教育再生実行会議第1回高等教育ワーキング・グループでの議論に思う
あまり話題になっていない感もありますが、9月から教育再生実行会議に高等教育ワーキング・グループが設置されています。総理が変わってどうなるのかなと思っていたのですが、どうも継続されるようですね。
近年の高等教育政策では、中央教育審議会や文部科学省よりも教育再生実行会議が果たす役割が大きくなっていますので、こちらにも注目していきたいところです。今回は、9月14日に開催された第1回ワーキング・グループの議事録について、いくつか注目していきます。相変わらず何の根拠もない各委員のエピソードトークが多く、コロナ対応ですさんだ心がほっこりしますね。
【検討事項例】
1.ニューノーマルにおける大学の姿とはどのようなものであるべきか
● 時間・場所にとらわれず、社会人のリカレント教育も含め、多様な学修者が学び合い、高め合うことのできる知的創造空間の提供
● 対面とオンラインとのハイブリッドによる学修者本位の効果的な教育実践と学修の実質化
● 学内における教育資源の重点化を通じた多様な学びを後押しする体系的できめ細かな教育の提供
2.グローバルな目線での新たな高等教育の戦略はどうあるべきか
● ニューノーマルに対応する国際学生交流の展開手法
● 留学生30万人計画の振り返りと今後の留学生政策
● 日本の優位性を引き出し、国際競争力の向上に資する教育研究の在り方
3.それらを実現するために必要な方策とは何か
● 対面とオンラインとのハイブリッド化など、ニューノーマルにおける大学教育を実現するための仕組みの構築や環境の整備、質保証の在り方(大学設置基準の弾力化など)
● 社会との接続の在り方や学事暦・修業年限を含めた学びの多様化・複線化(通年入学・卒業・採用など)
● ニューノーマルにおけるグローバルな目線での新たな高等教育の戦略を踏まえた支援方策(国際JD制度の柔軟化など)
(https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/jikkoukaigi_wg/koutou_wg/dai1/siryou4.pdf)
- ニューノーマルにおける大学の姿との矛盾
- 課題地獄という必然
- 大臣の謎のエピソードトーク
- 通信容量制限の緩和措置はなぜ年齢上限があるのか
- 授業時間は各大学で決めてください
- どこでもいつでもで学習できるのか
- 入試の趣旨とはなにか
- 定員管理はなくなるか
- 大学は何を担保するのか
- 個人が学びに責任を持つ
- アウトカム測定は簡単にはできない
- 学生のメンタルヘルス対応
- ???
ニューノーマルにおける大学の姿との矛盾
コロナ禍においても質の高い学修機会を確保することは、まさに大学の使命であり、合理的な理由や事情がない限りは、対面授業の実施や学生による施設の利用について積極的に検討いただくことが必要であると考えています。(P2)
最近も対面授業の実施割合が低い大学を公表することが話題になっていました。ニューノーマルにおける大学の姿と対面授業を行っていない大学の公表とは、政策的に相容れないものだと思うのは私だけでしょうか。学生が対面授業を望むからという話もわかりますが、それでは、ニューノーマルにおける大学の姿とは一体誰から望まれているものなのでしょうか。
課題地獄という必然
喜連川委員
デメリットは何かというと、先生が宿題をよく出し過ぎるという問題で、これは後ほど申し上げますけれども、「課題地獄」と。それと、今、言われていますような友達がつくれないというような問題、目が痛いとか、中には物すごくひどい先生がいて資料を配るだけしかやってくれないとか、こういう文句が多々出てきたわけです。
(中略)
これは先ほど言いました課題地獄で、東大では修学時間がかなり延びたと。ここは先生がいい意味でどんどん問題を出してしまうということです。ちょっと面白いのですけれども、外国の事例も聞こうといって、この間メキシコに聞いたのですけれども、メキシコも課題地獄と言っていましたので、これは世界中同じ問題が出ているのだと思います。
課題の件については以前も弊BLOGでも言及し、課題が多いことは本来的な大学教育の在り方であるが、それを友人とともに乗り越えていけないことなどが本質的な課題であると説明しました。
文部科学省の通知においても、遠隔授業による課題による出席状況の把握が明記されています。
大学等における新型コロナウイルス感染症への対応ガイドライン(令和2年6月5日)
・ 授業担当教員が,オンライン上での出席管理や確認的な課題の提出などにより,当該授業の実施状況を十分把握していること(P14)
繰り返しになりますが、大学設置基準等を踏まえると、そもそも大学での学修は課題地獄であり、今までが異常であったところそれが慣例化しているのでしょう。金子(2020)*1では、10年の間をおいて実施された調査結果を比較し、学生の学修時間の変化について、以下の通り説明しています。
しかし、学生の学習時間は2010年台を通じてほとんど変わっていない。それは一方で学生が一学期に平均13コマを履修し、個々の授業に教室外で学習することを考えないという習慣が一般化していること、他方で教員はそうした学生の行動を感じ取り、通常の授業では教室外での学習を多く期待しない、という、教員と学生の相互の期待が一つの構造的なカルチャーともいうべきものを作っているからである。そうしたカルチャーが頑健であり、学生本位の授業とすることによっては改編することはできない。(P59)
(中略)
上の分析はそれを現代日本の大学の学部間の相違の統計的な分析によって見出したわけだが、日本の大学全体をとってみても、いわば日本的な教育・学習カルチャーの構造があり、それが例えばアメリカの対応する教育・学習カルチャーとは大きく異なる。それが彼我の学習時間の大きな差をもたらしているとみることができる。(P60)
大臣の謎のエピソードトーク
一方、私の地元は八王子市というところなのですが、22の大学がある学園都市と言われていまして、各大学で授業を公開して、単位も互換できるようにしてほかの大学の授業も受けられるスタイルを取っているのですけれども、コロナ禍でオンライン授業が盛んに行われましたら、結局、自分の学校よりあっちの学校の先生の方が良いという評価が学生の中で上がってしまったり、あるいはOBがオンラインの映像を懐かしく見てみたら、20年前と同じ授業をやっている、ほとんど進化していないみたいな書き込みがあって、これは大学の先生方にとってもある意味ではレベルを上げるいい機会なのかなということも期待をしているところでございます。(P17)
これは大学コンソーシアム八王子のことでしょうか。ちょっと特殊事例すぎてエピソードトークが過ぎるなと思いますが、地元の様子を入れ込んでくるあたりに政治家を感じますね。
通信容量制限の緩和措置はなぜ年齢上限があるのか
そのためにも、大学の現場の先生方にも頑張っていただいて、なかなかメーカーさんも非常に謙虚であまりアピールしていないのですけれども、実は8月末まで大手キャリア3社の皆さん、25歳以下の契約者に対してギガの開放をしていただいて、授業などに対応できるようにしてくれたのですけれども、もしかすると後期の授業が始まると、今までは見られた授業が、画像が止まってしまうみたいなことも出てくると思うので、この点も高等教育局とよく相談しながら対応していきたいと思っています。(P18)
前から思っていたのですが、携帯キャリアの通信容量制限の緩和措置はなぜ25歳という制限があるのでしょうか。若年層への支援も理解できますが、学び直し社会を推進している中で、年齢上限についても検討いただきたいところです。なお、この点については総務省の一部部局が動いているという噂もあるようですので、そのうち何からの発表があるのではないかと思っています。
授業時間は各大学で決めてください
秋田委員
特に、高校を卒業して高大接続を考えたときに、高校は50分授業です。それが一気に 90 分のオンライン授業に変わるということがどれだけ新入の大学1年生にとって負担かということも考え、より柔軟なことが大事だと思います。(P19)
何度も言っているような気がしますが、1回の授業時間に法令上の定めはなく、各大学は1単位45時間の規定に沿って対応しています。1回の授業時間を何分にするかは各大学の裁量ですので、そう思うのならば、まずはご所属の大学にて対応いただくのがよろしいかと思います。
どこでもいつでもで学習できるのか
出口委員
そういう面では、リカレントも含め、学生にとっても場所の制約がなくなる、場所の制約が外れたことはかなり大きくて、これはこれからの大学あるいは高等教育を考える上で、場所と時間の制約がないということは、従来の大学のイメージをかなり変える可能性があると思います。(P23)
柳川委員
時間がありませんので、そういう意味でオンラインが、感染の可能性の心配がなくなったときにどういうふうにオンラインを使うのかという話で行けば、今、皆さんが御指摘になったように、時間と場所にとらわれないで学ぶことができるというのは非常に重要なところでございまして、これは今の教え方をどうやってオンラインにしていくかという以上に大学の教育の在り方、あるいは入試の在り方、こういうものを大きく変えていくのだと思います。(P25)
時間や場所にとらわれないで学ぶことができるのは確かですが、一方でメンタル不調を訴える学生等も出ています。特に学部教育の初年次においては、単純に考えることはできないと思います。時間と場所にとらわれない中で学ぶことができるのは強い学ぶ意思と自律が必要でしょうし、すべての大学生にそれが備わっているとは限りません。
時間や場所の制約がない学びの場といえばMassive opne online courses(MOOCs)ですが、Feng et al.(2019)*2では、MOOCsのプラットフォームの一種であるedXの完遂率が5%程度であり、中国のプラットフォームであるXuetangXも同程度であったと報告しています。このような状況の中で、単純にいつでも学べるからという理由のみで導入することは慎重に検討すべきだと考えます。
入試の趣旨とはなにか
柳川委員
そういう意味では、入試というのも、入試はそもそもキャンパスのキャパシティーに制約があって、教室に入り切れないから教室に入れるだけの人数をセレクションして制約する必要があったわけですね。その制約がないのであれば、まずはオンラインで、まずはビデオを聞いてもらうのでもいいかもしれませんけれども、大勢の人に聞いてもらって、その中で、成績がよかった人にリアルな授業を施すというのも十分可能なのだと思います。(P26)
この発言は意味不明です。そもそも、「教室に入り切れないから教室に入れるだけの人数をセレクションして制約する」ということが入試の趣旨であれば、レジャーランドと言われていた時代に定員を大幅に超過し教室に入りきらないくらいの学生を入学させていた私立大学はいったい何だったのでしょうか。また、東京大学でもあるだろうと推測しますが、仮に現時点で教室に入りきれる人数を定員として設定しているとしても、履修登録の際に抽選が発生していることの整合性が取れません。さも学術的な背景があるような発言ですが、これが正しいのかよくわかりません。
定員管理はなくなるか
柳川委員
入試をある意味で極端に言うとなくしてしまってでもいいから、大勢の学生に聞いてもらった上で、その代わり卒業はしっかりちゃんとした能力を持って、ちゃんとした学力を持ったしっかりと成果を得た人に卒業してもらう。これが本来ある姿だと思いますので、ある意味で、そういう本来ある姿に戻していくうえで、オンラインというのは非常に有効な手段になるのではないかと思っております。(P26)
この発言を実行するためには、現在の定員管理及び国による定員充足率及び標準修業年限内卒業率等の罰則等を改正(あるいは撤廃)する必要があり、併せて、大学中退を当たり前のこととして受け止める社会的な認識も変える必要があります。
なお、現行の体制のままご提案のあった入学者の自由化を行った場合、学生一人当たりにかけられる教育コストやサービスの質は間違いなく低下し、大学教育が破綻するものと思われます。
大学は何を担保するのか
大野委員
2点目、オンライン教育に関して、もう既に出口委員からも御発言がありましたように、授業だけが大学ではありません。オンキャンパス、そして、オフキャンパスの経験総体が大学だと考えています。(P26)
話はわかりますし、対面授業を求めている学生は実は授業ではなくキャンパス体験を求めていたという話も伝え聞いているところです。ただ、大学側が正課の授業以外の活動にどれほど関与すべきかは考えなければなりません。個人的には、正課以外の諸活動はあくまで学生の自主的な活動であり、大学側の関与は最小限にすべきだと思っています。極論を言えば、部活動やサークル活動等の諸団体は一般社団法人化し大学と切り離した方が良いとも感じています。
個人が学びに責任を持つ
熊平委員
個人が自己成長に責任を持つ時代になり、学びに対する心得を、大学の間にしっかりと習得することが大切になります。時代の変化に合わせて、大学教育の役割が変わってきていることを認識する必要があります。(P27)
個人が自己成長に責任を持つ時代ならば大学が学生の成長そのものに責任を持つ必要はないのか、とも感じます。いずれにしろ、大学は従前より学生の自己責任において対応してきたところが多く、引き続き自己成長できる学生を育てていく環境整備が必要です。”面倒見がいい大学”と言われている大学の”面倒見の良さ”が何を指しているか、ということですね。
アウトカム測定は簡単にはできない
森田委員
そのことは2点目と関連しておりまして、今の大学教育の場合には、何を何コマ何時間教えたかという言わばプロセスといいましょうか、インプットの方の管理が非常に厳しいわけですけれども、本当にそれで教育効果が出ているかどうかというアウトカムにもっと着目すべきではないかと思います。
ただ、大学教育でアウトカムの測定は非常に難しいのですけれども、私の知る限り、喜連川委員もおっしゃいましたけれども、オンラインのメリットといいますのは、学生が何を学んだか、どうしたかということのログが取れるわけですから、個人情報の問題はありますけれども、それを活用してきめ細かく教育の効果をアウトカムレベルで評価すべきではないかと思います。(P29)
さもLMSのログ等でラーニング・アウトカムズが評価できるような口ぶりですが、ログ等で判断できるのは断片的な学習行動だけであり、やはりそれは簡単ではなかろうと思います。
各受業の学修成果はDPに即した到達目標の達成度、カリキュラムの学修成果はDPの達成度やDPに関連する資格の合格率等で判断できるものと考えています。その前提に立つと、まずは各授業がDPに応じた到達目標を設定できているか、各到達目標の達成度を測定できる成績評価を行っているかが肝要でしょう。
学生のメンタルヘルス対応
大橋副主査
急に自分を傷つけるみたいなことを書いて、フェイスブックのアカウントを閉じてしまって、コンタクトが取れなくなるということで、我々の方でその子の家まで行って確認したところ、憔悴はしていましたけれども、生存を確認したという学生は何名か出てきて、オンラインをずっと続けているとかなり秋は厳しいかなという思いを持っています。そうした学生は入学生が実は多くて、そうしたこともこのアンケートで見てとれるのかなと思います。(P14)
日比谷委員
2点目は、一人で下宿していて、オンラインで誰にも会わなくてメンタルがやられてします。(P23)
髙島委員
友達ができないということがあるのですが、すごく大きい。この1年間の谷に落ち込んでいる新入生たちをどう救うのか。来年以降になると、きっとハードもソフトも制度もいろいろなものが整ってくると思うのですが、今年の新入生をどう救うかは喫緊の課題ではないか。(P30)
佐々木委員
特に新入生の人たちは、大学がないためにコミュニケーションを取る機会がなく、孤立化するということがあるようですが、これは本当に大きな問題です。(P33)
学生のメンタルヘルスの問題は、コロナ禍において生じたものと、遠隔授業において一般的に生じるものとを分けて考えなければなりません。極論ですが、ニューノーマルにおける大学教育とは学生自身が学びや成長に対して責任を持つものであれば、一人でも学びを進めていける者、ある意味では、高校からのストレート進学者ではない者が学ぶ場として位置づけることはあり得るかもしれません。
???
2点目は、日本高等教育評価機構における大学評価と公表であります。(P34)
これは何を言っているのか全く分かりません。公益財団法人日本高等教育評価機構のことではなく、大学評価全般の話でしょうか。
「国立大学法人の戦略的な経営実現に向けて~社会変革を駆動する真の経営体へ~中間とりまとめ」への2,3の所感
国立大学法人の戦略的な経営実現に向けて~社会変革を駆動する真の経営体へ~ 中間とりまとめ(令和2年9月):文部科学省
国立大学法人の戦略的経営実現に向けた検討会議では、令和2年9月に「国立大学法人の戦略的な経営実現に向けて~社会変革を駆動する真の経営体へ~中間とりまとめ」を取りまとめました。
国立大学法人の戦略的経営実現に向けた検討会議の中間まとめが公表されました。これに対し、所感を記しておきます。
1.そもそも誰に向けた会議体なのか
この中間まとめは、「国立大学法人の戦略的経営実現に向けた検討会議」が作成しています。同検討会議は、令和2年1月28日高等教育局長決定のもとに設置されており、
1.趣旨
「骨太の方針2019」に則り、指定国立大学が先導して、世界の先進大学並みの独立した、個性的かつ戦略的大学経営を可能とする大胆な改革を可及的速やかに断行することが重要。そのため、より高い教育・研究に向けた自由かつ公正な競争を担保するため、国立大学と国との自律的契約関係を再定義し、真の自律的経営に向け、国立大学法人法等関連法令の改正や新規創設を含めて検討を行う。併せて、各大学においてグローバル人材を糾合できる世界標準の能力・業績評価制度とそれに基づく柔軟な報酬体系の確立などにつき検討する。
また、各大学が一貫性ある戦略的経営を実現できるような学長、学部長等の選考方法の在り方について検討する。加えて、新たな自主財源確保を可能とするなどの各種制度整備の具体策、さらに、現行の「国立大学法人評価」「認証評価」及び「重点支援評価」に関し、廃止を含めた抜本的簡素化や、教育・研究の成果について、中長期的努力の成果を含め厳正かつ客観的な評価に転換することを検討する。
(https://www.mext.go.jp/content/20200226-mxt_hojinka-000005220_2.pdf)
となっています。
中間まとめを見ると「国は~~が必要である。」「国立大学法人は~~べきである。」という勇ましい言葉が並びますが、そもそもこれは誰に向けた言葉なのかがわかりません。中央教員審議会であれば文部科学大臣に向けて答申を行うという形ですが、同検討会議はその枠組みの外に置かれています。おそらく、文部科学省はこの中間まとめを踏まえて制度改正等を行うものと思われるため、間接的には文部科学大臣や行政・立法組織に対しての言葉だとは思いますが、なかなか判然としないところです。
2.一部の事項は明記されていない
当初予定されていた検討事項と今回公表された中間まとめを比較すると、以下の事項への言及がないことがわかります
- 文部科学省職員現役出向等の今後の在り方
- 学部長等の選考方法の在り方
- 世界標準の教育研究実現に向けた教育研究評議会の在り方
- 世界標準の能力・業績評価・報酬体系の確立
- 授業料の自由化の是非
- 日常的な英語による教育研究の早期実現(JDが代用?)
このうち、授業料の自由化については、どこで見たかは思い出せませんが、今回の審議で結論を出すのを断念したという記事を見た気がします。いずれにしろ、この社会状況では授業料の自由化(おそらく「高くなる」方の自由)は打ち出しにくいところです。実際、先行大学の事例を受け、コロナ以前の2019年12月から1月にかけて授業料の値上げを検討していた国立大学は一定数存在していたと思います。その検討はコロナのためにいったん棚上げになった状態でしょうね。
また、「文部科学省職員現役出向等の今後の在り方」はぜひとも最終まとめに盛り込んでほしいところです。
なんにせよ、まだ中間まとめですので、年内に作成される予定の最終まとめを待ちたいと思います。
3.各論
以下、本文中で気になった記載を抜粋し列挙します。
法人化当初に描いていた姿
一方、国の一組織であることを前提としたかのような国の管理の仕組みや大学間の結果の平等を偏重するマインドが国に残っていることも否めない。また、各大学においても、大学内部における横並びの慣習などにより、法人化当初に描いていた、「競争的環境の中で、活力に富み、個性豊かな魅力ある国立大学」の姿は未だ実現しているとは言い難い。(P2)
言っていることはわかりますが、法人化当初に描いた姿に言及するのならば、法人法制定時の付帯決議の実現にも言及いただきたいところです。
財政的な責任
なお、ここでいう「自律的契約関係」とは、以下で述べる新たな中期目標及び中期計画により、国と国立大学法人それぞれの責任を明確にすることで、その関係性を自律的なものにすることを企図しており、公共的価値の創出を期待されている国立大学法人が、国から財政的に自立することを表現しているものではないことに留意が必要である。(P3)
(中略)
加えて、国は、国立大学法人に負託する役割や機能が発揮される環境構築に責任を持つ意味において、法人が予見可能性を持った財務運営に基づき業務を確実に遂行出来るよう、十分配慮する必要がある。(P4)
国の責任は財政面であることを、回りくどく言っていると理解しました。
中目中計の在り方
国は、これまでの中期目標の在り方を見直し、総体としての国立大学法人に求める役割や機能に関する基本的事項を国の方針として提示するべきである。(P3)
(中略)
国立大学法人は、国が示す大枠の方針を踏まえ、それぞれの組織の特性を生かした6年間のビジョンや行動計画等を作成すべきである。これは、国立大学法人がその大学経営の目標に照らして、国が方針で示した役割や機能のうち自身のミッションとして位置付けるものについて自ら選択し、それを達成するための方策について、自らの責任で6年間で達成を目指す水準や検証可能な指標を中期計画に明確に規定することが不可欠である。(P4)
中目中計の在り方が大きく変わりそうです。国が示す基本的事項も、おそらく、現在の3類型に沿ったものになる気がしています。
法人評価の在り方
こうした社会への説明責任が十分に確保されることを前提とした上で、新たな中期目標・中期計画に基づいて構築される自律的契約関係も踏まえ、国(国立大学法人評価委員会)による法人評価について、毎年度の年度評価を廃止し、原則として、6年間を通した業務実績を評価することとすべきである。(P4)
法人評価の在り方も大きく変わりそうです。
事務職員の育成
具体的には、国立大学法人は、専門性の高い事務職員の育成を進めるとともに、公務員型から脱却した、能力や業績に応じた弾力的な人事給与システムを整えるべきである。(P5)
事務職員に関する言及もありますね。専門性の高い事務職員の育成は結構ですが、当該職員の専門性に応じた専門性の高い業務があるかどうかがポイントだと思っています。
理事の定数
さらに、戦略的な経営実現やコンプライアンス強化の面から、新たに実施する業務に最適な外部人材の適時登用を可能とするなど、国は、国立大学法人が置くことができる理事の員数について柔軟性を持たせることが必要である。(P5)
国立大学法人法別表第一に関する案件ですね。国立大学で唯一法人統合を果たした東海国立大学機構(岐阜大学及び名古屋大学)を除き、多くの国立大学では同じ組織のなかで理事と副学長が兼務されている状態です。法人の理事としての役割を果たせるように権限(資金など)が委譲できているのか、そうでなければ外部人材を理事として適時登用したとしても、満足な効果が上がるのかどうか疑問です。
学長選考会議
このように、 国立大学法人は 、学長が真にリーダーシップを発揮し、世界に伍する大学へと飛躍を遂げるため、 学長選考会議が自らの権限と見識において、法人の長に求められる人物像に関する基準をステークホルダーに対して明らかにするとともに、広く学内外から法人の長となるにふさわしい者を求め、主体的に選考を行うべきである。(P6)
最近何かとお騒がせな学長選考ですが、学長選考会議がちゃんと選考をやれよと言ったことが書かれています。たしかに他の委員会も含め特に学外委員はお付き合いで委員に就任していた例もあるでしょうし、担当部署が作成した案を無言で承認するだけではなく主体性を持って役割を果たせということだと思います。
本邦でも学長のリーダーシップに関する研究は進展中だという認識ですが、パートタイム委員が多い学長選考会議にその重責がどの程度果たせるのか、学長選考委員に求められる資質を明らかにしたうえで委嘱することも必要ではないかと考えています。また、学長選考に際し、最大のステークホルダーである学生に関わってもらう方法もあり得るのではないでしょうか。
内部留保
したがって、国は、国立大学法人自らの判断で戦略的に積立てができる内部留保の仕組みを作るとともに、法人が自ら獲得した多様な財源を、戦略的に次期中期目標期間に繰り越すことができるよう、目的積立金の見直しを行うべきである。(P7)
これは弊BLOGでも従前から言及している仕組みです。現在の目的積立金及び積立金のようなものではなく、一般家庭における当座預金に近い形で余剰資金をキープできなければ、節約へのインセンティブは働きません。一方、過去にあった特別会計の積立金、いわゆる「埋蔵金」に近い形でもありますので、この建付けは財務省の説得が困難かもしれません。
債券の発行
そして、国は、この活用拡大のための要件緩和を行うべきとの本検討会議の議論を踏まえ、大学の先端的な教育研究の用に供するための「コーポレート・ファイナンス型」の活用を可能とする政省令改正を、令和2年6月に行っている。しかしながら、国立大学法人が発行する債券が、市場との対話でさらに魅力的な商品として高い価値を生み出していくことが、今後、より一層期待される。(P8)
最近では、東大が発行した大学債がニュースになりました。
東大のプレスリリースでは、大学債の使途は以下の2点です。
債券の発行については、文部科学省HPに解説資料があります。
2資金調達手段としての債券発行の意味
(1)債券とは何か
(2)債券発行の実際
債券を発行するとなると、投資家に対し、年々金利を支払うとともに、償還期間を終えた償還金を支払う必要があります。今回の東大の大学債は200億円発行し利率は0.823%(年)なので、支払う金利は年1億6千万円程度です。これだけの金利を毎年(40年間で66億円程度)支払いつつ、40年後には200億円を償還しなければなりません。
東大の令和元年度財務諸表では、キャッシュフロー計算書上は資金期末残高が532億円程度ありますので、これが維持できるのであれば金利及び償還には十分に対応できるでしょう(おそらく償還金を積み立てるのだろうと思いますが、償還金の原資には制限があったようにも記憶していますので制度との兼ね合いでしょうね)。一方で、これだけキャッシュがありながら、なぜ大学債の発行を行うのかという疑問もありますが、現行の積立金制度のようにあらかじめ使途が限定された資金では運用上不都合が生じるため、自由度が高い債権発行による資金調達に踏み切ったと推測しています。
設置審査
このため、国は、学位の分野に変更がなく、収容定員の総数が増えない場合において、学部・学科の再編等を伴う定員変更に必要な手続きについて、抜本的に簡素化するべきである。(P9)
弊BLOGでも従前から言及してきたとおり、国立大学と公私立大学では設置審査の手続きが大きく異なります。設置審査の簡素化は全設置者に共通した流れではありますが、国立大学のみ何らかの措置があるのか、気になるところです。
学部定員の柔軟化
したがって、国は、文理の枠にとらわれないSTEAMスティーム人材の育成や、地域の特性やニーズを踏まえた質の高い人材育成やイノベーションの創出、社会実装に本気で取り組むような場合に限り、これまで抑制的に取り扱ってきた国立大学の学部収容定員の在り方を柔軟に取り扱うことも含め、魅力的な地方大学の実現に向けた取組を強化するべきである。(P10)
ありがたい話ではあるのですが、学部定員を増やすとともに、増員分を支援できる教育研究環境の整備を行わなければなりません。また、この前段にある
しかし、知識集約型社会への転換の中で、国立大学が知のインフラ基盤として果たすべき役割が増大し、例えばリカレント教育の重要性なども指摘されている状況下で、収容定員を18歳人口との関係のみで決めるのは、必ずしも合理的ではない。
という話について、現状で学部に入学する25歳以上の者の割合は極めて低く、現時点でこの話がどの程度説得力を持つかは未知数だと感じています*1。
授業目的公衆送信補償金制度に関する留意点
文化庁と一般社団法人授業目的公衆送信補償金等管理協会(以下、「SATRAS」という。)が開催した授業目的公衆送信補償金制度の説明会(以下、「説明会」という。)に参加し、何点が気になる点があったので、ここに記録しておきます。なお、今回の記事には誤りが含まれる可能性がありますが、それにより生じた損害には当方は一切責任を負いません。
- 1.従前の取り扱いはほぼ変わらない
- 2.対象者数をどのように算定するか
- 3.実態調査はどのような内容か
- 4.公開講座には対応する必要があるか
- 5.大学コンソーシアムは「学校その他の教育機関」に該当するのか
1.従前の取り扱いはほぼ変わらない
SATRASの説明ではさもすべての著作物の利用について補償金が発生するような口ぶりにも感じられましたが、これは授業目的公衆送信保障金制度(以下、「本制度」という。)の前提に立っているからです。学校その他の教育機関における複製等や、引用など著作権者の許諾を得ずに著作物を複製等できる取り扱いは、従前から変更ありません。
平成30年著作権法改正による「授業目的公衆送信補償金制度」に関するQ&A(基本的な考え方)(令和2年4月24日文化庁著作権課)
問1 平成30著作権法改正により「授業目的公衆送信補償金制度」を創設した趣旨と制度の概要を教えて下さい。この制度により、教育現場で新たにどのような行為が行えるようになるのでしょうか。
(答)
1.教育現場での著作物利用に関しては、従来から、対面授業のための著作物のコピー・配布や、対面授業の様子を遠隔地に同時中継する際の著作物の送信は、権利者の許諾なく行えることとなっていました。
本制度は、他人の著作物を授業等において公衆送信を行う際に適用される制度です。それは、平成30年度法改正時の新旧対照表を見れば明らかだと思います。そのため、そもそも公衆送信を行わないのであれば、本制度には該当せず、補償金支払いは発生しません。ただし、当然ながら、法令に定める著作権者の許諾を得ずに複製等できる範囲を逸脱すれば、各著作権者の許諾が必要になります。
改正前 | 改正後 |
---|---|
(学校その他の教育機関における複製等) (新設) 2 公表された著作物については、前項の教育機関における授業の過程において、当該授業を直接受ける者に対して当該著作物をその原作品若しくは複製物を提供し、若しくは提示して利用する場合又は当該著作物を第三十八条第一項の規定により上演し、演奏し、上映し、若しくは口述して利用する場合には、当該授業が行われる場所以外の場所において当該授業を同時に受ける者に対して公衆送信(自動公衆送信の場合にあつては、送信可能化を含む。)を行うことができる。ただし、当該著作物の種類及び用途並びに当該公衆送信の態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。 |
(学校その他の教育機関における複製等) 2 前項の規定により公衆送信を行う場合には、同項の教育機関を設置する者は、相当な額の補償金を著作権者に支払わなければならない。 3 前項の規定は、公表された著作物について、第一項の教育機関における授業の過程において、当該授業を直接受ける者に対して当該著作物をその原作品若しくは複製物を提供し、若しくは提示して利用する場合又は当該著作物を第三十八条第一項の規定により上演し、演奏し、上映し、若しくは口述して利用する場合において、当該授業が行われる場所以外の場所において当該授業を同時に受ける者に対して公衆送信を行うときには、適用しない。 |
また、説明会資料では、今回の法改正に伴い著作権者の許諾なしに利用可能になった行為がわかりやすく示されています。
自分の頭の中にある補償金制度に該当するかを判定するイメージをフローチャートとして作成しました。大まかには、これに従って判断しています。「許諾なしに利用できる範囲」とは、著作権法に定める著作権者に許諾を得ることなく複製等が可能な行為や範囲を指します。
著作物が自由に使える場合は? | 著作権って何? | 著作権Q&A | 公益社団法人著作権情報センター CRIC
定められた条件で自由利用
著作権法では、一定の場合に、著作権を制限して著作物を自由に利用することができることを定めています。しかし、著作権者の利益を不当に害さないように、また著作物の通常の利用が妨げられないように、その条件が厳密に決められています。 なお、著作権が制限される場合でも、著作者人格権は制限されません
また、各授業形態との対応は、文化庁が作成した「授業の過程における利用行為と著作権法上の扱いについて」がわかりやすいです。
著作権法第35条のみではなく、他の取り扱いも含め、従前のとおり適切に権利対応に取り組んでいく必要がありますね。
2.対象者数をどのように算定するか
前項では、必ずしもすべての著作物を利用する授業が本制度に該当するわけではないことを示しました。ということは、申請の際に補償金の算出根拠となる対象者数も各授業の実施状況(受講状況)によりある程度は抑えられる可能性があります。
しかし、この実際の受講者数を基にした申請は、少なくとも大学では現実的ではないと考えます。理由は以下の3点です。
- すべての授業に対して本制度の対象となる著作物の利用をしているか詳細な確認を行うことが困難であること
- 各授業の各回に誰が受講(アクセス)するのか/したかを把握することが困難である可能性があること
- 該当するすべての授業のすべての受講者を把握できる段階が遅いこと
1.について、小規模大学では数十から数百程度、中大規模大学では数千程度の授業が開講されていることと思います。それら各授業の各回において、本制度の対象となる取り扱いを行っているか詳細に調べることはなかなか大変です。特に、学期初めに調査したとしても、13,14回程度のスライド内容はまだ不明という場合もあり得るでしょう。とりあえず、遠隔授業を行っているかで大きく網をかけて、そこから詳しく調べていくことになりますが、相当程度の時間を要することが想像できます。
2.について、1.で対象となる授業を同定したとして、その授業の各回の出席者を把握する必要があります。LMS等である程度把握できる可能性がありつつ、各授業により異なるプラットフォームを用いている場合は若干出席者把握の困難性が高まるかもしれないな、と感じてます。
3.については、例えば後学期の15回目に同制度の対象となる取り扱いを行う授業があった場合、対象者数は15回目の授業が終わらなければ確定しません。説明会では、申請・補償金支払いの前であっても著作権法第35条に沿った対応が可能と言われましたが、さすがに年度末近くなっての申請対応はいかがかとも感じます。
これらを踏まえると、遠隔授業を行う可能性/予定があるのであれば、5月1日時点全学生(非正規生を含む)を対象者として申請することが無難なように思えます。各学部により対応が異なる場合であっても、教養教育など学部を超えて履修する科目の存在を考えると、あまり単純化はできないかもしれません。
かといって、少なくない金額が動くにも関わらず、さも全学生を対象とすることが当然のように感じた協会の態度には思うところがありました。
3.実態調査はどのような内容か
説明会では、著作権者への補償金の分配のため実態調査を行うといった話がありました。前項の通り、各授業の実態調査はそう易々と行えるものではないでしょう。どの大学が調査対象となるのか、調査内容や調査項目はどのようなものかを早めに提示いただかなければ、大学としての対応もなかなかむつかしいと感じています。
4.公開講座には対応する必要があるか
説明会では公開講座に関する補償金の要件も言及がありましたが、この話は今までの取り扱いと異なる部分があると感じています。
改正前著作権法第35条の学校での著作物の利用では、「授業の過程における使用」とはあくまで正課の授業での利用に限定されていたと解釈していました。例えば、「学校その他の教育機関における著作物の複製に関する著作権法第35条ガイドライン」(平成16年3月著作権法第35条ガイドライン協議会)では、「同条第1項に関するガイドライン」として、以下の記載があります。
事項 条件 内容 授業の過程における使用 「授業」は、学習指導要領、大学設置基準等で定義されるもの 授業の過程にあたるかどうかは、左記条件に照らして授業を担任する者が責任を持って判断すること。
○ クラスでの授業、総合学習、特別教育活動である学校行事(運動会等)、ゼミ、実験・実習・実技(遠隔授業を含む)、出席や単位取得が必要なクラブ活動
○ 部活動、林間学校、生徒指導、進路指導など学校の教育計画に基づいて行われる課外指導
×以下の場合は、「授業」にはあたらない。
×学校の教育計画に基づかない自主的な活動(例:サークル・同好会、研究会)
×以下の場合は、「授業の過程」における使用に当たらない。
×授業に関連しない参考資料の使用
×校内 LAN サーバに蓄積すること
×学級通信・学校便り等への掲載
×教科研究会における使用
×学校ホームページへの掲載
ここから、公開講座や教員免許状更新講習などは「授業」や「授業の過程」に該当しないのではないかと思われたため、予防線として、担当教員には適正な引用の範囲内において著作物を利用するようお願いをしていました。
一方、「改正著作権法第35条運用指針(令和2(2020)年度版)(2020年4月16日著作物の教育利用に関する関係者フォーラム)では、「授業」の例として以下の項目が挙げられています。
「授業」の法解釈に変更がないとすれば私の解釈が誤っていただけなので別にそれはいいのですが、公開講座や教員免許状更新講習でも著作物の無許諾利用が一定程度可能であるのは私の中では大きな変化です。
本制度への対応については、遠隔で行う可能性があるならば授業と合わせて申請といったところです。対象人数は講座の定員とするにしても、例えば年度途中で新たにオンラインで行う公開講座が発生した場合はどうするのかという点は明らかではありません。
5.大学コンソーシアムは「学校その他の教育機関」に該当するのか
近年は大学間連携が推進されており、その場として各地に結成された大学コンソーシアムが活躍しています。インターネットを利用した講座等も行われる中、大学コンソーシアムが主催するオンライン公開講座は本制度に該当するのか、言い換えれば大学コンソーシアムは「学校その他の教育機関」に該当するのか、気になるところです。
授業目的公衆送信補償金制度のオンライン説明会に参加しました
令和2年10月7日に行われた文化庁著作権課及び一般社団法人授業目的公衆送信補償金等管理協会(SARTRAS)主催の授業目的公衆送信補償金制度のオンライン説明会に参加しましたので、記録を示しておきます。なお、私が理解できた範囲での記録ですので誤りが含まれる可能性があり、本記事の内容に起因する行為への責任は当方は一切負いません。
制度の概要説明(趣旨と目的など)【文化庁著作権課】
・ 授業目的公衆送信補償金制度は著作権法に定められた制度であり,著作物の利用円滑化と著作権者の利益保護のバランスを図ったものである。他人の著作物は無料で使用できるわけではなく,基本的には利用において対価が発生する。教育活動での利用においても,基本的には同様である。
・ 著作権制度は,流通・利用と権利制限とのバランスが重要である。
・ 権利者であれば,利用条件を決めることができ,他人の無許可利用を禁止できる。他人の著作物を利用する際には,原則として,著作物の利用ごとに許諾を得ることが必要である。
・ 公益性の高い利用や権利者の利益に与える影響が少ないなど,一定の条件下において,権利者の権利が制限される場合がある。これは著作権法第35条に明示されている。
・ 著作権法第35条では,対象施設・対象主体・目的限度・行為・権利者利益への影響を整理し,学校その他営利を目的としない教育機関であること,教員を担当する者と授業を受ける者であること,授業の過程における利用に必要と認められる限度であること,複製・公衆送信などが対象となっていること,著作権者の利益を不当に害しないことであれば,権利者の許諾を得ずに著作物を利用できる。
・ 平成30年度に改正された著作権法における授業目的公衆送信補償金制度により,従来は個別に許諾が必要であった非同期型の授業利用等においても,補償金を支払うことにより各権利者の許諾を得ることなく著作物を利用することができる。
・ 補償金制度では,あらゆる種類の著作物についてワンストップで一括処理が可能となっている。教育機関は指定管理団体に補償金を支払うことで,各著作権者に補償金が分配される。非営利の教育活動であっても,創作者の対価還元を維持することで,創作の活性化や質の高いコンテンツの産出につながることにご理解をいただきたい。補償金については,文化庁の定める審査基準にのっとり,料金が設定されることになる。
・ 本年度は補償金額を無料としているが,次年度は有償での制度運用としている。年内を目途に文化庁で金額の審査を行う予定である。各機関の補償金負担の軽減のため,政府方針にのっとり,概算要求への財政措置の計上など,支援に取り組んでいる。設置者においても,支払い義務を適切に果たすことが大切である。
制度の運用等(運用指針やライセンス,来年度からの補償金額案と規程案等)の説明【一般社団法人授業目的公衆送信補償金等管理協会】
・ SATRASは2019年1月に設立された日本で唯一補償金の収受が許可された団体である。教育分野の著作物等の利用の円滑化を図ることが目的であり,幅広い分野の著作者団体により構成されている。
・ これまではインターネットを用いた著作物の利用に大きな手間があったが,制度改正により補償金が設定され円滑な著作物の利用が可能となった。
・ 補償金額の算出根拠として,高等教育では学術論文の公衆送信時の使用料を,初等中等教育では教科書の使用料を参考にした。意見聴取を経て,当初の提案額から一律して80円減額することになった。大学等は「720円/一人・年」として文化庁に認可申請を行った。
・ 補償金の支払いは教育機関の設置者が行う。また,支払う補償金額は,公衆送信を利用した人数によって包括的に算出する。全校生徒の数を必ず根拠としなければならないわけではなく,利用状況を把握してもらうことになる。公開講座の算出方法について,算出単位を変更し,30名1単位として10単位3,000円を算出単価としている
・ 補償金の権利者への分配について,教育機関への実態調査を行い,それに基づき権利者へ分配を行う予定である。教育機関の負担軽減を図ったうえで,サンプリング調査を行う。各機関への調査は数年に一度等の頻度で行うことを検討している。
・ 著作物の教育利用については,関係者でフォーラムを結成し,著作物の利用推進を検討している。運用指針も同フォーラムで検討している。
・ 補償金の対象とならない著作物の利用(教材の共有や授業外会議,履修期間終了後の学生に対する公衆送信など)についても,ライセンスを付与できるよう準備をしている。
・ 現在は文化庁に対して補償金の認可申請を行っている。認可審査により補償金の金額が上下することはないと思われる。12月には金額が認可される見通しであり,次年度から各機関からの申請を受け付ける予定である。5月1日時点の学生数を基準に申請してもらうことになる。
・ 今後ICTを利用した教育を推進するために著作物の利用環境を整備していく必要がある。
質疑応答
Q:設置者の判断により本制度を活用しないことはあり得るのか。
A:公衆送信を行う場合は,本制度の利用は法令上の義務である。
Q:従前は無償であった対面での著作物の利用も有償となるのか。
A:従前のとおりである。
Q:同一敷地内での配信は有償となるのか。
A:学校内部のサーバのみを介して行われる送信は本制度の対象外である。ただし,外部サーバやインターネットを利用する場合は,本制度の対象となる。
Q:外国の著作物の著作物やSATRASに参画していない著作者団体の著作物などは利用できるのか。
A:外国の著作物でも利用できる。参画していない権利者団体の著作物なども制度の範囲内で利用できる。
Q:補償金を支払えば制限なく利用できるのか。
A:運用指針等の範囲内で利用できる。一切制限なく利用できることではない。
Q:どのタイミングで著作権のことを考えなければならないのか。
A:第三者の著作物を利用する際に考えてほしい。
Q:講師自身の著作物を自身が使用する場合は制度の対象か。
A:自身の著作物を利用する場合は制度の対象外である。
Q:オンデマンド教育においてすでに全員が購入している著作物を公衆配信する場合も補償金の支払いが必要か。
A:必要である。
Q:運用指針の検討状況を教えてほしい。
A:来年度に間に合うように準備している。
Q:包括的なライセンスの検討状況を教えてほしい。
A:補償金制度を補完するライセンスは必要であり,検討を進めている。教材の共有や教職員会議などを対象としたい。
Q:本制度に罰則規定はあるのか。
A:罰則規定はない。ただし,民事的な責任は発生し,SATRASから損害賠償請求がなされる場合がある。
Q:法人単位ではなく学校単位で申請することは可能か。
A:教育機関の設置者(学校法人など)が支払いの義務者であることが法令で定められている。
Q:遠隔授業を行う学校のみの申請でよいか。
A:オンライン授業を全く行わない場合は対象に含める必要がない。
Q:オンライン授業を利用するクラスのみ申請すればよいか。
A:オンライン授業を利用する人数を申請してほしい。
Q:年度途中からの利用はできるのか。
A:年度途中から申請できる。補償金額は年額を12分割することになる。
Q:学生数の根拠はどうか?
A:5月1日の在籍数となる。非正規生が1年を通じて利用する場合は,数に含める。
Q:来年度の申請は5月1日以降となるが,4月1日以降本制度を利用した授業を行っても良いのか。
A:本制度は、申請や補償金支払いが終わる前でも利用することができる。
Q:補償金の金額や徴収方法の時期を決定するのはいつか。
A:補償金額は2020年内に認可される予定である。各機関との契約業務は2021年度以降の対応になる。
Q:2021年度に改めて申請を行う必要があるのか。
A:年度ごとに申請を行ってほしい。自動更新は行わない。
Q:実態調査に備えて準備することはあるか。
A:実態調査はすべての機関に毎年行うのではなく,抽出して調査を行う。各教員に著作物の利用状況を確認(誰のどのような著作物をどの程度利用したか)することになるため,教員が著作物の利用状況を随時記録していれば対応しやすくなるだろう。
本年度後期や次年度の各授業科目の実施方法に係る留意点について
https://www.mext.go.jp/content/20200727-mxt_kouhou01-000004520_1.pdf
本年度後期や次年度の各授業科目の実施方法に係る留意点について
文科省より、本年度後学期や次年度の授業に係る通知が出されました。いくつか気になる点がありますので、ここに明記しておきます。
1.大学設置基準第25条第1項について
本年度後期や次年度の各授業科目の実施方法を検討するに当たっては,大学設置基準第25条第1項が,主に教室等において対面で授業を行うことを想定していることに鑑み,
コロナ関係の通知でこの文言は初めて見た気がします。関連条文を確認します。
大学設置基準
(授業の方法)
第二十五条 授業は、講義、演習、実験、実習若しくは実技のいずれかにより又はこれらの併用により行うものとする。
2 大学は、文部科学大臣が別に定めるところにより、前項の授業を、多様なメディアを高度に利用して、当該授業を行う教室等以外の場所で履修させることができる。
3 大学は、第一項の授業を、外国において履修させることができる。前項の規定により、多様なメディアを高度に利用して、当該授業を行う教室等以外の場所で履修させる場合についても、同様とする。
4 大学は、文部科学大臣が別に定めるところにより、第一項の授業の一部を、校舎及び附属施設以外の場所で行うことができる。
第2項から第4項まではできる規定であるため、原則としては第1項の対応であり、それは対面授業を想定しているとのことです。大学設置基準の解釈が通知に出てくることはそれほど多くないため、覚えておきたいところです。
2.面接授業の実施検討について
地域の感染状況や,教室の規模,受講者数,教育効果等を総合考慮し,今年度の授業の実施状況や学生の状況・希望等も踏まえつつ,感染対策を講じた上での面接授業の実施が適切と判断されるものについては面接授業の実施を検討していただき,授業の全部又は一部について面接授業の実施が困難と判断される際には,「2 遠隔授業等の実施に係る留意点」を踏まえた上で,遠隔授業等(面接授業との併用を含む。)の実施を検討いただくようお願いいたします。
この文章からは、まずは対面授業の実施を検討し、実施が困難である場合は遠隔授業等の実施を検討するように読み取れます。
前学期前に発出された「令和2年度における大学等の授業の開始等について(通知)」(元文科高第1259号令和2年3月24日)では、
面接授業に代えて遠隔授業を行う場合にも,大学は当該授業科目を履修した学生に対しては試験の上単位を与えることになるが,その方法は,一斉に実施する定期試験等に限られるものではなく,レポートの活用による学習評価等,到達目標に応じた適切な成績評価手法を選択することができること。
とあり、あくまで遠隔授業は面接授業の代わりであることとなっています。
今回の通知ではそれが一層明確な印象を受け、面接授業の軸足を置くというコロナ以前の状態に回帰気味なのではないかと思っています。
ちょっと気になるのは「学生の希望」という文言が含まれているところです。本来であれば、授業の実施形態は、最も教育効果の上がり到達目標は達成される方策を選択すべきだと考えますが、「学生の状況」はともかく、ここで「学生の希望」という文言が含まれた意味を考えてしまいます。
この文言は、本通知中にもう一度出てきます。
ただし,感染の状況は日々刻々と変化しているものであることから,一度実施方針を決定した後においても,地域の感染状況や,学生の希望等も踏まえ,必要に応じてその実施方法の見直しや更なる改善に努めるようお願いいたします。
「地域の感染状況」と「学生の希望」が並列で明記されています。この取り扱いは慎重に検討していきたいです。
3.受験生への情報提供について
以上を踏まえ,各授業科目の実施方法について御検討いただいた結果,本年度後期や次年度の授業の実施方法としては,面接授業のみ実施,面接授業と遠隔授業の併用実施,遠隔授業のみ実施等多様な授業の実施形態が考えられますが,いずれの場合も,授業計画(シラバス)等に明示し,学生に対して丁寧な説明に努めるとともに,その実施方針等については、受験生の進学先の参考となるよう,できる限り早めにインターネット等により公表していただくようお願いいたします。
「受験生の進学先の参考」という言葉が出てきました。
文章上は、「本年度後期や次年度の授業の実施方法としては,(中略)その実施方針等については、受験生の進学先の参考となるよう,できる限り早めにインターネット等により公表していただくようお願いいたします。」となるため、必ず各授業の形態を公表するというよりは、実施方針を公表するという取り扱いができると考えています。ただ、一度決定した後も見直しや改善に努めよとあるなかで、都度都度変更を公表することは、どの程度受験生の進学先の参考になるのか判断ができないと感じています。
4.レポート課題の不正防止措置について
その際,課題の提出や定期試験等の代替として行われるレポートの活用による学習評価等の際の不正防止対応方策を講じていること。
レポート課題の不正防止対応方策が唐突に出てきました。当然、従前から何らか対応していると思いますが、ここでいう「対応方策」が個々の教員の努力で足りるものなのか、剽窃防止システムの導入など組織的な対応のみ該当するものなのかは判断が難しいところです。
大学は「授業科目を自ら開設」せずともよくなるのか
大学の授業科目の相乗りが可能に、再編にも影響か(ニュースイッチ) - Yahoo!ニュース
文部科学省は各大学の独自開設が原則の授業科目に対し、連携する他大学の科目をそのまま活用できる新たな仕組みを始める。この「連携開設科目」は1法人傘下の大学間か、新制度で文部科学相認定の「大学等連携推進法人」に参加する大学間が対象だ。
大学等連携推進法人に関するニュースが出ていました。これは、7月15日に行われた中央教育審議会大学分科会(第115回)を受けての記事だと思います。今回は、この件について考えてみます。
1.現行法令
本件に関連する現行法令は、以下の通りです。
(教育課程の編成方針)
第十九条 大学は、当該大学、学部及び学科又は課程等の教育上の目的を達成するために必要な授業科目を自ら開設し、体系的に教育課程を編成するものとする。
ここにある通り、”大学は〜〜必要な授業科目を自ら開設し”とされており、基本的には授業科目は各大学にて開設するという前提で運営されています。今回のニュースは、この制限を緩和することと理解しています。
2.新たな仕組みの概要
大学分科会の資料では、大学等連携推進法人や同一法人内の授業解説に関する特例は、以下の通り示されています。
一定の要件を満たす認定一般社団法人の社員が設置する大学(専門職大学及び短期大学を含む。以下同じ。)間及び複数大学設置法人が設置する大学間において、➀他の大学が当該大学と連携して開設する授業科目を当該大学が自ら開設したものとみなすことができる特例措置を設けるとともに、②共同教育課程を設ける場合の各大学で修得すべき単位数の緩和を規定。
①及び②いずれの教育上の特例にも共通する要件として認定一般社団法人及び複数大学設置法人に求める事項
(1).認定一般社団法人
ア 法人の教学面の代表者が参画する組織(理事会)の設置
イ 同理事会における大学等連携推進方針の策定・公表
ウ イの大学等連携推進方針の文部科学大臣への届出
(2).複数大学設置法人
ア 法人の教学面の代表者が参画する組織(連携推進管理体制)の設置
イ (1).イの大学等連携推進方針に準ずるものの策定・公表
ウ イの大学等連携推進方針に準ずるものの文部科学大臣への届出
①連携開設科目に係る規定等の整備
(1).認定一般社団法人の社員が設置する大学間及び複数大学設置法人が設置する大学間において、他の大学が当該大学と連携して開設する授業科目を当該大学が自ら開設したものとみなす特例措置を設けること
(2).(1).の場合において、大学は、以下のア及びイの要件を満たさなければならないものとすること
ア 当該大学が自ら開設したものとみなす授業科目(以下、「連携開設科目)」が、大学等連携推進方針(複数大学設置法人が設置する大学間の場合にあってはこれに準ずるもの)に沿って開設されていること
イ 連携開設科目を自ら開設したものとみなす大学及び当該科目を開設する大学等は、当該連携開設科目を開設し、実施するため、以下に掲げる事項の協議の場(教学管理体制)の設置を義務付けること
(ア) 授業の方法及び内容並びに年間の授業計画
(イ) 学修の成果に係る評価に当たっての基準
(ウ) 連携開設科目の履修に係る学生の利便及び移動等への配慮
(エ) その他連携開設科目の開設・実施に必要な事項
(3).大学は、学生が他の大学等において履修した連携開設科目について修得した単位を、当該大学における授業科目の履修により修得したものとみなすものとすること
(4).卒業の要件として修得すべき単位数のうち、連携開設科目の履修により修得したものとみなす単位数の上限は、30単位とすること
(5).当該大学以外の大学が開設する授業科目を連携開設科目として当該大学が自ら開設したものとみなす場合には、当該大学は、連携開設科目に係る以下の事項を公表しなければならないものとすること
• 授業科目、授業の方法及び内容及び年間の授業の計画
• 学修の成果に係る評価
②共同教育課程の修得すべき単位数の緩和について
(1).共同教育課程の全ての構成大学の設置者が同一である場合、又は認定一般社団法人の社員である場合であって、当該設置者又は認定一般社団法人が上記の要件を満たすときは、共同教育課程に係る授業科目の履修によりそれぞれの大学で修得すべき単位数について、学士課程で「31単位」又は「32単位」とされているものを「20単位」とするものとすること
(2).それぞれの大学において当該共同教育課程に係る授業科目の履修により修得すべき単位数のうち、連携開設科目の履修により修得した単位は除くこととする。
緩和の特例(連携開設科目)を受けるためには、まずは、体制の整備や方針の策定が必要です。さらに、会議体で検討しなければならないこともあります。ただ、上記の文言だけ読むと、それほど難易度が高いとは思えません。むしろ、既存の教育課程にどのように連携開設科目を位置付けるかが難しそうだと感じます。
3.懸念
まだあまり詳細な内容が明らかになっていないところもありますが、本件についていくつか懸念があります。
3−1.他の条文との関係はどうなるか
大学設置基準には、第19条の他にも、教育課程に関する条文があります。
(授業科目の担当)
第十条 大学は、教育上主要と認める授業科目(以下「主要授業科目」という。)については原則として専任の教授又は准教授に、主要授業科目以外の授業科目についてはなるべく専任の教授、准教授、講師又は助教(第十三条、第四十六条第一項及び第五十五条において「教授等」という。)に担当させるものとする。
第10条では、主要授業科目は原則として専任の教授又は准教授に担当させるとしています。この点は連携開設科目と相容れないものになる可能性がありますので、第10条も改正されるのでしょうか。個人的には、大学には教授が多いという批判は第10条に影響されているとも感じていますので、第10条の改正には注目しています。
併せて、連携開設科目の内容によっては運動場や校地校舎の基準が緩和されるのか、(おそらくないでしょうか)気になります。
3−2.適用範囲はどうなるか
すでに、各大学にて、他大学の授業を履修してその単位を認定する単位互換が行われています。ただ、選択科目として認定されている場合が多いのではないかと思っています。
今回の連携開設科目については、必修科目まで他大学の開設科目で代替できるのか、その適用範囲は気になるところです。
3−3.質保証はどうなるか
他大学の授業科目を流用するわけですので、その質保証をどのように行うのかは難しいと感じています。「協議の場」にて行うのでしょうが、教育課程は「みなす大学:授業流用大学」が、当該授業は「みなし大学(みなされる大学):授業開設大学」が責任を持つことになるのでしょうか。
一応、大学分科会の資料では、以下の通りとなっています。連携開設科目の開設に自ら開設したものとみなす側の大学の強い関与を法令上担保する観点から、連携開設科目の実施状況に係る自己点検・評価や認証評価における適切な指針となるよう、大学間の協議事項を告示で要件化するとともに、みなす側の大学に連携開設科目の情報公表を義務付けること。一方、みなし側の大学数の上限については法令上一義的に決定することが困難であること、他の類似する制度(共同教育課程等)において規定していないことから法令上上限を設けることはしないが、施行通知等において上限の目安を示すことを検討。
また、「みなす大学」が学修の成果に係る評価を公表となっている点は気になります。評価の基準ではなく評価を公表となると、成績評価の分布などを公表するということでしょうか。
3−4.設置申請等が大変そう
実際に連携開設科目を用いて設置申請や課程認定申請などを行うとなると、他大学との調整が必要なので、結構大変そうだなと感じました。
3−5.学生への配慮をどうするか
他大学の授業科目を授業するため、学生への説明や理解を得ることがどこまでできるのかという点も気になります。特に、遠隔授業が(予期せぬ事態により)普及しているとは言え、図書館などの施設面も含めてどこまで学生の学修に配慮できるかは考えなければなりませんね。
「「法人化」を言い訳にする残念な人々」という記事を残念な思いで眺める。
国立大学の能力低下、法人化は失敗だったのか? NFIからの提言(10)「法人化」を言い訳にする残念な人々(1/5) | JBpress(Japan Business Press)
その中で、日本が抱える課題をどのように解決していくべきか。データを活用した政策形成の手法を研究するNFI(Next Generation Fundamental Policy Research Institute、次世代基盤政策研究所)の専門家がこの国のあるべき未来図を論じる。国立大学の法人化の是非を理事長の森田朗氏が問う(過去9回分はこちら)。
- 法人化と予算削減は分けて考えなければならない
- 競争的資金は大学経営に使えるとは限らない
- 改革をすればうまくいくという論拠が不明
- 結局、財務当局と同じことしか言っていない
- とは言え、最後の一文はそのとおり
法人化と予算削減は分けて考えなければならない
これまで、予算は支出費目を指定されていたが、法人化後は使途を指定しない運営費交付金として付与する。ただし、大学自身で内部の効率化を図ることができるし、競争的研究資金を含め外部資金の導入も認められることから、運営費交付金に関しては毎年1%削減することとされた。
要するに、大学が「自由」と「カネ」を希望しても両方得るのはムリである。そのときの情勢からしてカネを増やすことは期待できない以上、自由を選択するのは合理的な選択であった。
平成16年度から効率化係数が導入されたのは事実です。ただし、それと法人化を分けて考えなければ何が問題だったのかが整理できないと感じています。特に、国立大学法人法制定時の国会付帯決議は、
【衆議院】
六 運営費交付金等の算定に当たっては、公正かつ透明性のある基準に従って行うとともに、法人化前の公費投入額を十分に確保し、必要な運営費交付金等を措置するよう努めること。また、学生納付金については、経済状況によって学生の進学機会を奪うこととならないよう、適正な金額とするよう努めること。
【参議院】
十二 運営費交付金等の算定に当たっては、算定基準及び算定根拠を明確にした上で公表し、公正性・透明性を確保するとともに、各法人の規模等その特性を考慮した適切な算定方法となるよう工夫すること。また、法人化前の公費投入額を踏まえ、従来以上に各国立大学における教育研究が確実に実施されるに必要な所要額を確保するよう努めること。
となっていることは忘れてはなりません。付帯決議の実効性はさておき、国会審議をないがしろにするようなことは、仮にも当事者を自認するのであればするべきではないでしょう。言い方を借りるならば、知ったような顔をしてスマートぶったなことを言うよりは、「自由」も「カネ」も手に入れるように行動するほうがなんぼか役に立ちますよ。
競争的資金は大学経営に使えるとは限らない
すなわち、上手に経営を行うことができる大学は限られた資金であっても有効に使い、さらなる資金を獲得して研究も教育も発展させることができるであろう。他方、経営能力に欠ける大学は衰退し、将来的には統廃合の対象となるかもしれない。
さも基盤的経費がなくとも競争的資金により大学経営が成せるように書かれています。しかし、使途の制限がない基盤的経費に比べ、競争的資金は一般的に使途が極めて限定的であり、必ずしもなんでも使えるとは限りません。
例えるなら、Aという商品が売れたとしてもその売り上げはA'という商品の開発にしか使えず、赤字になっているBという商品には使えないようなものです。幅広い大学の業務の中でごくごく一部の事業のみ潤ったとしても、その根幹となる部分(人件費や整備費など)が貧弱なままであれば、運営すらおぼつかなくなりますね。
改革をすればうまくいくという論拠が不明
このため、法人化に際しては、大学トップである学長の選出は、外部の人材も加えた学長選考会議に委ねる仕組みが採用された。ただ、新設大学はともかく、伝統ある国立大学では教員の信任なきトップがリーダーシップを発揮することは難しい。その結果、多くの国立大学で、従来と同様の構成員による意向投票の制度が維持されたが、従来の慣習から脱却できないがゆえに、思い切った改革ができず、ジリ貧状態に陥りつつあるといえるのではないか。
その意味で、国立大学も、そろそろ腰を据えて自ら思い切った改革に取り組むべきときだと思う。学内の研究能力や事務運営の厳格な評価を行い、ムダを削減し効率性を高め、発展の可能性のある分野に資源を振り向けるべきである。
さも改革すれば経営がうまくいくといった論調ですが、論拠は不明です。むしろ、改革を重ねることにより、構成員のフォロワーシップが低下し、大学全体の活力が低下する可能性もあるのではないでしょうか。教育政策に限らない話かもしれませんが、政策の方向性がよくないのか、政策の運用がよくないのか、どちらなのかはなかなか難しいなと感じています。
結局、財務当局と同じことしか言っていない
その結果、運営費交付金の削減はおかしい、法人化は間違いだったという主張になっているように思われる。しかし、現状の経営体制のまま、運営費交付金の増額を求める主張は納税者に対して説得力を欠くといわざるをえないだろう。
突然「納税者」という言葉が出てきました。なるほど確かに総体としての国立大学法人の経常収益のうち、34%は運営費交付金収益です*1。ただ、納税者たる国民が国立大学の経営についてどれほど興味関心があるのでしょうか。たしかに気にすべき点ではあり無視はできませんが、どちらかといえば「納税者」という言葉を隠れ蓑にした財務当局のことでしょうね。となると、この記事で書かれていることは財務当局の主張と同じように感じてきます。
とは言え、最後の一文はそのとおり
いま必要なのは、大学人が大学を取り巻く環境について認識すること、すなわち大学人の意識改革だ。それなくして、ただただ財源の不足を指摘し、法人化は間違いだったと主張しても、国立大学の教育・研究の質が改善されるとはとても思えない。
ここまでいろいろと指摘してきました。ただ、「意識改革」という中身のない言葉は嫌いですが、最後の一文はまぁそれもあるよねと思っています。私は法人化後の採用ですが、この10年間で国立大学の中は結構変わってきたと感じています。しかし、それ以上に様々な要求が国立大学に寄せられ、変化のメリットをはるかに上回る改革要求のデメリットが生じているのかもしれません。とは言え、この元記事に書かれたような内容を世間も認知しているのだとしたら、自分にはどのようなことができるのか考えてしまいます。
本来ならば、改革に夢を見ず地道な変化を積み上げていくことが望ましいと思いますが、当の行政当局が改革に夢をみて恋焦がれている状況では、それをうまくいなしながら自分たちの道を作っていなかければならないと改めて感じました。