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大学のビジョンは職員には関係ない・・・のか

 前回のエントリーはいい感じでメンタルの闇落ち感が出てましたね。読み返すとひどいもんですがエントリー消しは負けだと思うのでそのままで。

東京大学ビジョン2020 | 東京大学

この東京大学の機能転換の理念と具体的方針を、このたび「東京大学ビジョン2020」としてお示しすることとしました。私が目指す東京大学の新たな姿を全学で共有し、全学の総力を結集して改革を力強く進めていく所存です。また、アクションについては、状況変化や各界からのご意見を踏まえ、適宜更新していく予定です。本ビジョンに基づく東京大学の取組に、各界の皆様のご理解とご支援をいただきますようお願い申し上げます。

 最近ではビジョンを掲げる国立大学法人も増えてきました。教職員はそのビジョンを実現するために頑張りましょうということなのでしょう。職員に対してもビジョンを実現するための働きが期待されているでしょうし、実際それは前提条件(建前)として使いやすいので、職員研修の趣旨や目的にも用いられることもあります。管理職と話をしていても「学長のビジョンを実現できる、実現に資する職員にならなければならない」とはよく聞きます。そう言われるのもわかるところがある一方、それを聞いて職員が動くかどうかは結構厳しいよなとも思います。

 基本的には大学が掲げるビジョンとは大学が行う教育研究等活動の将来像を示すものであり、ごく一部に管理運営のこと(運営体制や人事制度、給与制度など)が記されています。それは大学が教育研究機関である以上当然なのですが、同時に将来ビジョンには職員が直接行えることはほとんど記されていないことになります。将来ビジョンに「国際的な教育研究活動を行う」と記されていても、職員が国際的な教育研究活動を行うわけではありません(やれるんならやっても良いと思いますが)。

 じゃあ職員は何をするのかというとそれら教育研究等活動の支援ということになりますが、「国際的な教育活動を行うことを支援するために、他大学の状況を調べて、教員への企画をして、異文化コミュニケーション能力を身につけて、・・・」というのは、なんというか将来ビジョンそのものに対し射程が遠すぎる気がします。ビジョンとは本来「姿・像・イメージ」であるわけですが、大学の将来ビジョンに職員としてのあり方や働き方の将来イメージが存在しないため、教育研究等活動と現状ベースの職員の活動の間を無理やり埋めている感じがしますね。だからこそ、将来ビジョンだけ示されても職員がどう行動するのか適切に判断するのは難しいと考えます。

 大学の将来ビジョンが教育研究活動中心に記載されるのは当然ですし、職員がその実現に貢献するのも当たり前の話です。個人的には「このビジョンに着いて来れる者は着いて来い」というハード・サバイバルな感じも嫌いではありません。一部の職員には、想像以上の働きをする者もいるでしょう。ただ、通常自分が直接行えないようなビジョンを示されてそれを自分のこととして捉えられる職員は少ないと考える方が無難でしょうし、それを前提として職員全体のマネジメントの成功確率を高めることこそが組織的な取組なのだろうと思います。

 まずは大学の将来ビジョンと現状の職員の間をつなぐ職員の将来像を考えさせることも一例でしょうし、職員個人としてやりたいことを明確化させてから大学の将来ビジョンとの関連性を考えさせるのも想像できます。何にせよ、職員は直接教育研究活動を行わないという前提でないと、何ができるのか何をやっていいのか何をやりたいのかわからなくなるのではないでしょうか。

 大学職員業界(この言葉もあまり好きではありませんが)を巡る言説の中には、うまく表現できませんが何となく「大学職員の全能性」みたいなものを感じる時があります。考えすぎなのかもしれませんが、これってちょっと違和感があります。職員が何でもできるようになれば大学として何かを成せるようになるのかというのは、よくわかりません。個人的には、やっぱり職員の仕事には一定の枠がありその枠を少しづつ(本当に少しづつ)広めていくことが大切だと思っています。これは従前から弊BLOGで言っている他構成員との信頼関係のもとに働き方を開拓していくということです。

 そもそも、「職員が職員が」ということ自体がナンセンスなのか、「大学職員論」が「大学職員論」として成立するためには何が必要なのか、「大学職員」とは一体どのような存在なのか、考えはなかなかまとまりません。