処理だけではなく判断をすること
夏の間は平日土日の区別なく同じ仕事にひたすら取り組んでいました。
いわゆるルーチンワークと言われる定常業務は大学職員として働くうえでは避けては通れないものだと思います。同じようなタイミングで同じような手順で同じような結果がでるような、ある意味では誰がやっても同じ結果でる仕事は多かれ少なかれ誰でもやっているものです。私も毎月行うルーチンワークがあります。これら業務はまさに「処理」と言っても過言ではない同一性があり、仕事がつまらないと思える要因の一つになっていると推測できます。
さまざまな業務がある中、私が意識しているのは「処理だけではなく判断をすること」です。業務方針の策定という大きなことから、それこそ会議の飲み物はお茶かコーヒーか紅茶かといった小さなことまで、自分で考え判断をした事例を積み重ねることが自分自身の成長とより良い業務につながると思っています(往々にして、判断結果が上司のところでひっくり返ることもありますが。。。)。
一度判断したことは状況が変わらない限りは次回以降判断する必要がなく、処理をするだけになります。つまり、判断する事柄は常に新しく自分にとって未知の内容です。このような状況でより良い判断をするためには、自分自身の見識を高めるしかありません。私のなかでは、高等教育に関することを学んだり、他大学の事例を調査したり、職員と交流したりといった職員として勉強することは、業務の中で良い判断をするために行っているところが大きいですね。
上司は孤独である。
異動して職階に似つかわしくない仕事をするようになりました。部下(あまり部下とは思ってませんが。。。)も10名近くになり、一部は離れたキャンパスにいます。そんなポジションになって一ヶ月程度ですが、「上司は孤独」という言葉を実感しつつあるのが正直なところです。
「上司は孤独」という言葉を初めて聞いた時、ホウレンソウがちゃんとできていればそうでもないだろ、と思っていました。つまり、状況把握や意思決定に必要な情報が適切に収集できていれば孤独にはならないと思っていたわけです。これは甘かったですね。実際、上司的ポジションに立ってみると、相談等で情報が上がってくる機会はあっても、薄いヴェールの向こうで物事が進んでいる感はとても大きいです。別に全てを把握しようと思っているわけでもないのですが、それにしても「孤独」という表現は確かに当てはまるなと思っています。
幸いにも皆が適切に判断して動けていますし、もっと私自身が職務内容全体を把握できればこの感情はちょっとはマシになるでしょう。きっと誰もが直面する壁でしょうし、なんとか早めに乗り越えていきたいです。しかし、同一校内の異動ならともかく、勤務校が全く変わる異動官職の方は本当に孤独なのだろうと余計なことを感じました。
大学職員の書き散らかしBLOG ダイジェスト版
気がつけば読者数が100を超えていました。ということで、過去の258記事を掘り起こして、簡単なダイジェストを作成しました。改めて昔の記事を読み返すと、ちょっとは文章がマシになったのかなと思っています。
アクセス数が多い記事
GoogleAnalyticsのページビュー数で上位の記事を以下に記します。
法人文書の作成に思う 〜「公文書の書式と文例」を応用してみる〜
学校教育法及び国立大学法人法の改正案に思う 〜結局、教授会は何を話し合うのか〜
公文書関係の記事が一位なのは意外でした。意外と情報がないということでしょうか。また、すべて2014年に書かれた記事ということで、年を超えた共通課題であるため長い間アクセスをいただいているということでしょう。
はてなブックマークが多い記事
はてなブックマークが多い記事を以下に記します。
またしても、意外な記事が一位となりました。単なる個人の心構えを書いただけなのですが、どこかしらでピックアップされたということでしょうか。その他は概ね大学改革に関する記事が並んでいますね。
記事の分類
内容に合わせ、改めて記事を分類したものを以下に記します。なお、あくまで当時の状況を踏まえ作成したものであり、現状に一致しているとは限りません。
大学改革(特に国立大学関係)
平成26年度予算に思う 〜運営費交付金はほんとうに増加したのか〜
京都大学の学長候補者国際公募に思う 〜選択肢は増えるが・・・〜
独立行政法人通則法改正案に思う 〜国立大学法人の業務はどのように変わるか〜
スーパーグローバル大学創成支援事業の申請状況に思う 〜切実な国立大学〜
国立大学法人のベンチャーキャピタルに思う 〜それは「出資」なのか〜
財政制度分科会の資料に思う 〜国立大学はどうなってしまうのか〜(前編)
財政制度分科会の資料に思う 〜国立大学はどうなってしまうのか〜(後編)
国立大学の予算配分に反映する評価等(素案)に思う 〜どのような指標が示されているのか〜
「成果」とは一体何なのか?国立大学に対する成果評価への期待と不安
「文科省の言うことを聞かなければ交付金を減らされる」は本当か?
大学改革(特に人文社会科学系改革関係)
教員養成・人文社会科学系学部・大学院への要請に思う 〜何が問われているのか〜
日本学術会議公開シンポジウム「人文・社会科学と大学のゆくえ」に参加してきました。
大学改革(特に学校教育法改正関係)
組織運営部会審議まとめ(素案)に思う 〜50年経っても変わらないこと〜
コミュニティカレッジリーダーのコンピテンシーに思う 〜学長に求められる行動とは〜
学校教育法及び国立大学法人法の改正案に思う 〜結局、教授会は何を話し合うのか〜
改正学校教育法等に思う 〜審議過程から分かること、分からないこと〜
学校教育法及び国立大学法人法の施行規則改正案に思う 〜改正の影響は少ないが。。。〜
学校教育法及び国立大学法人法等の改正に関する実務説明会の概要 その1
学校教育法及び国立大学法人法等の改正に関する実務説明会の概要 その2
学校教育法及び国立大学法人法等の改正に関する実務説明会の概要 その3
文部科学省行政実務研修生
異動官職
大学設置
IR
アセスメントプランに思う 〜これからのキーワードになりうるか〜
IR・データ分析に思う その3 〜どのようなデータを組み合わせるか〜
「教学マネジメントの改善と学修成果」シンポジウムに参加してきました。
第3期中期目標・中期計画ではIRはどのように言及されているのか。
大学評価・大学ランキング
改革推進状況に思う 〜国立大学法人のGoodPractice集〜
U-Multirankに思う 〜新たなランキングの現状と可能性〜
U.S.News & World Best Global Universities Rankingsに思う 〜何が評価されているのか〜
認証評価基準細目省令の改正に思う 〜多面的入試は認証評価基準になるのか〜
フォーラム「世界大学ランキングと国際的研究評価を問う」に参加してきました。
能力開発・勉強会・研修
組織運営部会審議まとめに思う 〜ミドル層の学びをどう確保するか〜
説明会・研修会等の構成に思う ~アクティブ・ラーニングを実現するために~
国立大学一般職員会議に思う 〜変化し続けるコクダイパン会議〜
セミナー「若手職員の実践的能力を形成できるSDを求めて」に参加してきました。
「研修」という言葉にあるどうしようもないほどのネガティブ感。
第3期中期目標・中期計画では職員の能力開発はどのように言及されているのか。
高度専門職
高度専門職の能力水準に思う 〜スペシャリストはどのように働くのか〜
職員としての働きかた,学びかた
TED Talks 組織と協力に思う 〜義務と意欲と能力の重ね合わせ〜
プロジェクト型業務に思う ~トータル・アドミニストレーションという考え方~
個人的に大切にしていること
教育・働き方改善省を作れば良い
新しい職場で日々プレッシャーを受けつつ圧倒的成長を果たしております。
文部科学省の方の講演を聴く機会もそこそこあり、もちろん内容もしっかり聞いているのですが、同時に「これは概算要求のあの部分かな」とか「このポンチ絵はあの資料に載っていたな」とか余計なことも考えています。最近は特に「教育を良くするだけでは社会は良くならないよな」と感じることが多いです。
文科省のスライドは大抵一枚もので完結していることが多いため、さもその中で完結するかのように見えてしまいます。だからこそ、単独の政策スライドをただ並べただけでは、一体何が問題の原因なのかが非常に分かりにくくなりますね。いくら「教育最高!教育万歳!教育ですべて良くなる!教育のためなら死ねる!」と言っても、特に若年者や中年者にとっては教育を受けた後の働き方や生き方が大切ですし、それが国の発展にもつながるのでしょう。文科省のスライドからでは、教育を受けた者を受け入れる社会の姿がよく見えてこず、だからこそ「教育を良くするだけでは社会は良くならないよな」と感じるわけです。
以前のエントリでも言及した通り、社会において大卒者はまだマイノリティであり、生産年齢においても大卒者が多く流入してきたのはそれほど古い話ではないでしょう。以前の働き方のまま教育だけ変化しても、教育と働き方がうまくマッチしないということは容易に想像がつきます。「だから大学進学率を下げろ」と言っているわけではなく、教育と合わせて、働き方も改革して(あまり好きな言葉ではありませんが)生産性も高めていきましょうということです。なので、文部科学省の教育行政と厚生労働省の職業能力開発行政、ついでに労働行政の一部を引っ付けて教育・働き方改善省(名称適当)を作り、教育から職業、働き方まで横断的に対応できれば良いんじゃないですかね、と思っています。
文部科学大臣馳浩ということで、縦割り行政にもノーザンライトスープレックスを喰らわせてほしいですね。
念のため、ネタエントリです。あしからず。
社会における大学生観と大学観のギャップ
先日、職場の友人を食事をしていた際の話です。最近の大学関係の事柄にも話が及び、千葉大学の件など、大学と社会との関係性も改めて考えると多様な論点があるよねと話していました。その時に、ふと思ったのが、世間のイメージと大学の実態に齟齬があるというのは従前から言われていることですが、多くの人が持っている大学生に対するイメージ(大学生観)と大学に対するイメージ(大学観)も必ずしもマッチしていないのではないかということです。
社会の多くの人が持っている大学生のイメージというと遊んでいるとか、チャラいとかそういったものだと推測できます。若干変化はあるのかもしれませんが、このイメージって随分前から大筋では変わっていないように感じます。
平成22年度の国勢調査の結果では、15歳以上人口に占める最終卒業学校が大学・大学院の者の割合は約20%です。多くの方は自身が大学生になったことはなく、大学生観には実感というよりはイメージで語っていることが多く反映されていると推測されます。特に、一時期は”大学のレジャーランド化”と言われるような状況であったとも聞きますし、一度ついた悪いイメージはなかなか払拭できないのかもしれません。(余談ですが、大卒者が20%しかないことに改めて驚きました。大学にいると周りが大卒者ばかりであるため、このあたりのギャップは留意していきたいですね。)
一方、社会の大学に対するイメージは教育機関や研究機関と色々ありますが、特に教育機関としては学校として捉えられることが多いと考えられます。その際、この学校とは小中高等学校と同じような”学生を管理・指導する機関”として捉えられることが多いのかもしれないと思っています。
学校教育法第1条にもある通り、確かに大学は学校です。ただ、学習指導要領の有無など、その性質は小中高等学校と大きく異なります。にも関わらず、前述の通り、多くの人が大学の教育機関としての性質を実感していませんので、学校と言えば小中高等学校のイメージが大きく影響すると推測できます。概ね悪いことの方がよく覚えてるということで、小中高等学校の教育で感じた管理的側面を大学観に投影しているのかもしれません。
社会の大学に対するイメージの中には、(良くも悪くも)自由な存在としての大学生観と管理的な学校としての大学観が同時に存在し、その都度都合の良い方が打ち出されているのかもしれません。この二つは明らかに矛盾するものであり、大学と社会との思いのすれ違いなど色々と不幸なことを生じやすい一因となりうるとぼんやりと考えています。だからどうだとか、だからどうするということもないのですが。
また、ここまで書いてきてなんですが、一口に「社会」とか「世間」と言い切ることは慎重にならないといけないということも改めて感じました。”おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ”ではありませんが、社会が大学が誤解すると同時に大学もまた社会を誤解している可能性があることに気をつけないといけませんね。
わからないということを開き直る。
初めて関わる業務ということもあり、異動してから本当に仕事がわからなくなりました。特に、何をすれば良いのかではなく、どのように処理をすれば良いのかもわからないため、取りこぼしはないかといつもヒヤヒヤしながら事務処理をしています。そんな中、意識しているのは、わからないということを開き直りながら仕事をするということです。
開き直るといっても逆ギレするのではなく、わからないことが多い自分を受け入れ、謙虚に聞いて回るということですね。ある程度まで調べ、自分がわかっていないことは何なのかを明確にしてから、直接訪問し話を聞いています(よく知っている人ならば、さっと電話することもありますが。。。)。わからないながらも早め早めに動かなければドツボにはまると思い、とりあえずフットワーク軽く動きまわり聞き回っています。
性格もあるのでしょうが、結構これってためらうことがあったり、ストレス溜まることがあったりするんですよね。そこは「開き直る」というマインド転換とランニングというストレス解消手段でなんとか自分をのせているところです。
あとは、直属の上司(と言っても併任ですが。。。)にこまめに状況の報告や相談をすることにも気をつけています。何らかトラブルがあった際に押し付けられるカバーしてもらえる程度にはリスクをヘッジしていきたいです。
仕事の中で知っていること、できることが増える喜びを感じており、それを踏まえ、また新しいことに挑戦できるという良いサイクルが自分の中でできていると感じています。大きなことを言えば、これがOJTや能力開発の本質でもあるのかもしれませんね。知らないことではなく知ろうとしないことが罪であるという思いを胸に、前に進んでいきたいです。
何もない状況から業務を引き継ぐということ
異動後の仕事がわけわからなさすぎて、逆に1周して面白くなっています。
異動した先の仕事が全く経験のない場合、まずは前任者等が作った引継書に沿って対応しましょうということになりますよね。けど、引継書が不十分な場合やそもそもない場合もあり得るでしょう。周りもそんなに頼りにならず、指導してくれる上司もいない、前任者もどこに行ったのかわからない、そんな時に取るべき行動は1年前の前任者の行動をまねることだと思っています。
1年前の書類の動きを確認する、1年前のメール送信履歴を確認する、これらを踏まえ行動することで、なんとかゼロからのスタートを少しづつ進めていけます。かっこよく言うと守破離の「守」でしょうか。これを拡張し、1ヶ月のメールの送信履歴、1年間の書類の動きを確認すれば、なんとなく今後の動きも見えてきます。まさに今私が(必要に迫られて)実践していることです。
業務の理念や構造も大切なのですが、異動者にとってもっとも大切なことは「当座何をするか」だと考えています。引継書に加え、1週間以内に行うべきこと、2週間以内に行うべきこと、1ヶ月以内に行うべきことをしっかり示し、前述のように過去の行動を参照できる環境を整えることで、とりあえずはなんとか業務を引き継げることができるんでしょうね。