれていますが、概ね言いたいことは「文科省の真意は新聞等で報道されていることと別のところにある。騒いでる大学教員や学術会議はもっとちゃんと公式文書とか過去の経緯とか読め。あ、ST比も大切だからしっかりやっとけよ。」ってことだろうと思います。この文章自体は文部科学省の公式見解に近いものなのか、極めて個人的なものなのか、ちょっと判断が難しいですが、基本的には後者でありながら文科省の見解を含んでいるというところでしょう。

 本文を読むと全般的に言い訳がましく、文科省の意図をちゃんと理解しない大学教員や学術会議が全般的に悪いような書き方には非常にイヤな気分になりました。2013年12月のミッションの再定義の段階で規定路線でありそれが2年間近くも誤解を与えたままだったのであれば明らかに文科省の怠慢であり、鈴木氏の文章は責任転嫁のように読めます。文部科学省設置法には、文科省の任務として、

(任務)

第三条  文部科学省は、教育の振興及び生涯学習の推進を中核とした豊かな人間性を備えた創造的な人材の育成、学術、スポーツ及び文化の振興並びに科学技術の総合的な振興を図るとともに、宗教に関する行政事務を適切に行うことを任務とする。

とあり、これが文科省のミッションであると考えられます。であれば、ミッションの達成のためにはなんでもするのが筋であり、自分たちに関心にある者しか相手にしないような姿勢は問題があります。大学教員に誤解があることも事実なのでしょうが、そのような誤認解消も含めて文科省の仕事だと考えます。

 今回の鈴木氏の挑発とも捉えられるような文章は決して文科省の公式見解ではないと思いたいですが、それにしても、うまくいかないことを自分たちの外だけに押し付けても問題の解決への道が開かれないことは認識してほしいですね。文部科学副大臣時代は熟議の取り組みを推進され対話型政策形成を目指されていた鈴木氏からこのような対話を拒絶するような一方的な言説が出ることには、非常に残念で失望に近い感情を抱いているところです。

 以下、個別の論点について、触れていきます。

文科省が文系学部を「軽視」しているという誤解

日本学術会議は「教育における人文・社会科学の軽視」と声明文に記載しています。財務省や産業界の一部にそうした声がある可能性は否定しませんが、文部科学省については、人文・社会科学を軽視する考えは全くありません。

 文科省が文系学部を「軽視」しているのは誤解だと言っていますが、これは事実だろうと思います。ただ、この場合の「軽視」とは何を指すのか、はたして共通理解がとれているのかは気になります。日本学術会議の声明では、文科省からの通知の中の

特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18 歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、 国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする

という部分を以て、「軽視」としているようです。一方、鈴木氏は、

では、「組織の廃止」とは、何を指すのでしょうか。これは、教員養成系の学部・大学院のうち、特に「新課程」と呼ばれる教育学部の課程を廃止することを指します。(略)そもそも、教員養成系学部のなかに、教員養成を目的としない課程が存在すること自体、論理矛盾であったのですが、これについて、この際、整理をしようということを通知は言っています。

と言っており、組織の廃止とは新課程(いわゆるゼロ免課程)の廃止のことであると説明しています。ゼロ免の廃止路線は、その是非はともかく関係者ならば知っている話であり、その意味であると言われればわかるところはあります。

 しかし、もう一方の「社会的要請の高い分野への転換」については、鈴木氏の文章にはほとんどそれらしい部分がなく、実際としてどうなのかは不明です。この点については「軽視」の捉え方が一つのポイントでしょうか。

 なにがどのような状態になれば「軽視」になるのか、「軽視」と捉えられるのかということでしょう。文部科学省としては大きな意味での人文・社会科学分野に対して支援を行ってきたので「軽視」ではない、各教員や学術会議としては自分たちのやってきた個別のディシプリンに基づく教育研究活動が強制的に転換を求められているから「軽視」であるといったように、認識にズレが生じている可能性があります。

私立大学まで含める拡大解釈をしているという問題

さらに今回の学術会議は、今回の通知は、国立大学宛の通知であるにもかかわらず、私立大学を含む人文・社会科学系全体を文部科学省が軽視したと勝手に拡大解釈していますが、これもマスコミならばともかく、文系の研究者としてはお粗末です。つまり、学術会議の声明文の冒頭では、「わが国における人文・社会科学のゆくえ、並びに国公私立を問わず大学のあり方全般に及ぼす可能性について、日本学術会議としても重大な関心をもたざるをえない」とあります。しかし、今回の人文社会学系大学・学部見直しを通知したのは、あくまで国立大学が対象です。

 国立大学を対象とした通知にも関わらず、私立大学にまで議論の範囲を広げるのはおかしいということです。同じような話は弊BLOGでも言及しましたし、先日の日本学術会議のシンポジウムでも本田先生が言及されていました。国立大学を対象とした通知であることは事実ですし、基本的には国立大学の話なんだろうと思っています。しかし、私自身は最近では、私立大学を含めた議論にも意味があるなとも考えています。

 一般的には、学部から大学院を経て大学教員になるというルートが多勢であり、大学教員への道は学部から始まっているとも言えます(このあたり十分なエビデンスをまだ準備できていないので推測ですが。。。)。つまり、今回の通知によって国立大学の人文社会科学系学部が転換した場合、当然大学院もそれに合わせて改組することになり、中長期的には様々な学問分野に対して影響が発生がする可能性があると考えられます。各機関や学部を横断して貫いているのが学問分野であり、そこには国立や公立、私立は関係ありません。このような意味では、今回の通知に対し学問分野として反応するということは、想像できない話ではないと考えます。

 ただし、自分で言っておきながら、この場合の「学問分野」というのはどの範囲でどのようなものを指すのかはちょっとイメージがわかないところです。また、「分野の転換により旧来の学問分野を内包した新しい学問分野が生まれるんなら、それは学問の発展と言えるのではないか」と言われたら、「お、おぅ」としか答えられませんね。今回の通知と学問分野との関係性については、教育組織と教員組織の分離など、制度的に担保できる手段による対応も可能かもしれません。

国立大学と私立大学との役割分担

平成17年の中央教育審議会大学分科会の答申では、国立大学は、その役割として「世界最高水準の研究・教育の実施、計画的な人材養成等への対応、大規模な基礎研究や先導的・実験的な教育・研究の実施、社会経済的な観点からの需要は必ずしも多くはないが重要な学問分野の継承・発展、全国的な高等教育の機会均等の確保」を有しているとされ、一方で、私立大学は「それぞれの建学の精神に基づく個性豊かな教育研究活動を主体的に展開する」ことが役割とされています。こうした役割分担もあり、わが国の大学で人文社会学系は、私立大学のほうが充実してきた歴史的経緯があります。私立大学の学生数の国立大学の学生数に対する割合をみると、法学部で10倍、経済は6倍、経営・商学部は10倍、文学部は15倍、社会学は30倍。一方、理学部は7割、工学部・理工学部が1.2倍、医学部は0.5倍です。

 私立大学との規模感の違いにより役割分担が必要であると言っています。今回の通知の根底にはこの考え方があると弊BLOGでも言及してきたところです。しかし、鈴木氏のこの書き方は、さもそれが文科省の方針であったかのように言及しており、イヤらしい書き方だなと思います。

 文科省は、平成9年に出された平成12年度以降の高等教育の将来構想について (大学審議会・答申)以降、大学の量的規模に関する方針を出していないと認識しています。つまり、現状で私立大学のほうが人文社会科学系の規模が大きいことは結果論であり、現状の結果に合わせて今回の通知が出されたということですね。現状に合わせて政策が打ち出されること自体は普通ですが、大きな方針がない以上その手は常に現状に対して後手に回ります。事実、学校基本調査の関係学科別学生数によれば、ここ10年間で人文科学系及び社会科学系とも私立大学の学生数が減少しており、国立大学のシェアが向上していることが見て取れます。学校基本調査はマクロな傾向の話ですので今回の通知とは異なる論点もありますが、今回の通知の揺り戻しがあるのではないかということも想像できます。

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 鈴木氏は「国立・公立・私立が、その役割分担を明確にし、その上で、有機的連携を強化するというのが筋だと思いますし、通知はそうしたことを言っているのです。」と言っていますが、そんなことを言うのならばそれよりも先に、文科省が国公私含めた高等教育全体の量的規模に関するグランドデザインを作成することが筋だろうと考えます。今のままでは、国全体の高等教育の量的規模の在り方を個々の大学の判断に丸投げしているようにしか見えません。もっとも、設置基準が大綱化されて以降は一貫してこのような方針なのかもしれませんが。。。

(後編へ続く)