高等教育シンポジウム2015「今問いなおす、高等教育システム-職業教育と大学、求められる人材像-」に参加してきました。

 高等教育シンポジウム2015「今問いなおす、高等教育システム-職業教育と大学、求められる人材像-」に参加してきました。一時期G型L型で世間を騒がした冨山さんの話が聞けるということでかなり楽しみにして行ったのですが、予想通り色々と考える観点をいただきました。

 冨山さんが言いたいのは、G型L型に大学を分類という単純な話ではなく、大学教員は教育者として自律性があるのか、学生の人生に責任を持てるような教育活動ができているのかという話だったと理解しました。ただ、盛んに言われていたダブルスクールに関する統計が明らかではなく、どのようなデータがあるのか不明である点は気になりました。一般社団法人日本私立大学連盟が2011年に刊行した学生生活白書2011では、

学外の講座・各種学校ダブルスクール)に通う学生は7.8%で、前回から1.6ポイント減少した。受講率は前々回から減少傾向にある。(P13)

とあり、古いデータながら言説とは若干齟齬があるようにも感じられます。また、基本的には教育活動と研究活動を分けて捉えられているのだろうなという印象を持ちました。おそらく、ここで言われた教育活動についても、基本的には学部教育のことなんだろうと思います。大学院教育については、またそれはそれでということなんでしょう。

 金子先生は、職業が多様化した現状でニーズ自体も多様化し非常に把握しにくくなっていることを指摘し、従来の学部型ではなく多数の教育プログラムを内包した組織体を提案されていました。これは一時期話題になった教育組織と教員組織の分離であると推測しますが、社会的ニーズに合わせて組織を変えずに教育プログラムを変更するということが現状の設置基準でどこまで可能なのかという点が疑問として残りました。また、教養とは古典と向き合い自己を形成することである、という忘れかけていたことを思い出させてもらえたのは良かったです。

 それにしても、この内容で高等教育局ではなく生涯学習政策局の方が出てくるのは、ちょっとかわいそうだなと感じました。あと、島田千葉商科大学学長の威勢の良さは非常に印象に残りました。

 以下に、シンポジウムでの発言を記します。なお、あくまで私が理解できた部分を一部のみ掲載していることに留意ください。

高等教育シンポジウム2015「今問いなおす、高等教育システム-職業教育と大学、求められる人材像-」

日時:平成27年7月3日(金)13:00〜17:00

会場:浜離宮朝日ホール小ホール(東京都中央区

第一部:審議まとめ「実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関のあり方について」が目指すところ(大谷 文部科学省生涯学習政策局参事官)

  • 高等教育の多様化の必要性は従来から指摘されているところである。人材需要への応答として、質の高い職業人要請を量的に拡大することが求められている。企業における職業訓練の機会も減少している。既存の学校種の取り組みでは不足しているのではないかと声もある。
  • 現在では学部卒業学生の7割程度が就職する状況にある。そのような実態を認識した上で、さらに新しい高等教育機関には社会人の学び直しの視点も必要であると考える。地方創生という話もあり、地域産業が担える職業人材を地元で育成していく必要があるという認識。
  • 既存の学校種は新たな社会のニーズに応えきれていないのではないか。既存の学校制度の仕組みでできるという声や既存の仕組みではできないという声の両方あることを認識してた上で、有識者会議では新たな高等教育機関の設立について提言をいただいた。
  • 既存の大学と肩を並べられる産業界と連携した新たな教育機関を創設するという提言であり、教員の資格等は新設した方が良いという意見をいただいている。質の担保ができる仕組みも必要という提言内容。新たな機関は大学体系のなかに位置付けることを基本とするという提言をいただいた。
  • 質の高い専門職業人要請を行う機関であり、専門教育とその基盤となる教養教育にわたって体系的な教育課程を構築する。教育課程編成に産業界の一定の参画を期待されており、PBLやインターンシップなどを積極的に取り入れるべきであり、卒業要件は既存の大学短大と同様の水準とすることが想定されている。
  • 新卒者と社会人がともに入学でき、2〜4年という修業年限を想定している。国際的な通用性の担保のため、学士や短期大学士に相当する学位授与の提案があった。
  • 教育に重点を置くことになるため、教員には研究に多くのエフォートを求めないという想定。既存の機関の教員数を考えて、教員定数等の検討を進めていく。少人数の教員による学部学科を設置できるようにする必要もあるという認識。実務家教員も一定割合必要である。ただし、研究者教員も一定程度確保が必要。
  • 施設設備について、特に校地校舎面積や立地については、社会の必要性を考慮して今後検討する。
  • 質の保証の確保が最も重要視されている。設置認可は大学や短大と同じく文部科学大臣が行うことを想定している。自己点検・評価以外の第三者評価が重要であり、分野別評価を実施することも考えている。
  • 公的な助成について、設置基準にふさわしい助成基準が必要だが、それと併せて財源の確保も必要だという認識。質の保証に対するインセンティブも必要である。名前は今後検討していく。
  • 制度として分野の制限は行わない方針。設置基準の検討の中で整理していく。
  • 卒業生が社会に出た場合に産業界から適切な評価を得られるように配慮し、産業界にも協力を求めていく。
  • 来年の夏前くらいには中央教育審議会の最終的な結論を得られると考えている。

第二部:基調講演1「G型、L型の先に-あるべき大学教育の姿-」(冨山 株式会社経営共創基盤代表取締役CEO)

  • G型L型大学については、「あれかこれか」という話になってはマズく大学自身がもっと進化すべきではないかという思いがあり、有識者会議で話をだした。いわゆるトップ校ではなく、専門技能型の大学で教育をした方が学生の反応が良いという経験もある。
  • 大学が大衆化する中で、学生は長い時間と高い授業料を払って大学に来ているが、ダブルスクールをしている学生も多い。それで良いのか。私自身は今のままで良いとは全く思っていない。
  • 高等教育全体の議論としてG型L型の話をだしたら炎上した。PhDを持っている教員に職業教育をやらせるのはけしからんという声もあるが、それは職業教育を行っている者に対し全くの冒涜である。すぐに役に立つものはすぐに役に立たなくなるという話もあるが、例えば簿記会計はこれまでもこれからも役に立つ。自分の頭で考えるのが教養教育であれば、職業教育や実学これこそが教養である。すぐに役に立つものはすぐに役に立たなくなるという具体的な例はなんなのか。大学教員らしき人からいろいろ批判的な反応をもらったが、一つもびっくりする反応はなく、残念だった。
  • 実学はもっとしっかりやった方がよく、実学的な教育をやっている大学のほうが企業からも評判が良い。大学進学率が5割を超えており、その現実をどう考えるのか。大衆化した大学に合った議論が必要である。
  • 就労者の8割は中堅企業や中小企業にてサービス産業に従事していることが現実であり、これは先進国にほぼ共通の状況である。このようなジョブ型の職業は比較的流動性が高く、企業横断的なスキルを持っていることが求められる。このような状況で企業での従業員教育はなかなか困難であり、学校体系が向き合わなければならない問題だと考える。
  • G型が上でL型が下という考えではない。G型の方が格上であり大学の序列化につながるという意見は「みんなでいつかは東京へ」という価値観が垣間見れ、ナンセンスである。ダブルスクールに通わなければならない現実のほうが格差固定につながるという認識である。だったら、ダブルスクールでの対応ではなく、その内容を学校でやれば良い。ダブルスクールが横行している現実を大学関係者はもっと考えたほうが良い。
  • 企業側は受験時の偏差値を見ており、大学で学んだことを見ているわけではない。大学名でセレクションし、面接で変なやつでないか確認している。現状はどうしてもそのようになってしまう。一方で、このような現状を鑑み、実学に対応して伸びている大学もある。
  • 実学を学んできた学生は教養がある。彼らは生きていることに対して真摯であり、中途半端に東大を出た学生よりもよっぽど教養がある。今の息子たちが受けている教育は、私が受けていた教育とほとんど変わっていない。
  • 「すぐに役に立つものはすぐに役に立たなくなる」ということは本当か。簿記会計や外国語やプログラミング言語など、基本となる部分はそんなに変わるものではない。ものを考えるとは最初に言葉ありきであり、答えのある問題に正確に答えを出せるようにならないと答えのない問題に答えを出せない。実学的な基礎技能は教養中の教養であり、それぞれの分野における基礎言語の役割を果たしている。
  • オックスフォードのPPEのような授業はどれだけの日本の大学でできるのか。学生数は多すぎないか、教員数は足りているのか。教養とは社会での共通の分別であると考えると、それを教えられる教員はいるのか。
  • 私自身のコンサルタントの仕事で言うと、経営再建が必要な旅館で誰をリストラするのかを判断することに必要なことこそが教養である。大学で学ぶより、街に出てシビアな体験をしたほうがよっぽど教養が身につく。現実社会で直面する答えのない問いとは、限りなくシビアなものである。シビアな現実問題は、すべて論理性で割り切れず、価値判断の勝負になる。その価値判断に必要になるのが、教養である。グローバルリーダー教育を行う際は、海外の軍人上がりのPhDと戦うことになる。
  • 東大の法学部でも、法解釈ばかりではなく、もっとちゃんと世界に通用する法哲学や法社会学をやれば良い。中途半端なアカデミアだからこそ学生は行かず、進学振り分けで定員割れを生じる。法曹を年1500名しか養成しない国なのに法学部定員は4万人であり、明らかにおかしい。大半の人文社会系はもっと実学をやるべきである。企業は即戦力を求めているわけではなく、基礎言語となることをしっかりと時間をかけてやってほしいと思っている。そうすれば、OJTが有効になってくる。今後はツインピークスにすべきである。この二つの山の高さには差がない。
  • L型G型の軸とアカデミック型プロフェッショナル型の軸の4象限で考えてみると、社会のニーズとして大半の大学はL型プロフェッショナル型であり、一部のG型アカデミック型はハーバードを倒すくらい本気でやってほしい。地方の人材は空洞化しており、地域社会のニーズとしてもL型プロフェッショナル型が必要。人文社会系学者はどう変えれば良いのかということを語るべきである。今のままで良いということは絶対にありえない。
  • 学生の幸福な人生に大学はどのように貢献できるのか。生きていくためにはそこそこの経済力は必要であり、現実の社会で霞を食べて生きていくことはできない。学生に生きていくための術を教えられているのか。また、大学教員の現実レベルと「メシの種」はどう確保するのか。職業教育を教えられない教員ばかりだから反発されたのではないか。それならば、これから大学教員が実学を学び、教えられるようになれば良いのではないか。日本の将来のためにも大学教員は自己改革が必要である。いつ役に立たつかわからないことのために、そんなにたくさんの教員を食わせていくわけにはいかない。
  • リベラルアーツをやるのであれば、本気でやってほしい。ただし、今の学生すべてにリベラルアーツを授けるのは不可能である。繰り返しになるが、学生がダブルスクールしなくとも良いようにしたい。

第二部:基調講演2「高等教育における職業教育のあり方」(金子 筑波大学特命教授)

  • 職業教育機関を新たに設けるというのは半世紀以来の大改革である。大学とはもともと医師や法曹など高度専門職の養成機関であった。その後、リベラルアーツ教育が英米の富裕層対象とした行われ、研究と教育が同根のものであるとしたベルリン大学が設立された。19世紀後半には新しい産業分野の発達と大学教育との関係性が整理されるとともに、第2次大戦後組織が拡大に伴いホワイトカラーが増加しそこへ大卒人材が供給されることになった。このような背景もあり、個別技能と教育との関係性が対応しなくなってきた。
  • ヨーロッパ型の複線モデルとアメリカ型の単線モデルがある。ヨーロッパ型では職業中等学校のあとに多様な種類の中等後教育を行うこと、アメリカ型ではコミュニティカレッジが存在することに特徴がある。
  • 現在の様子をみると、ヨーロッパでは大学が多機能化・多様化し、アメリカでは営利大学で職業教育が行われるようになった。アメリカではIT利用を用いたブレンデッドコースもある。全体的に制度は単純化しているが、機能は多様化している。労働者に求められる技能が多様化しているためだろうと考える。
  • 日本においては、高度成長期に大学が大衆化し、企業の組織的な拡大に対応してきた。これにより、結果として、日本の企業の特質と日本の大学の特質とがかなり対応することになった。組織内の可塑性や学習能力などが重視されるとともに有名大学卒業者が好まれ、つまり組織を支える人としての素質が求められた。結果として生じた問題は、個人に帰属する専門知識や技能が評価されないことである。大卒賃金は年齢や従業員規模で規定され、専門的知識や考えは賃金に影響をあまり与えていないことが調査で判明した。
  • 採用時も大括りであり、専門知識や技能は問われないのが現状である。調査によれば、専門職に就くのは心理系や教育系など一割程度である。しかし、特定の技能ができるからその職へ就ているという単技能労働力への需要は、決して多くない。一見、専門学校卒の就職者はこのような単技能労働力として就職していると思うが、それは免許が必要な医療等ごく一部に限られている。専門学校卒の割合で見ると工業や実務英語など実務的な部分で就職している者は同年代比で2%程度であり、技能別に就職できている者の割合は非常に少ない。
  • 大学の収容力の拡大と高卒の雇用機会の減少により、大学入学者が増えたと考えられる。よくある話として「大学進学者が多い」と言われるが、現状では大学に行けなくなった者は就職もできないことになる。大学に無気力に進学してきた者に意欲を持たせることも、現実的には大学の大切な仕事となっている。
  • 21世紀になってサービス業が急増したが、その内容は多様になり、何が必要をされているのかがよくわからない状況にある。同時に、大卒の雇用形態が多様化しており、いわゆる一括採用は同年代の6割程度、年収200万以下の者や無職の者なども一定程度いる。低位雇用者(低賃金、無業)は同年代の2割近いが、このような者の状況は研究者も大学も状況を把握できていない。
  • 新卒人材に対する企業からの評価を調査すると「人格的な成熟度」についての評価が一番低い。大卒労働者がの考える大学のあり方を聞くと「専門の基礎となる知識や考え方を着実に身につけさせる」という大学のあり方に最も重要度が高い。ここから、大学ではなんらか考え方の軸を身につけることが必要であると考える者が多いと推測できる。
  • 役に立つ役に立たないではなく、その中にはたくさんの構造があると考えたほうが良い。知識・能力は重層的であり、職業専門知識技能や理論的知識・理解などの中で特に自己認識や統合が大切だと考えており、これらが相互に補完しあう関係が重要であると考える。
  • 大学教育と知識・能力との関係も単一ではない。もともとリベラルアーツとは古典との格闘であり、古典と向き合うことで自己を成長させる方法である。職業知識を通じて理論に興味を持ち自己形成することも考えられるが、職業自体が多様化しているため、多様なアプローチが必要である。教養と専門を統合して人格形成することは、必ずしも高偏差値大学だけが成功してきたわけではない。その意味では、日本の大学は密度の高い挑戦をしてこなかったのではないかと思う。
  • 4年制の新職業教育大学が必要なのか。4年制の場合、ニードを顕在化できないことや単技能労働力へのニード不足、具体的な知識にまだ興味が持てない学生が多いことなどから、あまり賛成できない。制度の多様化と機能の多様化は別である。
  • 大学において職業教育を行える条件を考えてみる。学部による縦割りは非常に日本的な組織であり、社会的な要求に応えられない。学部的な組織があったとしても、その中に教育プログラムを内包すべきである。経営・ガバナンスについても、従来の一律型から社会的なニードに対応できるタイプに転換すべきではないか。新しく作られる教育ニードは非常に多様であり、かなり難しい課題である。大学制度も、従来の大学設置基準準拠から重層的な質保証や前向きな競争メカニズムの導入が必要ではないか。
  • 「機能は多様に、制度は単純に」すべきである。社会人に向けての教育機会の拡充ももっと検討しないといけない。

第三部:プレゼンテーション1「大学における職業人教育の実際-千葉商科大学の経験-」(島田 千葉商科大学学長)

  • 学生を見ていると、講義や大学外活動などを活発に行っており、またその活動内容を後輩を教えていることでアクティブラーニングが実践できていると考えている。8年前に新たにサービス創造学部を設立し、新たなアドミッション方法の実践や企業と連携したサービスの体系化を行った。そうすれば、学生は成長する。
  • 時代は変わり、高齢化や地域空洞化などにより、日本には持続可能性がない。我々が知恵と力でなんとか健康づくりや街づくり、中身の良い介護を推進していきたいと思っており、教育活動を進めている。
  • 今年は国際教養学部を作ったが、G型L型で分けるとなるとこれはG型だと考えている。中国の企業現場で喧嘩できる人材を育てている。アジア圏で儲けられる学生を育てたい。
  • 学問領域の多様化、採用基準の多様化、カリキュラムの多様化が必要であり、これらを国へ要求したい。

第三部:プレゼンテーション2「大学と専門学校の特徴を生かした教育-片柳学園における複線化教育-」(千葉 学校法人片柳学園副理事長)

  • 本法人においては、大学では実習25%座学75%、専門学校では実習50%座学50%であり、教育プロセスは異なる。専門学校では資格取得も推進している。
  • 大学と専門学校では、家庭の年収の状況に違いがある。学費の関係で大学に通えない者が専門学校に来ていることも推測できる。また、本法人の専門学校の教員は実務家がほとんどである。
  • 専門学校は社会人の学び直し機関としての役割も持つ。専門学校の4年制課程にも入学者が増えている。学生への支援については、事務職員の数も少なく、教員がほとんど対応している状況。大学と専門学校の格差はたくさんある。
  • 学生にまずやる気をだしてもらうモチベーティブ・ラーニングを実践している。

第三部:パネルディスカッション

(司会)学費は専門学校のほうがかかるのか?

(千葉)実習は専門学校にコストがかかるが、大学は研究にコストがかかる。

(司会)多くの大学は職業的な基礎知識を身につける教育を行うべきという認識で良いのか?

(冨山)稼げないと何も始まらない。高度成長期では従来型の教育は合っていたが、サービス産業が多様化し職業体系がジョブ型になった。年功序列型は20%しかいないし、上場企業での勤務者は16%しかいない。アメリカに対しサービス産業の労働生産性で負けたのは、人づくりに失敗してきたためである。地方では低年収の仕事がたくさんあるが、それでは生活できないため就業希望者は東京に来る。それはひとえに生産性が低いためである。

(司会)冨山氏の意見をどう思うか?

(金子)社会構造の変化とG型L型の話は並行して存在しているわけではない。確かに機能を区分しそれに合った支援というのはいかにも整理されているように思われるが、G型L型に大学を区分し活動を促すことは逆に非効率的ではないかとも思う。

(島田)日本の労働賃金制度は特殊であり、ホワイトカラーとブルーカラーが同一の賃金体系である。そのような理由もあり、労働生産性が低下してきている。大学の特色ある教育活動が必要というのはそのとおりであり、教員は学生を愛して教育活動をしてほしい。

(千葉)今の大学制度では柔軟性が足りない。G型L型は多様な教育課程の一部の表現という理解をしている。

(司会)国立大学に対する組織見直しの通知と関連して、新たな高等教育機関のあり方はどう考えれば良いのか?

(大谷)今回の新たな高等教育機関については、文部科学省内の生涯学習政策局と高等教育局が共同で検討を進めている。報道で言われている人文社会系の廃止に関する言説と文部科学大臣の言葉には違いがある。新たな高等教育機関が養成する人材像は、国民に理解を得られると思う。

(冨山)報道機関の言説の方が良い。人文社会系はまともに人材養成をしていないという現実を真摯に反省すべきで、どのように出直しをすべきかを考えるべき。私立大学は市場の統制が働くが、国立大学はそれがなく潰れないので、国民的な統制つまり文部科学大臣をガバナンスを効かせるべき。学問の自由は憲法に保障されているため最後に決めるのは大学であるが、大臣が言うことの正当性はある。

(島田)教員がそれぞれ勝手に壁を作っている可能性がある。学者だけが何かができるというのは思い上がりである。また、文科省多様性ということがわかっていないのではないか。多様性とはマーケットを察知することであり、その中から新しいものが生まれる。

(金子)一括した組織整備は乱暴であると感じるが、人文社会系の学問が社会のニードにどう答えているのかを明らかにせずに、自分たちの論理だけで動いていたことは反省すべきである。現状の学部体制では学生がその学部に入学するとその専門分野にニードがあるという誤解が生まれるため、教育プログラムなどの形でニードに対応できるようにした方が良い。

(司会)新しい学校種について、新しい制度を作るのか、現行のままでいくのか?

(金子)現行の大学でできないことはない。ただ、新しい時代に要求されているスキルは多様であり、従来型の学問分野では教えられないことがある。また、ロットが小さくまとめにくいこともあり、どうやって教えるプログラムに翻訳していくのかが難しい。大学でやるとすれば組織を変えなければならないし、ニードに対応する発想・態度をださないといけない。企業サイドを見ても、中堅企業の従業員もまた企業外学習ができてないと感じる。

(島田)今の世の中、仕事のスケールは小さいが付加価値は高い。全体像はマスでは捉えられない。

(司会)最後に一言づつ新しい機関への意見をほしい。

(千葉)学校教育全体が今の時代に合わなくなっている。新しいことを教える仕組みを作っていってほしい。

(冨山)相手のことを慮ることは本当の教養であり、それが求められる時代になっていく。世界共通の流れとして今後大企業の雇用は増えないことが推測され、今更大企業向けの人を大学で養成するのはナンセンスである。コンサルタントとして様々な企業に接してきたが、一番変えにくい組織は偏差値の高い大学を出た者がたくさんいる組織である。私自身、大学の自己変革力は信じてない。だからこそ、大学人が嫌がることをした方が良いと思う。日本の大学を一回ぐちゃぐちゃにして新たな何かを生み出すことが必要な時代なのかもしれない。

(金子)レジリエンス、人格的な基盤が一番大切であり、OECDもそのように考えているようだ。個人個人が幸せになることが大切な時代になっていく。しかし、なんらか制度等を変える場合は正当な方向からやるべきである。国立大学も今後2,3年で、潰れるまでいかなくとも合併等が相当数発生するのではないかと考えている。