「蜜蜂と遠雷」(著:恩田陸)を読んで

蜜蜂と遠雷 (幻冬舎単行本)

蜜蜂と遠雷 (幻冬舎単行本)

 

 第156回直木三十五賞と第14回本屋大賞を受賞した本作を読んだ。著者である恩田陸は言うまでもなく現代を生きる人気小説家の一人であり、私自身も「六番目の小夜子」「三月は深き紅の淵を」「ネバーランド」「麦の海に沈む果実」「ドミノ」「夜のピクニック」「ユージニア」などを読んできた。悪い言い方をすればジュブナイルに近いこともある作風ながらも、何か郷愁を感じさせるような世界観が魅力の一つだと思っている。本作のことも両賞受賞以前から知っていたが、私が苦手としているピアノ演奏に関する内容であったためなんとなく手が出なかった。先日来Kindle版の価格が低下していたこともあり、購入し読んでみたわけである。

 結論を言えば、素晴らしい作品だった。いや、その言葉だけでは足りないほどの感銘を受けた。止まることなく2時間で読み切った後-今までこんなことはなかったが-間髪入れずに再度冒頭から読み直した。この作品には音楽と喜びが溢れていると確信している。

 本作は、地方都市の国際ピアノコンクールを舞台とし、その挑戦者たちの内心の変化や演奏を中心として、一人一人の成長を描くものである。様々な天才たちやその周りの者が、音楽に真摯に取り組み演奏活動を通じて内心を再構成することで、過去に向き合い、未来を思い、次の一歩を踏み出していく。2週間にもわたるコンクールの過程における演奏描写は圧巻であり、演奏描写と心理描写、風景描写を執拗なほど繰り返していくことで、本作の世界観を構築している。

 私自身も音楽活動に取り組んでいたことがあり、その描写には過去の体感を思い出して涙が出てきた。身体をツルンと裏返して体内の感覚器官を全て外気に曝け出すようなあの感覚、一瞬が永遠となり永遠が一瞬となるようなあの感覚、音楽に没頭し自分自身が消えて無くなるようなあの感覚、悪寒にも似た身震いが全身を貫くあの感覚は忘れることができない。文字だけでそれを思い出すことができるとは、しばらく音楽活動を離れている私にとっては非常に驚きだった。以下の描写なども、コンサート前の静かな興奮をよく表現している。

ステージドアが開いた。
ぞろぞろとオーケストラの団員が、舞台に吸い込まれていく。客席の喝采が、さざなみのように伝わってくる。
ああ、音楽が満ちていく。
亜夜はそう感じた。
流れのように一人一人の音楽がステージに流れこんでいき、ひたひたとステージの上に満ちていく。
満々と湛えられた音楽を、あたしたちは世界に向かって流し出す。観客の心という河口をを目指して。
コンサートマスターがピアノでAの音を鳴らした。
オーボエから始まり、弦楽器が、木管が、金管が、Aを鳴らし、何かの小さなフレーズを弾く。
これから始まる音楽への予感が、期待が、いっぺんに膨れ上がる。
そして、静寂が来る。
抑えた緊張と興奮。
亜夜は目を閉じた。
静寂。沈黙。
世界の中心が、亜夜の額の真ん中に集まってきたと感じる。
(「熱狂の日」より)

 本作では、演奏描写のみではなく、作中の風景描写からも音楽を感じることができる。普通の小説では登場人物が前面に出てくるが、本作では演奏描写や風景描写が登場人物を包み込むように飛び出してくるように感じられた。だからこそ、作品に没頭できる世界観を作り出すことに成功しているのだろう。

 私自身も、とある演奏会にて演奏された水の精霊をモチーフとした楽曲のピアノ冒頭部F音連打に、水の満ち満ちた様子を感じ取ったことがある。ただ、このような感覚は録音ではなかなか味わい難く、やはり実演の場だからこそできたことなのだろう。その意味では、本作において演奏描写や風景描写から様々な内心を描くことは、ファンタジーなどではなく、逆にリアリティを持った描写となり得ているのではないかと思っている。

 本作を読んで、やはり音楽とは自己と向き合い、他者への意識や交流を通じ、より良い自己を表現していく営みであると強く感じた。多くの者にはその過程は辛く苦しくもあるが、同時にそれは喜びへの道でもある。

何かが上達する時というのは階段状だ。
ゆるやかに坂を上るように上達する、というのは有り得ない。
弾けども弾けども足踏みばかりで、ちっとも前に進まない時がある。これがもう限界なのかと絶望する時間がいつ果てるともなく続く。
しかし、ある日突然、次の段階に上がる瞬間がやってくる。
なぜか突然、今まで弾けなかったものが弾けていることに気付く。
それは、喩えようのない感激と驚きだ。
本当に、薄暗い森を抜けて、見晴らしのよい場所に立ったようだ。
ああ、そうだったのかと納得する瞬間。文字通り、新たな視野が開け、なぜ今まで分からなかったのだろうと上ってきた道を見下ろす瞬間。
(「謝肉祭」より)

 本作を読み終わった後に頭の中に鳴り響いている音楽、生命の歓喜と躍動、これこそが「蜜蜂と遠雷」なのだろう。