(メモ)現代教育講座9「高等教育の大衆化-大衆化の流れをどう変えるか-」(昭和50年,第一法規出版株式会社)

 最近は1970,80年代に書かれた高等教育関連書籍を読み、当時の予想がどの程度成立しているのか考えています。今回は、そんな中で見つけた「現代教育講座9「高等教育の大衆化-大衆化の流れをどう変えるか-」(昭和50年,第一法規出版株式会社)」の「第5章 大学-自己変革の可能性と限界(喜多村和之)」(P139〜172)の内容について、まとめます。

 内容としては、大学改革の過去と現在(当時)を振り返り、大学組織と大学改革の特性を明示しています。まさに現代まで続く大学改革の組織的特性を指摘しており、ここに記しておこうと思った次第です。(引用部分が多くなっているため、引用として成立しているのか、かなり恐々していますが…)

1 大学改革の視点

新しい歴史的環境や時代の変化に対する大学の反応は、つねに1サイクル遅れて生ずるという体質を大学は宿命的に担わされているように思われる。この宿命的な”時代遅れ”の体質は、大学がその最も重要な機能の一つとして過去の文化遺産の伝達という使命を担っていること、さらには大学が学問の教育・研究を遂行するための基本的条件の1つとして、外部の世界の変化から相対的に隔離された自治を享受してきたことと無関係ではないだろう。

大学の歴史的環境にたいする不適応がやがて極限に達し、諸々の矛盾や機能障害として顕在化するとき、大学を根底から支えている支援基盤(それは例えば国家であったり、階級であったり、学生や納税者であったりする)の側から、そしてときには大学の内部から大学の革新や自己変革を求める圧力が発生するに至るのである。

大学改革とは、換言すれば、大学に直接に関わりのある既成の制度・機能・構造等の諸側面を、新しく出現してきた歴史的環境に適応させるために、特定の理念に基づいて意図的ないし計画的に改造しつつ、古くなった大学の中に新しい生命を蘇らせていく社会的努力のことである。

 1.では、中世ヨーロッパから続く大学という組織を振り返り、大学が常に改革の波に曝されてきたこと、それに対する大学側の反応は遅れて生じることを指摘しています。また、大学改革を、持続と適応の調整作用として整理しています。

2 日本における大学改革の歴史的展望

大学の歴史的時点として、

  • 第1期:帝国大学の成立によって日本の大学の正統モデルが形成された時期
  • 第2期:大正の大学令の公布により大学制度の拡張の萌芽が始まった時期
  • 第3期:戦後の大学大衆化への制度化が強行された時期
  • 第4期:大衆化の進行過程で不適応現象を顕在化させ1960年代後半の大学危機を引き起こさせた時期

と整理している。

第1期 正統モデルの形成

森・井上文政期は、(略)大学側の抵抗を無視するか、帝国大学との協議なしに、文部大臣としての”政府主導型改革”が独断で強行されたのである。

この政府主導型の”上からの改革”方式にたいしては、大学内部からの抵抗や、自主的な改革提案がしばしば生じている。(略)結局は政府の受けいれるところとならず、現実をみないままに至っている。

第2期 大学制度拡張の萌芽

改革の主体として表面に登場してきたのは、社会的・国家的利害関係の調整や専門知識の吸収を図る集団的な合議機関である審議会であった。 

大正期の学制改革帝国大学にとっては”質的低下への脅威”として、私立大学にとっては”昇格への契機”として、自主改革・整備に強大なインパクトをもたらしたのであった。

第3期 大衆化への制度的強行

戦後の学制改革で第一に注目すべきことは、教育理念や目的の”完全な革命”にもかかわらず、改革実現の方法における日本的パターンは何ら変わっていないということである。

敗戦直後に大学の改革を主体的に求める動きが大学の内部からは例外的にしかみられず、むしろ大学の革新を要請する圧力は、ジャーナリズムや学生の声として生じていることである。(略)大学が抜本的な革新を迫られる時期において、なおかつ大学の内部からは率先した改革運動が生じなかったということは、大学の保守的体質を示すとともに、大学の自主的改革がまず外部からの衝撃によって触発されるという受動的な性格をもつことを物語るものであろう。

第4期 大学危機と改革ブーム

大学の内部において、このようなゆるやかな変化の漸次的な蓄積によって、徐々に自己変革がなされつつあるという事実は、大学改革パターンの一側面を示すものとして注目されなければならないであろう。

この時期で注目すべき点は、既成の大学制度や個別大学内部の改革が例外的にしか実現に結びつかなかったのにたいし、現行の制度や慣行を破る革新的試み(ルビ:イノベーション)が政府の主導(ルビ:イニシアテイヴ)によって強行されたことである。

 2.では、日本における大学の歴史を4期に分け、それぞれにおける大学改革の概況を記しています。特に、現在でも通ずる審議会行政が明治中期ごろから生じてきたこと、審議会の審議結果を官僚が勅令として権威付けすることにより制御されてきたこと、WW2後の変革期にあっても改革の構造は従前と大きく変化していないこと、大学紛争期に無数に作られた抜本的な改革案はほとんど実施に結びつかなかった一方でゆるやな変化は絶えず生じていたことなどが印象に残りました。

3 大学改革の形態と力学

 日本における大学改革について、以下の3つの形態を指摘している。

  1. ドラスティックな大学改革は、外圧と内部危機とが結合した時期に、急激かつ全面的な制度変革という形をとって生じている。
  2. それぞれの改革期において、大学改革を唱導し、改革構想を企画・立案し、さらにその実施を推進した直接的な主役は、日本の場合、学外者-とりわけ強大な行政権・財政権を背景とした国家権力であったと言わざるを得ない。
  3. 大規模な制度改革が遂行された場合をみると、直接的な改革主体たる行政官僚は、常に最高権威(略)を巧妙に活用して《上からの》権威づけを図るとともに、改革構想の立案にあたっては精巧な内面指導や操縦を行い、改革方向を国家目的に望ましい方向に誘導して、最終的には勅令や法律の形で短期間に一気に断行する、という方法をとっている。

日本における大学制度の変革は、外圧と内部的危機の結合という歴史的条件の下で、まず外部からの圧力として生じ、学外者のイニシアティヴによって遂行されるというパターンをたどってきた。この《外からの》圧力と《上からの》主導に対して、大学の反応は強硬な反対運動を組織して変革を阻止するか、抵抗に遅れをとって止むなく強行された新制度に組み入れられるという受身的な立場に立たされていたように思われる。

大学制度の改革実現の可能性にたいする大学の実行力の限界を、シェルスキーは大学自治の構造と教授団の体質に求めている。彼によれば、自治の原則はみずから自治思想を肥大化させ、自治の拡大・強化を求めるものであり、自治集団たる教授会は常に支配構造の中での安定性を求めるものであるから、大学自治と大学の根本的改革という課題とは矛盾する。

 3.では、シェルスキーやへファリンを引用しつつ、日本の大学改革の構造と力関係について論じています。大学の内部構造からは抜本的な改革が生じにくいこと、改革はまずは外圧から生じていること、1970年代以降は既存の制度に手を加えるのではなく新しい制度を創設していく「”部分革新型”改革パターン」が普及しつつあることなどを指摘しています。

4 自己変革の可能性と限界

大学の自己改革は、①改革に必要な精神的・物的資源(社会的支援と財源)、②改革を唱道する指導者の出現、③大学自身の開かれた構造という3つの条件が結合して場合にのみ、実現の可能性がある、とへファリンは指摘している。(略)日本の大学は、これら3つの条件をいずれもはなはだしく欠いていると言わざるをえない。(略)要するに日本の大学は、変革の動因である学外との関係において、著しく閉鎖的な構造をもっているのである。

このように大学の自己改革の試みは、大学と外部との関係において、さらに大学内部の構造から、実現の可能性が大きく制約されているのである。しかし、そのような限界にもかかわらず、個々の大学は(略)革新と改変を積み上げていく試みを行いつつあるのであり、(略)自己変革能力の存在を証明しつつあるのも事実である。

 4.では、大学改革の可能性と限界について、言及しています。様々な要因により、日本の大学改革が成就しにくい環境にあること、学内世論の合意形成による改革方式には限界があること、細かい自己変革は実行されつつあるものの急激かつ全面的な変革には対応しきれないことを指摘しています。

5 大衆化と大学改革

日本の大学改革の歴史は、着々と進行する高等教育の大衆化という新しい歴史的状況の変化にたいして、一方では自己の同一性を持続せしめながら、他方では環境への適応を図っていく自己調整努力の過程であった。

高等教育の大衆化はたんに量的な規模拡大をもたらすばかりではなく、高等教育の目的、機能、制度、構造のあらゆる側面に、いわば質的な変化をも生じさせるのである。大学が高等教育の大衆化に適応していくためには、たんに自己の規模の量的拡大にとどまらず、既存の自己を再検討し、更新していく改革が不可欠に要請される理由はここにある。

高等教育はもはや大学だけの独占物であることを止めて、大学と大学以外の機関が共存しつつ同等の立場で、国民全体に教育の機会を提供する、より多元的な構造のものになるだろう。

 5.では、大学の大衆化と大学改革との関係について、論じています。ここまでの論点を振り返りつつ、現行の大学制度に加えて大学とは異なる機能を果たす柔軟な高等教育制度が求められるようになると言及しています。

読むべき参考文献 

  1. 大学改革の理論と方法-日米比較の視点から,喜多村,レファレンス240-241号,1971
  2. 大学改革の動向に関する予備調査-改革案の数量的分析,喜多村,レファレンス245号,1971
  3. 大学の孤独と自由-ドイツの大学ならびにその改革の理念と形態,シェルスキー,未来社,1970
  4. Dynamics of Academic Reform; San Francisco,J.B.Lon Hefferlin,Jossey-Bass,1969
  5. 変革を迫られる大学制度-高等教育システム発展段階と適応,喜多村,季刊教育法12号,1974

所感

 本稿は、1970年代に書かれたものであり、現在の大学改革の状況にも当てはまる点はあるものの、以下の点については当時と現在の状況の違いを踏まえてさらに検討が必要ではないかと考えます。

論点1.改革の是非

 本稿は大学改革の構造について分析したものであり、改革の内容や成果、その是非については射程外であろうと思います。一方、現在では様々な範囲において大学改革が求められており、その内容や是非について詳細な判断が必要でしょう。

論点2.改革の理由

 本稿は大学の大衆化が進展する中で書かれたものであり、大衆化に対応していくことも踏まえ、大学改革の構造について論じています。一方、現在では国家財政の状況や少子高齢化などが大学改革の理由となっており、この差異をより検討しなければならないでしょう。特に、4.で言及されていた「改革に必要な精神的・物的資源(社会的支援と財源)」という点は、当時よりも乏しくなっている可能性があります。

論点3.大学教員の多様化と教員組織の変化

 本稿では、大学自治が根本的な大学改革の阻害要因になっていると論じています。一方、実務家教員の増加など、現在では当時よりも大学教員が多様化していることが想像できます。そのため、教員組織の変化と大学改革との関係については、一層の検討が必要でしょう。