職員の成長とは働き方の変容である。

大学設置基準等の一部を改正する省令の公布について(通知):文部科学省

今回の改正は,社会のあらゆる分野で急速な変化が進行する中で,大学及び高等専門学校(以下「大学等」という。)がその使命を十全に果たすためには,その運営についても一層の高度化を図ることが必要であることを踏まえ,全ての大学等に,その職員が大学等の運営に必要な知識・技能を身に付け,能力・資質を向上させるための研修(スタッフ・ディベロップメント。以下「SD」という。)の機会を設けることなどを求めるものです。

 今更ですが、大学設置基準が改正され、SDが義務化されるようになりました。施行は平成29年度からです。この件については様々な方が様々な媒体で触れていますし*1、SDに関する学術論文も多数出版されているところですから、私から言うべきことはあまりありません。ただ、最近思うのが、SD、と言うよりも職員としての成長とは働き方を変容させることではないかということです。

 例えば、今まで気付けなかった問題に気づいて対応する、今まで作ってなかったマニュアルを作る、今まで他人に任せていたものを自分でやってみるなど、職場の中で立ち居振る舞い、つまり働き方を変えることで、新しい知見や経験を得られ、職員として成長することができると思います。その糧になるものが、研修であったり自己研鑽であったりするのでしょう。

 働き方の変容のような行動と研修のような学びは必ずしも一対一対応の因果関係ではなく、職員の広く浅い業務範囲を考えると、むしろそのような場合の方が少ないと推測します(もちろん、研修の目的が何でもいいという話ではありません。)。様々な学びをストックする中から、行動への発意やアイデアを発生させていくものなのでしょうね。そう考えると「学びを業務に活かす」といった学び主体の表現ではなく、「業務に学びを活かす」といった業務主体の表現の方が適切である気がします。

前に立ち続けることで学べることもある。

 id:shinnji28さんがプレゼン時の謙遜についてBLOGに書かれています。

shinnji28.hatenablog.com

 私は彼と面識があり、最近では仕事の相談にのってもらっています。彼らしい姿勢だなと思いながら読んでいたのですが、そういえば私も同じような経験をしたことを思い出しました。

 何年か前、とあるアマチュア合唱団の演奏会を聴きに行った時のことです。すべてのプログラムが終わり、アンコール曲を演奏する前に指揮者が話し始めました。曰く、練習時間が十分に取れなかった、喉の調子が悪い団員もいる、アンコールはうまく演奏できるかわからない。はっきりと覚えてはいないのですが、お客を前にしてこんなことを言うのかとかなり驚愕しました。決して悪い演奏ではなかったと思うのですが、それ以降その指揮者の演奏会には行っていません。

 前に立つ人には常に期待される役割があります。それに応えつつ、時には戦略的にそれを外し、様々な知見や思いなどを聴衆に抱いてもらうことが大切なのだろうと思います。

 ただ、松宮さんもおっしゃっているように、そのような働きは一朝一夕に身につくものではありません。皆の前に立ち続け、失敗と手応えを常に感じることで徐々にできるようになってくるものなのでしょうね。私の特技の一つに「少ししか知らないことをさもよく知っているかのように話す」というものがありますが、これも様々な場で前に立ち話し続けたからこそ身につけられたものだと自負しています。

 必ずしも聴衆から登壇者へというだけではなく、参加者から企画者へという変化の中でも、同じように学べるものはたくさんあると思います。話を聞くだけではなく、自分自身の思いを話すことで、逆に自身を客観視できることもあるのでしょう。皆の前に立って話す機会はこれからも大切にしていきたいです。

 とりあえず、謙遜は言葉を重ねず一言サラッと、というのが無難なのかもしれませんね。

シニカルなだけではクソの役にも立たない。

   冷笑的な態度も結構ですが、周りへの悪影響も自覚してほしいですね。成果が出ているという点は考慮されるべきではあるものの、基本的には「勉強することや努力すること、真剣になることはカッコ悪い」という価値観は唾棄すべきものだと思っています。

北海道大学の人件費削減に思う。

 北海道大学の教員人事に関する方針が話題を呼んでいるようですね。 

elm-mori.hatenablog.com

 id:petite-cerise氏が詳細についてレポートしていますが、基本的には氏が言う通り、一般運営費交付金の削減に係る承継教職員の人件費削減の話でしょうね。

d.hatena.ne.jp

 個人的にちょっと気になったのは、以下の点です。

目標は退職者の不補充,任期付き教員の雇い止め等により達成することとされています。目標達成できない部局では、新規の採用・昇任人事が行えなくなるほか、部局配分経費がカットされます。(上記ブログ)

 新規の採用・承認人事が行えなくなるということは資料には明記されていませんが、どこかしらで言及されたのでしょうか。

なお、各部局における教員人件費ポイントの削減に当たっては、女性教員、外国人教員、再雇用教員及び若手教員の採用に当たって、全学から部局に対して付与された教員人件費ポイントからの削減を行うことはできないものとする。(上記ブログ内資料)

 一部特定の属性を持つ教員採用については、ポイント削減が出来ないようになっています。つまり、これらの属性を持つ教員の採用を促すということでしょうか。しかし、再雇用教員の採用にあたってポイントを削減しないという意図はイマイチわかりません。何かしら、北大特有の事情があるのでしょうか。

(1)削減の適用除外
 本方策は、次に掲げる部局等には、それぞれに掲げる理由により適用しない。
① 医学研究科

(2)削減率の特例

歯学研究科

  設置基準の必置専任教員数が多い部局については、削減の緩和が打ち出されています。同じように、獣医学研究科や教育学研究院といった免許関連部局と思われる部局も削減率が比較的緩和されているように見えますね。今後のポイント削減においては設置基準や各種免許法との関係も重要になってくるということでしょう。

削減計画の初年度である平成 29 年度にあっては、人件費削減額(▲8.5 億円)が大きいことに鑑み、以下の経過措置を講じる。

 よく分からないのが、なぜ平成29年度だけこのように削減幅が大きいのかということです。第2期中期目標期間中における総人件費改革(全学的な人件費ポイントのゆるやかな削減)の進展状況はどうだったのでしょうか。

 第2期中期目標・中期計画において、各法人には「「簡素で効率的な政府を実現するための行政改革の推進に関する法律」(平成18年法律第47号)及び「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2006」(平成18年7月7日閣議決定)に基づき,人件費を削減する。」という中期計画を課せられていました。これは平成23年度までの毎年度において、平成17年度比1%ずつ人件費を削減するものです。北大の実績報告書を確認すると、平成24年度以降、本中期計画に係る年度計画が策定されておらず、平成24年度以降の人件費改革に係る状況が不明です。人件費改革に関する過年度の対応は気になるところですね。

 本件は、程度の差こそあれ、各法人において生じている話です。人件費を取るか、教育研究経費を取るか、ということでしょう。各法人も退職教員の不補充等で対応していると思いますので、北大も同様に対応することになるのでしょうね。

 企業でのリストラの実態や効果はよくわかりませんが、国立大学法人でのこのような人件費削減は単なる経費節減であり、一般運営費交付金の削減に対応している場合は削減した分の費用が何かに使えるわけではありません。新しい手に打って出にくいのが厳しいところですが、学生のことを考え、中長期的に何らか対応を取っていくのでしょうね。

愛校心なんてない。

 友人を話している中で、唐突に、何年か前に参加した勉強会で将来の中核となる大学職員の必要な要素として、"愛校心"というワードが頻出したことを思い出しました。私はあまり定量的でない言葉や水準が明らかではない言葉には疑ってかかるタイプなので、当時は随分と胡散臭い思いをしたものです。何年か経った今でも愛校心というものはよくわかりません。

 私は勤務校の出身ではありませんし、正直、あまり愛校心は持っていないと自覚しています。「大学職員たるもの、勤務校への愛校心を持たなければならない」という話もたまに聞きますが、あった方が良いものにしろ、なければ失格とまでは言えないのかなと思います。たまたま今の勤務校から内定が出たので大学職員になり、今は大学という場で働くのが好きなので、別に今の勤務校でなくともそれなりに周りと協力して働くつもりです。

 愛校心がある状態とない状態はどのように区別できるのか、愛校心がある職員とない職員とではパフォーマンスに差が生じるのか、というのは気になるところです。愛校心という気持ちの問題は置いておいて、その内容に類するものは「自校理解」と「目的達成への協働」だと考えます。これならば、必ずしも自校出身者でなくとも、身に付けることができそうです。

 個人的には、学ぶという行為や大学という場を愛する"愛学心"を大切にしていきたいと思っています。

 

『VIEW21』高校版2016年度8月号は大学関係者も読むべき

 VIEW21と言えば幼児教育から大学ひいては教育委員会までを対象をした教育情報誌です(大学版はBetweenと統合しました)。私も大学版は読んでいますが、その他の関係者を対象とした版はあまり読んでいません。ただ、『VIEW21』高校版2016年度8月号は特に質保証に関わる大学関係者は必読であると感じたので、ここで紹介します。

berd.benesse.jp

特集:全教師で踏み出す「カリキュラム・マネジメント」実現の第一
【インタビュー】 〝カリ・マネ〟で学校をチーム化し、教育目標のよりよい達成を目指す
【座談会】教育目標の策定や共有に校長や教師はどう取り組むか
【実践事例1】 生徒の実態把握から教育目標を設定し、「学び直し」を教育課程に位置づける
【実践事例2】共学化を機に基本理念を策定し、教育活動を改善し続ける

以下、本書において印象に残った文章です。

カリキュラム・マネジメントは教育目標を達成するために計画されたカリキュラムを適切に実施し、生徒が何を学び、何を学ばなかったのかを評価して改善につなげていく、効果的・効率的な教育活動を実現する考え方、具体的な手法を校内で検討していく活動とも言えます。(P4)

つまり、教師が教科や分掌の枠を超えてつながり、学び合い、支援し合うような学校づくりが求められているのです。(P5)

このように、学校改革、カリキュラム・マネジメントの土台は、生徒との話し合いの中からも生まれます。(P7)

私も、新しい高校に赴任した校長は、いきなり教育目標の設定や学校改革に着手するのではなく、まずは現状を把握することから始める必要があると思います。自校の生徒の学習や行事、部活への取り組み姿勢、教師の学校に対する思いや職員室の雰囲気、保護者の不満や要望、学校に対する地域の評価やニーズなどを、よく観察して把握することで、有効な打ち手を講じることが可能になります。そのためには、生徒の学力や生活状況などをデータ化する体制を校内に構築するとともに、そのデータをしっかりと分析するスキルを教師に育成することが重要です。(P10)

現場が迷わないように、トップがビジョンを明確に示す必要がありますし、現場のリーダーにはトップが示したビジョンを自分の言葉に翻訳して、先生方に伝える役割を担うことが求められるのだと思います。(P14)

カリキュラム・マネジメントとは、組木細工だと考えています。すべてを壊して全く新しいものをつくるのではなく、既存のリソースを組木細工のように組み合わせながら、学校のビジョンや教育目標を実現することが求められます。(P15)

処理だけではなく判断をすること

 夏の間は平日土日の区別なく同じ仕事にひたすら取り組んでいました。

 いわゆるルーチンワークと言われる定常業務は大学職員として働くうえでは避けては通れないものだと思います。同じようなタイミングで同じような手順で同じような結果がでるような、ある意味では誰がやっても同じ結果でる仕事は多かれ少なかれ誰でもやっているものです。私も毎月行うルーチンワークがあります。これら業務はまさに「処理」と言っても過言ではない同一性があり、仕事がつまらないと思える要因の一つになっていると推測できます。

 さまざまな業務がある中、私が意識しているのは「処理だけではなく判断をすること」です。業務方針の策定という大きなことから、それこそ会議の飲み物はお茶かコーヒーか紅茶かといった小さなことまで、自分で考え判断をした事例を積み重ねることが自分自身の成長とより良い業務につながると思っています(往々にして、判断結果が上司のところでひっくり返ることもありますが。。。)。

 一度判断したことは状況が変わらない限りは次回以降判断する必要がなく、処理をするだけになります。つまり、判断する事柄は常に新しく自分にとって未知の内容です。このような状況でより良い判断をするためには、自分自身の見識を高めるしかありません。私のなかでは、高等教育に関することを学んだり、他大学の事例を調査したり、職員と交流したりといった職員として勉強することは、業務の中で良い判断をするために行っているところが大きいですね。