国立大学法人の謝罪に思う 〜謝る必要があるのかないのか〜

 大学教員がtwitter上で発言した内容について、大学が公式に謝罪文書を出したことで話題になっています。

「滅びろ!」「地獄に落ちろ!」「神に逆らう不届きものめ!」 東北大教授が千葉ロッテに罵詈雑言、「不適切ツイート」と大学が謝罪 (1/2) : J-CASTニュース

東北大学教員によるツイッターにおける不適切発言につ... | ニュース | 東北大学 -TOHOKU UNIVERSITY-

 本務ではない私的な内容について、大学がすぐさま謝罪をするのは如何なものかと言う言説も確認できます。大学が構成員の私的空間にどこまで干渉できるのかという話もあります。

 今回の件ですが、私は東北大学の対応は十分に理解できるものだと思っています。元々、東北大学は様々な事件や訴訟が発生している、どちらかと言えばリスクが顕在化しているケースが多い大学と言う印象です(関係者の皆さんには大変失礼な話だと言うことは重々承知していますが。。。)。そのため、法務・コンプライアンス部という専門部署を設けて様々な案件に対応しているのでしょう。今回のケースでの、発生から間もない謝罪リリースという迅速さは、この体制が機能している証拠だと思います。

 私自身それなりの経験があるのですが、苦情対応は大変にコストが発生する業務です。場合によっては、通常業務は完全にストップします。そのため、東北大学がその内容ではなく「炎上案件発生」というトリガーにより謝罪対応を決定したという、ある意味で「理よりも実を取る」対応をしたことは、実情として理解できるところです。(一職業人としては、「理」を取らなかったことについて、納得できていないところもありますが。。。)もちろん、これが研究に関する案件であるならば、逆に大学は謝罪しなかったのではないかとも思いますし、謝罪してはいけないとも思います。学問の自由がありますし。

 また、その「内容」について、大学が謝罪するのが適切なのかと言う話については、正直わからないというのが本音です。「内容」は、100人いたら100通りの受け取り方がありますし、明確な線引きが困難です。「職務外だから関係ない」という声もわかりますが、「職務外でも関係なく大学教員としてなんと言うことだ」という声が一つでもあれば、それだけで大学は揺れると思います。国立大学法人は外からの「声」にめっぽう弱いのです。そのため、東北大学が「炎上案件発生」を線引きとして設定していることも、「決め」として理解できます。

 なんだか言説がフラフラして結論がないですが、とにかく「苦情対応は論理ではない」というのが私の意見です。今回の件は、確かに論理的ではない部分もあり、大学の対応に非難があるのもわかります。しかし、それだけでは、実際の苦情対応はできません。大抵、電話等で苦情を言ってくる方は論理的ではありませんし。今回の件でいろいろ言っている方が、実際に苦情案件に関係・対応されたことがあるのかは定かではありませんが、組織を背負って何度も何度も矢面に立たされている場合はどうしても先手防衛的になってしまうでしょう。最終的には「理」と「実」の間のどこかに落としどころを見つけるのでしょうね。

 国立大学法人はこのような案件に対する対応の蓄積が少なく、この対応が効果的であったかは現状で判断できません。対応の結果がどうであったかはこれからの状況を見て判断することになりますので、引き続き注目していきたいと思います。