遠藤功著「現場論」を読んで その1

現場論: 「非凡な現場」をつくる論理と実践

現場論: 「非凡な現場」をつくる論理と実践

 

  遠藤功さんの上記書籍を読みました。現場にこだわりのある遠藤さんらしく、現場に着目し、企業の実例も交えつつ、どのように非凡な現場を構築していくべきかが書かれています。たくさんの示唆をいただいた気持ちです。以下、本書を読んで思うことを、様々引用しながら簡単に記します。

現場とは何か

 本書では、経営論的な視点で"現場"を

  1. 現場とは「これまで」と「これから」の間の「いま・ここ」である
  2. 現場は価値創造を実行するために存在する
  3. 現場は価値創造に必要な業務を日々遂行し、人材を育てる
  4. 現場には「可能性」と「リスク」の両方が存在する

と整理しています。現場と言う言葉にはそれ以外の存在(例えば「本部」「本社」など)との対立構造を含みがちであるため、私はあまり使用していません。この整理を見ると、現場とは顧客に対する価値を創造する場であると整理されているようです。この整理を大学に当てはめると、(学生を顧客と言うかはさておき)学生に対して価値を創造するような教育活動や学生支援活動の場がパッと思いつきますね。ただし、個人的には、現場以外の場がどのようなものか明確ではないため、この整理ではあらゆる場が現場に当てはまるのではないかと思ってしまいます。

 特に気になったのは、「刹那的な達成感」と言う言葉です。刹那的な達成感とは、

反復的な業務だけであればあまりにも単調で刺激に欠けるが、本来あってはならない「異常処理」という業務は、現場で働く人間にそれなりの達成感を与える。(略)「刹那的な達成感」は現場を思考停止に追い込む危険性を秘めている。本来なら、「異常」を「処理」するのではなく、「なくす」ことを考えなければならないのに、日常に追われ、「刹那的な達成感」に溺れ、いつの間にか現場を維持することが現場の主たる任務となってしまうのだ。

として、現場が抱える大きなリスクだとしています。これは全くその通りで、私自身も刹那的な達成感に陥っている部分があります。なんだかんだトラブル対応はリソースをそこに集中できるので結構好きなのですが、麻薬的になっていることを指摘された気持ちです。問題が発生しないような仕組みを考えていかなければならないということだと理解しました。

現場力とは何か

「戦略の実行」と一言で片付けているが、それは簡単に説明できるものではない。戦略を実行するには、必要な施策を機能ごとに落とし込み(機能設計)、それぞれの機能を担う部門・部署(つまり現場)ごとに業務を分解し(業務設計)、現場が日々定められた業務を遂行することが必要だ。

 戦略策定と戦略実行は大きく異なる概念であり、戦略実行の難しさを説いています。そして、この戦略を実行する組織能力を現場力と呼んでいます。ここから、経営という戦略策定と現場力を要にした戦略実行が共に満たされたとき、企業のより良い価値創造や競争力が発揮されるものだと理解しました。

 この現場力について、3つの能力で重層的に構成されていると整理されています。

  1. 保つ能力(capability to maintain)
  2. よりよくする能力(capability to improve
  3. 新しいものを生み出す能力(capability to innovate)

 また、これらの能力の関係性は、以下の図のように整理されています。

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  ここで大切なことは、「保つ能力」が全ての基盤であり、かつ、現場力が進化し上位能力に移行したとしてもその下層の能力は確立され続けなければならないということです。つまり、まずは職場として「保つ能力」の確立を目指す必要があるということですね。

 以前の記事(大学事務職員は誰にでもできる仕事です。 - 大学職員の書き散らかしBLOG)では仕事を処理するなら誰でもできると書きましたが、これは「保つ能力」の最も初歩的な部分だと推測できますね。この部分で立ち止まるのではなく、上記図のように能力を向上させていくことが大切だと思っています。

 それでは、これら3つの能力の内容を確認しましょう。

保つ能力について

 保つ能力とは、

どの企業にも不可欠な基盤能力である。(略)「価値創造」のために決められた仕事を決められたように確実に遂行する。(略)私はこれを「保つ能力」と呼んでいる。 

とあります。また、常に晒されている大きな変化の中で現場を保つことは容易ではないとし、マニュアル等の標準化を徹底することがとても大切であるとしています。さらに、

生産性の低い現場には「しか」がじつに多い。「私しかできない」「彼にしか任せられない」「これしかやらない」など、仕事が属人化し、放置されたママになっている。標準化がまったく進んでいないのだ。一方、生産性の高い現場では「でも」が多い。「誰でもできる」「新人でもこなせる」など、標準化が確立され、誰にとっても「当たり前」になっている。

とあります。これは、弊BLOGでも度々言及してきた、「自分にしかできないこと」から「みんなにもできること」への転換と同義であると理解しました。

 全ての定型業務でこのような標準化を進めることはかなり大変だと思うのですが、それがまず以っての初まりであるということでしょう。なお、この場合の標準化とは、標準作業・標準コスト・標準納期など業務遂行に必要なものであり、確実な業務遂行が実現できるものを指します。この意味では、大学という現場はまだ始まりの場所にすら立っていないのかもしれません。

よりよくする能力について

 よりよくする能力とは、

この改善能力こそ、現場力という組織能力の中核にほかならない。(略)「改善」によって生まれる差異は、ひとつずつを見れば「微差」である。しかし、競争という視点で見れば、「微差」は決定的な差になりえる。(略)「よりよくする能力」とは「微差力」である。現場が「微差」にこだわり、自らの知恵や創意工夫によって「微差」を積み重ねていく。(略)「よりよくする能力」を正確に記せば、「よりよくしつづける能力」になる。その継続性にこそ価値と差別性があるのだ。

と整理されています。このような改善による微差を持久力を持って生み出し続けていくことが大切なのでしょう。

 特に気になったのは、この改善には2種類あるという点です。

「保つ」ための改善は、標準を保つことができずに発生したギャップ(=問題)に対処するためのものだ。ここでの改善は、あくまでも標準を保つためのものである。それに対し、「よりよくする」ための改善は、標準を超えるより高い目標を実現するための問題を自ら設定し、ギャップを生み出すところから始めなければならない。(略)真に価値をや噛めるとは、品質やサービスを維持(もしくは向上)したうえでコストを下げることだ。こうした二律背反という難易度の高い問題に挑戦し、解決することこそが「よりよくする能力」の本質である。

 改善には「発生型問題解決」と「設定型問題解決」の2週類があり、「設定型問題解決」こそが「よりよくする能力」であるとしています。「発生型問題解決」は対処であるということでしょう。

 思い返してみると、職場で行う業務改善は大抵が「発生型問題解決」であり、本質的な問題解決には到達していないことがあったと感じています。業務改善の対象範囲などにもよるでしょうが、本質に迫るという点は非常に課題であると思っています。

新しいものを生み出す能力について

 新しいものを生み出す能力とは、

日々の業務を遂行しながら、全く新しい価値を生み出す革新的な取り組みも行なっている。これを「新しいものを生む出す能力」と呼ぶ。(略)現場が現状に満足せず、未来を切り拓く気概さえもてば、現場発のイノベーションを生み出すことは十分に可能である。

としています。ヤマト運輸加茂水族館の事例紹介では、組織的に現場から新たな取り組みを行なっていることが示されています。また、無秩序に新たな取り組みを行うのではなく、標準化などで規律を確保したうえで現場の自由や裁量権を高めることが重要であるとしています。

 ここまでいくと、なかなか今の職場ではイメージし難いところです。ただ、そのような芽が全くないということではなく、いくつかネタのようなものは想像しています。最近の私のトレンドとしては、業務の受益者の利益を高めつつ自己収入を高めるにはどうしたら良いかをよく考えていますね。大学職員として新たな価値創造に取り組める可能性は、実は色々とあるのではないかと思っています。

 長くなりましたので、一旦ここで終わります。組織力を組織にどのように定着させるかは、次回にお話ししますね。