教授会の役割制限の検討に思う 〜教授会の祈り〜

文科省:教授会の役割、法で制限を検討 学長権限強化 - 毎日新聞

 文部科学省は、あいまいさがあるとされる大学の教授会の審議事項を明確化して、役割を事実上制限するため、学校教育法改正に向けた検討を始めた。教授会については、大学の経営に関する部分まで審議したり改革に異論を唱えたりするケースがあるなど「学長のリーダーシップを阻害している」との指摘があり、中央教育審議会なども見直しの必要性を指摘している。文科省は今月24日に召集される通常国会の期間中に、改正案を提出したい考えだが、大学関係者からは「学問の自由が失われかねない」と懸念する声が上がっている。

 教授会の審議事項を明確化するために法改正を見据えた検討を始めた記事が掲載されていました。

 以前、幣BLOG記事でも触れたとおり、教授会の役割も含めた大学のガバナンス体制については、中央教育審議会大学分科会組織運営部会で議論されているところです。

組織運営部会審議まとめ(素案)に思う 〜50年経っても変わらないこと〜 - 大学職員の書き散らかしBLOG

 冒頭記事中には、

 教授会の役割については現在、中教審大学分科会組織運営部会で協議中。(中略)文科省は(中略)、省令よりも拘束力の強い法改正が必要と判断した。

とありますが、結局、法改正を行うことをどこがどのように決めたのか、事実関係が曖昧です。現在のところ、毎日新聞しか報道している媒体を見つけられないこともあり、所謂「飛ばし記事」かもしれないという疑念も少しあります(たぶん違うと思いますが。。。)。

 本件については、twitter等でいろいろと書かれていますが、私が見た限り(特に大学教員と思われる方々には)概ね否定的な意見が目立ちます。私自身も、あまり良い効果はなさそうだな、と感じています。

 たとえ、リーダーシップ(のようなもの)をもって意思決定したとしても、それを受けて実際に教育研究等活動を行うのは学部研究科であり、個々の教員です。個々の教員をやる気にさせなければ、意思決定後の実施フェイズでより良い結果を出すことが難しくなるのではないでしょうか。基本的に、学部長を自分たちで選べないというのは、やる気を低下させるように思います。いわゆる、心理的リアクタンスが喚起されている状態にあるのではないでしょうか。

 心理的リアクタンスとは、「人が特定の自由を侵害されたときに喚起される,自由の回復を志向した動機状態」(Brehm,1966)と定義される状態のことです。私自身、詳しく説明できるほど勉強しておりませんが、以下のHPを見てもらえればなんとなくわかってもらえると思います。

心理的リアクタンス|モチベーション向上の法則

 最終的に、山口大学のように、学部等からの推薦を受けて役員が選ぶという形に落ち着くのでしょうか。

山口大、学部長の選考方法を変更 学長含む役員会が決定 :日本経済新聞

 山口大学は16日、学部長と研究科長の選考方法を変更すると発表した。(中略)役員会は学長と5人の理事で構成する。新たな選考方法は学部、研究科が複数の候補適任者を学長に推薦。学長は所信表明の提出を求め、役員が面接をする。その上で役員会で決定し、学長が任命する。

 また、以前、幣BLOG記事にも書いたとおり、リーダーシップのある学長とはどのような者なのか、どのような行動特性を持つのかについて共通認識を持たない限り、また、学長自身がリーダーシップを身につけようとであろうと学習・研鑽をしない限り、学長のリーダーシップは学長個人の人格や個性に直結するでしょう。いくら学長選考会議等での審議を経たとは言え、大学という大きな組織の将来が学長個人の人格に左右されるのは、なんともハイリスクだなと感じてしまいます。

学長選考の混乱に思う 〜「参考」ではない意向投票とは〜 - 大学職員の書き散らかしBLOG

http://www.agulin.aoyama.ac.jp/meta-bin/mt-pdetail.cgi?cd=00011871

教授会の祈り:Faculty Meeting Prayers(塩谷直也,キリスト教と文化 Vol.25,page.105-112)

 教授会について調べているときに、上記の紀要論文を見つけました。その中には、

 青山学院大学の大学宗教主任には各学部教授会での開会祈祷の役割が与えられている。(P1)

とあり、不勉強にもこのような大学があることを知らず、かなり驚きました。国立大学にはこのような習慣はありませんので、まったく想像ができません。

 さらに、国際基督教大学鈴木寛(すずきかんではなく、すずきひろし)先生のペーパーでは、以下のとおり記述があります。

SUZUKI'S HOME PAGE

国際基督教大学に召されて」

 ICU の数学の教員の公募を目にしたのはそんなときでした。私は数学の中でも代数学の一分野である群論および代数的組合せ論を研究しておりますが、公募分野は代数学、さらに条件として「キリスト者」と書かれていました。教授会メンバーは原則的に全員がクリスチャンだというのです。(P1)

 さらに驚きました。確かに、本記事執筆時点でJREC-INに掲載されている国際基督教大学の専任教員公募には、以下の記述があります。

国際基督教大学教員募集 教養学部 言語科学デパートメント 音声学・音韻論専門科目分野の専任教員

応募資格

1. 言語学あるいは関連分野の博士学位を有すること

2. 英語で講義ができること(日本語の知識、または日本語を学ぶ意志をもっていることが望ましい)

3. キリスト者であること(教派は問わない) 

 他のキリスト教系大学では、以下の記述をしているところがあります。

福岡女学院看護大学 教授又は准教授の公募(小児看護学領域) 

応募資格

(1)経歴等について

【教授職】

博士の学位を有し、大学において教授・准教授の経歴のある方

【准教授職】

修士の学位を有する方で教育経験が5年以上、博士後期課程単位修得者で教育経験が2年以上ある方

(2)看護師の資格を有し、3年以上の教育又は臨床経験を有する方

(3)キリスト者又はキリスト教教育を理解し、協力できる方

(4)看護大学教育に意欲がある方 

 国際基督教大学はかなり徹底しているな、という印象です。日本人教員のみならず広く教員公募をしているからこそ、このような条件が成立するのでしょうね。実際、同大HPによれば、国・地域別専任教員数(これが出身地を指すのか前任地を指すのか不明です。。。)で海外の専任教員は全体の専任教員の32.0%となっています。

大学概況 | ICU International Christian University

 教授会にもいろいろな在り方があるのだな、と改めて感じました。冒頭記事に戻ると、記事最後の名城大学・中島英博准教授の言葉が、すべてを表しているような気がしています。

 経営手腕があるなど適任者が学長になり、権限が集中されるなら円滑な大学運営が期待できるはずだ。しかし、学部長も持ちまわりで選ばれ、学長も経営手腕などにより選出されていない現状をみると、法改正しても即座に大学の経営改革につながるとは考えにくい。