大学職員の学びとは手持ちのカードを増やすことである。

 「IDE現代の高等教育」を読んでいると、読売新聞の松本さんのコラムにて「大学職員の集まる場において勉強が役立っているかを聞いたところうまく答えてもらえなかった」的な文章がありました。おそらく、大学行政管理学会定期総会・研究集会でのことでしょう。私は当該会合に出席してませんので実際にどのようなやりとりだったのかはわかりませんが、他BLOGでの記事を見ると本当にそんな感じだったのかもしれません。

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 私個人としては、もし「勉強したことが業務で役立った事例を教えてください」と聞かれても事例をいくつか挙げて答えられるように、学んだこと、経験したことと業務との関係を整理しているつもりです。ただ、改めて考えてみると、学んだこと、経験したことが直接業務に役に立っているということは、学んだこと・経験したことの一部が今の業務あるいは過去の業務の一部に役立っている、下図のような状態になっています。

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 これって、ある意味ですごく効率が悪いとも言えますね。もしかしたら、この非効率性も、大学職員の学びを巡る言説の中でいろいろと批判される一因でもあるかなと思っています。

 ただ、このように業務に直結していない(しなかった)学びや経験が全く無駄で霧散するわけでもないと思っています。直接スキルの向上に繋がらずともメンタルを刺激して職業人として良い方向へ進ませるものもあるでしょうし、今の業務と関係ないスキル向上であっても人事異動等により関連部署に就く可能性もあります。

 私の経験則では、学んだことや経験したことが目論見通りに役立ったというよりも、いろいろと業務で試行錯誤しているうち学んだことや経験したことに類似する状況になって結果として役立てることができた、という方が多いなと感じています。つまり、学びとは手持ちのカードを増やすことであり、学びが役に立つとは様々な状況で適切なカードを切れるということです。

 誰のために何のためにどのような成果のためにという状況に応じて、どのようなカードを切るべきか変わってきます。多様な状況に対応できるためには多様なカードをそろえた方がよく、また、そのカードは一度切ってもなくなるとは限りません。誰かに貢献できる業務をするためにも、自分自身のカードは増やしておきたいなと思っています。逆に言えば、適切なカードが切れなければ、つまり、自分自身で選択や行動ができなければならないとも感じていますね。