Global Debate WISDOM「大学改革 グローバル競争は何をもたらすか」を見ました。(前編)

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グローバル化への対応を迫られている世界の大学。国際競争は大学に何をもたらすのか。誰もが質の高い教育を受けられるために何が求められているのか。大学改革のあり方について、世界のウィズダムが議論する。

 9月27日に放送されたGlobal Debate WISDOM「大学改革 グローバル競争は何をもたらすか」を見ました。大学のグローバル化に関する国外有識者の意見はなかなか聞けないので、興味深かったです。ただ、出演した各者の本国でのポジションやスタンスがわからなかったため、そのまま真に受けるというよりは一意見として拝見したところです。私が理解できた範囲において、コメンテーターの発言内容の一部を2回に分けて記します。なお、出演者についてはNHKのウェブページをご確認ください。

大学ランキングについて

(ピーターサム)大学ランキングは英語圏を対象としており、バイアスがかかっている。

(デレジウィッツ)ランキング上位にあることは大学にとって重要かもしれないが、個人的にはそれで重要なことが計れるとは思っていない。特に、学部教育のレベルについては適切に計ることができていない。学生と教員の比率だけでは良い教育をできているかという尺度にはならない。ランキングにより受験生や投資家に歪曲的な情報を提供してしまう。大学のランキングはあまり多くのことを告げてはくれない。

(ボレール)基準は何かということが問題である。評価の基準は文化や知と対立するものであり、知が商品として扱われている印象がある。しかし、文化や知は商品ではなく、数値で表すことができない。ランキングはアメリカ的なものである。

(パキール)ランキング業者はランキングにより一つの判断を提供しようとしているが、評価方法によってどのように評価しているのかが変わってくる。最近ではQSランキングの評価方法が変わった。ランキングは決して完璧なものではなく、評価方法を分析して特定の状況の中での立場を認識できれば良い。

(城)優秀な留学生を確保する競争においてランキングは一定程度の役割を果たしており、ランキングの順位を上げていくことは戦略的に正しい。

(吉田)ランキングは多様な指標に重み付けをして算出しており、数値で計れることしか見ていない。質を考慮しておらず、順位の数値が一人歩きしてしまう。SGU創生支援事業においても、現場では目的と手段の逆転が生じており、量的な確保が目的になっている状況について懸念している。

英語による授業の拡大について

(ボレール)フランスでは、英語による授業の拡大に反対するデモが起こっている。英語を広めるということは悲劇的なことになっている。英語は正確性が足りない言語である。アメリカの人たちはマーケティングを基本としており、英語を支配的にしようとする動きにより、様々な文化や言語を消滅させようとしている。大学とは知識の殿堂であり、知識は商品ではない。

(パキール多民族国家では共通言語・作業言語としての英語が重要であるが、シンガポールでは英語だけではなく他の言語も公用語になっている。シンガポールは小国であり、世界とコミュニケーションをとる際に英語が重要になってくる。21世紀の変化はグローバルに接続された社会が原因であり、グローバルな職場ではコミュニケーション手段としての英語が主流になっている。

(デレジウィッツ)英語は共通グローバル言語であるが、これは歴史的に見れば今たまたまそうであるに過ぎない。本質的に考えると、教育が何のためにあるのかということが問題である。高等教育は経済や技術の発展のためのみに行われるわけではない。アメリカ経済が最もイノベーティブであるため、英語が支配的なのである。なぜアメリカ経済が最もイノベーティブであるのかといえば、科学技術のみを学生に教育しているわけではないからだと考える。人文社会科学系に力を入れているからこそ、クリエイティブな力を持つ学生を輩出できている。理工系しか教えないということになれば、世界中の社会は破滅する。

(ピーターサム)英語がずっと主言語であるわけではなく、すべての授業を英語で行えば良いとは思わない。英語は非常に強力な言葉であるが、多言語主義やリベラルアーツが無視されてはならない。時代が変わってもリベラルアーツの重要性は変わらない。だからこそリベラルアーツの大学が必要である。

理数系(STEM)教育やリベラルアーツについて

(吉田)アメリカと同様に、日本でも良い就職が目指せるところに学生は集まりやすく、国としてもイノベーションが起こせるような科学技術系に資金が投入される傾向にある。日本は近代化が遅れた国であり、キャッチアップのための理工系重視というのは長らくとられてきた政策である。しかし、多様な知識の基盤、原理的な知識は社会での実践知になるため、リベラルアーツのような分野の教育は重要であると考える。

(デレジウィッツ)アメリカにおいて理工系に学生が集中するのはひどい傾向だと思うが、これは大学に行くのは良い仕事を得るためだと教えられてきたためであり、わからないわけではない。大学とは生涯のための学術を身につける場所であり、卒業直後では文系と理系で就職口の格差はあるかもしれないが、10年も経つとその格差はなくなる。人文系で受けた教育は生涯有効である。経済のためだけに大学があるわけではなく、大学とは良い市民になるために教育を行うところである。教育があまりに狭くなってきており、基礎科学も勉強されなくなっている。実用的なことしか勉強されなくなっており、非常に危険だと考えている。

(パキール)リベラルアーツ教育は素晴らしい教育であり、世界と関与する力を養ってくれる。良い大学からの卒業生を求めるのであれば潜在的なグローバル市民になれるということを見ていかなければならず、それこそが複雑な人間社会で重要である。批判的思考力や学際的なものの見方こそが大学で学生が学ぶべき手段であるが、高等教育においてはSTEM科目もまた重要である。21世紀においては、大学はますますバランスをとる方法を考えなければならない。研究とイノベーション、STEM科目と併せて、文学や歴史、政治学なども十分な理解を持たなければならない。

(ピーターサム)最近の新卒者にとっては就職が難しくなっており、だからこそ教育の投資利益率に注目が高まっている。ただ、振り子はいずれ逆方向に向くだろうと思う。STEM教育について、人文科学と同じように生涯のために勉強すべきである。また、人文科学系の学生においても、STEM教育のような研究やコミュニケーション能力は必要である。STEM教育を経た者がキャリアの面において成功していることも見逃せない。

(ボレール)現実がどうなるかは誰にもわかららず、我々は今はアングロサクソン自由主義の時代というシステムの中にいる。このシステムでは知を商品にするというイデオロギーがあり、大学の民営化や理工系の研究を進めるということになる。これは、一部の文化が支配的になることで他の文化を消滅させてしまうことになり、非常に危険であると考える。

(城)大学が輩出すべき人材がどうであるかということは、突き詰めれば社会自身にゆだねるべきだと考える。リベラルアーツは重要だがそれをすべての大学に当てはめてしまっているという面が日本にはあり、STEMをやりたい人が行く大学やリベラルアーツをやりたい人が行く大学など、自由化をして一定の再編をやるべきだと思う。

(吉田)今の日本は大学改革ありきで進んでしまっており、大学自身が自らの姿がどうあるべきかと考える余裕を失っていることが一番の問題である。大学が自主的に考えるような余裕、時間的な基盤が必要である。

(後編に続く)